●第十三話● 桜ノ宮女学院の女王蝶



「――うにゃぁっ⁉」



 変な声を出して、月穂つきほが身悶えした。


 月穂つきほが倒れ込んだ拍子に、ブルー・スライムが胸元にまろび落ちてきたのだ。

 じゅっと嫌な音がして、月穂つきほの制服が溶け出す。

 スライム系の《人類の敵》は総じて、酸性の粘液を体内に持っていることが多い。



「ごめんなさい、動かないで、月穂つきほちゃんっ」


 謝ってから、深羽みはね月穂つきほの胸の上のブルー・スライムを掬い上げ、跳ね除けた。

 絡みついた月穂つきほの制服のシャツのボタンをいくつか犠牲にして、ブルー・スライムが食卓に飛び移った。



 その途端に、ホールは騒然となった。



「――きゃああ、ブルー・スライムよ!」

「訓練室から逃げ出したんだわっ……‼」



 食卓から、生徒たちが一斉に離れた。


 戦闘モードならともかく、今は制服を着た普通の女子高生だ。

 武器も持たずに《人類の敵》と交戦なんて、お嬢様が素手でスズメバチの巣を駆除するくらいにあり得ない状況だ。


「水か……!」

 

 女たちが下がってくれたのはよかったが、晴矢ハルヤは思わず舌打ちした。


 食卓の上には、豪奢な生花の飾られた花瓶に加え、よく冷やされたウォーターデキャンタまで乗っている。水を吸収合体すれば、ブルー・スライムは水の質量分巨大化して強力になる。


 今まさに、ブルー・スライムが水分を求めてアメーバ状の体を変形させ始めて、晴矢ハルヤは急いでテーブルの上に武器になるようなものがないかを探した。



 しかし――ブルー・スライムが移動を開始する前に、ひゅっとなにかが至近距離を横切った。



「え……、うわっ⁉」



 ……気がついた時には、晴矢のブレザーの肩先がちょっと裂けていた。

「なっ……⁉」

(なにが起きたんだ⁉)



 ぎょっとしているうちに、ホールの空気が凍る。

 驚いて、晴矢ハルヤは息を呑んだ。



(なんだよ、この空気は……?)



 一瞬前まで悲鳴と動揺が満ちていたはずなのに、いつの間にか、ホール中が水を打ったように静まり返っていた。

 深羽みはねや、怯えていたはずの月穂つきほまでが、まるで時が止められたかのように動きを止めている。



 すると――、晴矢ハルヤは、やっと気がついた。



 食卓の上でのさばろうとしていたはずのブルー・スライムの小さな目玉に、銀色のナイフが突き立てられていることに。

 あれが、晴矢ハルヤの肩先を掠って飛んでいったのだ。



(だけど、いったい誰が――……)

 


 答えは、すぐにわかった。

 ホールにいる生徒全員が、たった一人を見つめていたからだ。



 彼女たちの視線の先には、食事を終えて口許をテーブルナプキンで拭いている女がいた。

 その女は、晴矢ハルヤたちと同じように桜ノ宮女学院さくらのみやじょがくいんの制服を着ていた。



 真っ黒な髪を腰の下まで伸ばしたその女は、向かいに座って自分の他にたった一人動じていない眼鏡の女と一緒に立ち上がった。



「……この程度のことにも冷静に対処できないなんて、今年の一年生は本当に間抜け揃いね。嘆かわしいわ。

 いつからこの桜ノ宮女学院さくらのみやじょがくいんのレベルはこんなに下がったのかしら」



 冷めた声でそう言い放つと、女は晴矢ハルヤを見た。

 ……いや、晴矢ハルヤじゃない。

 晴矢ハルヤを通り越して、……深羽みはねを見たような気がした。



 その女の顔は、声からイメージした通りどこか冷たく、けれどとても整っていた。

 真っ黒な瞳がとても鋭く、……美しい。

 だが、彼女はすぐに目線を外し、連れの眼鏡の女を見て優雅に立ち上がった。




「――さあ、もう部屋へ帰りましょう」




 ○




 黒髪の女とその連れは、静かに去っていった。

 その間、誰もなにも話すことはなかった。

 二人が去ってようやくホールに音と活気が戻ったと思ったら、今度上がったのは歓声だった。



「……見た見た⁉ 盾羽たてはお姉様、すっごい格好良かったね!」

「本当、見惚れちゃった! さすがだったよね!」



 思わず晴矢ハルヤは目を瞬いた。


(なんの騒ぎなんだ、これは。

 さっきの女は、有名人なのか?)



 不審に思いつつも、キャアキャア騒いでいる女子たちを掻き分けて、晴矢ハルヤ深羽みはね月穂つきほのところへ歩み寄った。



「大丈夫か? 二人とも」

「はい」

「……な、なんとか」


 

 頷いた月穂つきほの破れた胸元から、白い下着が見えている。服の上からの予想を裏切らない可愛らしいサイズの月穂の胸の膨らみが、嫌でも目につく。


「……っ」

 慌てて目を逸らして、まだ震えている月穂つきほ深羽みはねと協力して立ち上がらせた。


 視線のやり場に困って、とりあえず制服のブレザーを月穂つきほに着せてから、晴矢ハルヤ深羽みはねを見た。

 それから、ふと止まる。


 晴矢ハルヤは、気づいた。

 ――さっき立ち去った女と深羽みはねが、どこか似ていることに。



 すると、晴矢ハルヤの考えていることを察したのか、深羽みはねは俯いた。

「……あの人、わたしの姉なんです。気にしないでくださいね。姉が言ったのは、わたしだけのことですから」



 晴矢ハルヤは、咄嗟に〈イン・ジ・アイ〉で検索していた――深羽みはねに、斎院さや本家の令嬢に、斎院盾羽さやたてはという名の姉娘がいるということを。




「……もう行きましょうか。ブルー・スライムさんの様子も気になりますし」







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 ここまで辿り着いてくださった方……神様のようです!

 ありがたやありがたや。

 アクセスあるだけで幸せです。

 本当にありがとうございます。

 

 続きは一週間以内に更新予定ですので、またお時間のある時にでも読んでいただけたら嬉しいです。



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