●第二十一話● つ、つつつ、ついてる‼

 自分の部屋に飛び込むなり、晴矢ハルヤはすぐに布団を引っ被って枕に顔を擦りつけた。



「――な……、なんなんだよ、これっ……⁉」



 大浴場で叫んだのは、……見てはいけないものを見てしまったからばかりではなかった。



 布団を引っ被っても、パニックは止まらない。

 目を瞑り込んだ瞼の裏で、視界がグルングルンまわっている。



 突然、唐突にまったく前触れもなく体に起きた異変・・に、頭も心もついていかない。



 ……というか……。



(……こうなってくると、桜ノ宮女学院さくらのみやじょがくいんでの俺の扱いはどうなるんだろうか……⁉)




 そう思っていると、

『――ふっふっふ。どーやらようやく気がついたようだね、お兄』

「‼」


『お兄は鈍いから、永遠に気づかないかと思ったよ』

「はっ……、晴夏ハルカ⁉」



 急に繋げられた〈イン・ジ・アイ〉回線に、晴矢ハルヤはガバッと顔を上げた。

 すぐに立ち上がって、ビチョビチョで生ぬるい湯が滴る髪をかき上げてこう訊いた。



「こ、これはいったいどういうことなんだ……⁉

 ――俺とおまえは、体が入れ替わった・・・・・・・・んじゃなかったのか⁉ な、なんだって、俺は今……っ⁉」




『体が――【男】に戻ってるのかって?』





「……お、おう。そういうことだ……」




 目で見ずとも、手で触れずともわかる。

 今の晴矢ハルヤは、完全に【男】だ。



 だんだん混乱が収まって頭が冴えてくると、晴矢は思った。

(……え、もしかしてこれって、千載一遇のチャンス⁉)


 今すぐこの桜ノ宮女学院を抜け出して、実家に帰って両親に直訴して、あるべき晴矢ハルヤの人生を取り戻すべきなのでは……。



『無駄だよ、お兄』



「な、なんだよ。さすがに男に戻れば、父さんと母さんだって俺の話を信じるに決まってるだろ……」


 だが、この悪魔のような妹が、そんな安直な逃げ道を晴矢ハルヤに用意しているとは思えないのだが……。

 つい小声になって、晴矢ハルヤ晴夏ハルカに言った。


「あのなぁ、晴夏ハルカ。父さんと母さんは、俺たちのことを思って将来の道を決めたんだぞ……」


『それこそ馬鹿めと言いたいね。

 親である以上それなりの敬意は払うが、己の理解の範疇を超えた子が産まれたという事実を受け入れない点については愚かだと言わざるを得まい。

 ……まあ、そんな瑣末なことはもうどうでもいいが』



 世の中のすべてを見下している晴夏ハルカは、ふふんと鼻を鳴らした。


『残念ながら、その状態はそう長続きはしない。

 今の異常なアドレナリン分泌が収まって平静に戻れば、元通り――お兄は双子の妹であるボクとよく似た少女になる』


「え……、……え⁉」


 さあぁーっと、血の気が顔から引く。

 それに伴って体の熱も徐々に去り、確かに――体の重さが一段軽くなって柔らかみが増した気がした。



『お兄の体を女に換えるだけじゃ能がないかと思ってさ、ある条件を満たすと男に戻るように考えたんだ。さすがのボクでもどう工夫しようか頭を捻ったよ。まあ、難問ほど挑むのが面白いものなんだけどね。

 さて、では説明しよう。その条件とは、今お兄が経験した――』


「いや、待て! じゃ、晴夏ソッチの体は俺のじゃないのか⁉」


『愚問だね。どうして最高に優れた自分の体を手放して、凡夫の体を使用しなければならないのか、論理的な理由があるならば教えて欲しいものだ』

「う……、あ……」


 なんとも晴夏ハルカらしい答えに、晴矢ハルヤは言葉を失った。



〈イン・ジ・アイ〉ハッキングは晴夏ハルカの得意技だ。

 だから、〈イン・ジ・アイ〉回線を弄って意識の交換を行い、実際の晴矢の脳みそと体はアメリカにあるが、目で見たり手で触れる情報はこの桜ノ宮女学院にある晴夏ハルカの体で得て、自分の意思で動かすことができるのも今ここにある晴夏の体だというのがこの状況に関する晴矢ハルヤの推論だった。


 ……だが、完全に間違っていたようだ。

 

 自分の体を盗まれたわけではなかったという安堵が突き抜けて、……その後はまた冷静に戻った。



「しかしそれじゃ、この体は……」

『訊きたいかい? 古来、性転換には大がかりな外科的手法による手術が必要だとされてきたが、ボクはそれを体内からの作用で一時的に可能にする未知の脳内物質を発見した。その脳内物質は――』



 晴夏ハルカの説明が続いたが、ハッキリ言って晴矢ハルヤにもまったくもって意味不明だった。

 知らん間に呪泉郷にぶっ込まれたと言われた方がよっぽど納得がいく。



「……それじゃ、つまりは、今ここにあるのは、【女】になった俺の体なんだな」


『掻い摘んで言えばそういうことだね。ただ女にするだけじゃ詰まらんと思ったから、男に戻る起動スイッチも残したというわけさ。

 まあ、ボクからの餞別だと思って、せいぜい青春を楽しん――』


晴夏ハルカ、おまえわかってんのか⁉ さっき風呂場で俺が捕まってたら、俺の人生終了だぞ⁉」


 このお茶の間の憧れの的である桜ノ宮女学院の大浴場で身元不詳の少年が出歯亀デバガメ――なんて事態になったら、冗談じゃなく将来もクソもなくなる。



『――でくれたまえ。我が愛しき人生の踏み台――お兄よ』

 晴矢ハルヤの抗議なんか微塵も受けつけずに、そこで〈イン・ジ・アイ〉の回線はブツッと切れた。




(……そういえば、ハッカーとしてのアイツの異名は『謎の魔術師ミステリアス・ウィザード』だったな……)


 こんな倫理観も道徳もすっ飛ばした人間離れした神業、晴矢ハルヤ程度の人間にはそれこそ魔法にしか思えない。


 いや、魔術師程度の表現で済ましていいものか。

 アイツは、紛れもない悪魔だ。

 ……が、ガックリと脱力し、晴矢ハルヤはまたもベッドに突っ伏した。



 体が盗まれていなかったことがわかったことはいい。

 だが、まだ晴矢の人生は悪魔に盗まれっ放しのままだ。

 憤りとか罪悪感とか混乱とかで頭がごちゃごちゃになって、……気がつけば、晴矢ハルヤの目に涙が滲んできた。



「……チキショウ……」



 妹のせいで、晴矢の十代は、晴矢の将来は、晴矢の人生設計は、――全部全部、滅茶苦茶になってしまった。

 それどころか、一歩間違えば逮捕寸前の状況だ。

 なのに、こちらには、打つ手が一つもない。

 この女の園で一人きり。

 孤立無援だ。

 ――絶望的である。



 すると、固く閉じた扉の向こうから、誰かの声が聞こえた。



「……ハルちゃん、ハルちゃん? 大丈夫ですか?」

「っ‼」



 深羽みはねだ。

 さっきから、〈イン・ジ・アイ〉回線にも着信が来ていた。

 晴夏ハルカを問い詰めるのが先決だったからスルーしていたが、さすがに今は答えなければならない。


 つい男の男たる部分を確認すると、やっぱり感覚通り、しっかり女に戻っていた。

 とりあえず、ホッとひと安心……。

(――って、んなもんするか! ホッとなんかしてねえ! 俺は断じて生粋の男だ!)

 一人で青くなったり赤くなったりしながら、声だけは平静に、晴矢ハルヤはドアの向こうに答えた。



「……あ、深羽みはね? 大丈夫なんだけどさ、やっぱり今日の駆除科の疲れが取れてないみたいで、だから……」

「そうですか……」


 今夜はもう一人にしてもらおうと思っていたはずなのに、ドアの向こうの深羽みはねの声が泣き出しそうに聞こえて――……。



(……そりゃまあ、そうだよな)



 今日は、駆除科の初戦で山のような数のオークを倒したのだ。

 深羽みはねみたいな性格の奴なら、心配するに決まっている。



(あーあ、着信無視なんかしなけりゃよかった……)



 気がついたら、晴矢ハルヤはドアに向かってこう言っていた。



「……だから、ちょっと待ってくれるか? 今、着替えるから」


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