●第九話● 女教師の熱血指導

 それからなにも状況が変わらないまま、〈イン・ジ・アイ〉が告げるところによると、五分と三十二秒が経った。



 どうやら我に返って冷静になっているのが自分だけだと悟ると、晴矢ハルヤは立ち上がって、顔を両手で覆って震えている七緒に声をかけることにした。



「あのー……。七緒先生?」

 晴矢ハルヤが言うと、七緒は指の隙間からおそるおそるこちらを見た。

「う、う、う、うん……。なぁに、神埜さん」



(自分から呼び出して無理やりスカートを捲り上げた挙句にパンツまで見ておいて、『なぁに』もなにもないだろうが……)


 内心でそう思ったが、晴矢ハルヤは七緒を促した。


「とりあえず立ってもらえます? 一生このままってわけにはいかないでしょう、お互いに」

「そ、そ、そうね……」


 声を震わせながらも、七緒はおずおずと立ち上がった。



「ご、ご、ごめんね? 本当に偏見はないの。ただ、ああいう下着って、文献の中でしか見たことなかったから……」

「……そうなんですか」



 いろいろ突っ込みたいことがあったが、とりあえずそれは後に置くことにした。

 そういえば、この桜ノ宮女学院さくらのみやじょがくいんの教師は皆ここの卒業生なのだった。

 なら、箱入り育ちで成人して、大人になった今も箱に入ったままということもあり得るのかもしれない。



「でも、別にいいのよ? 本当に気にしないで。

 桜ノ宮女学院さくらのみやじょがくいんの院則でも、下着に関する条項で、と、と、とらんくす? については、特に触れられていないから……。

 だから、別に院則違反ではないの。だからその、安心してね」


「あの、このトランクスはですね……。

 ……えーと、女物のパンツってあんまり好きじゃなくて、ずっと前からこういうのを履いてるんです。

 それだけのことなんです」



「そ、そうなの?」

「はい。七緒先生も試してみたらどうですか? 結構いいですよ、履き心地」

「い、いえ、それは遠慮しておくけどっ……」

 ぶるぶると首を振って、七緒は晴矢ハルヤの提案を固辞した。



 それから、ようやく少しずつ冷静になってきたのか、七緒はやっと晴矢ハルヤの目を見た。


「あの……。ずっと前からって、今言ったわよね? 神埜さんって、自分のことも『俺』って言うし……。そういうのって……、ひょっとして双子のお兄さんの影響?」


「!」


 ――鋭い。 


 確かに――いつの間にか自称が『俺』に戻っていた。



 どきっとして、晴矢ハルヤは七緒の顔をまじまじと見た。

 

 七緒先生の年齢は、個人情報保護の観点からか、〈イン・ジ・アイ〉には載ってなかった。

 だけど、おそらく二十代前半だろうか。

 まだ若いのだろうが、晴矢ハルヤの目からすれば、七緒は十分に大人に見えた。


 スーツ越しでもわかる成熟した体のラインや、化粧の感じも同年代とは違って、よく見ると色っぽいひとだ。

 けど、中身は完全に晴矢ハルヤよりコドモである。その七緒が、首を傾げて晴矢ハルヤを見つめている。



「……先生ね、あなたの身上書を見たの。

 双子のお兄さんとは学校の成績や論文の優劣を競う仲で、ずいぶん複雑な関係だったみたいね。

 あなたはお兄さんよりもずっと優秀だったけど、ご両親のご意向で研究者の道には進めずに、この桜ノ宮女学院さくらのみやじょがくいんに編入してきたそうね。本当はお兄さんのようにアメリカで研究者になりたかったんでしょう。

 あなたには、お兄さん以上に能力と将来性があるから」

「……」



 晴矢ハルヤを褒めているつもりなのだろうが、グサグサと胸に刺さった。



 七緒は、〈神埜晴夏〉の良き理解者になろうというのか、熱心な顔で晴矢ハルヤの両肩を抱いた。


「お兄さんよりずっとずっとずっとずぅー……っと優れているというのに、ただ女だからってそんな目に遭って、悔しかったり、納得がいかなかったり、……いろんな感情があると思う。

 でも、この桜ノ宮女学院さくらのみやじょがくいんでだって、きっとあなたの才能と向上心を生かすことができるわ。先生が全力であなたをサポートする。

 約束するわ。だから、そんなにガッカリしないで。これは絶対に挫折なんかじゃないんだから!」



「……はぁ……、……それはどうも……」



 確かに、別の意味でいろんな感情が胸に湧いた。

 主には、七緒の今の刺さりすぎる発言のせいで。



 けれど、七緒はそんなことにはちっとも気づかない様子で、そのご立派な胸の谷間に晴矢ハルヤを熱く抱擁した。



「大丈夫よ、神埜さん! これからいっぱい、一緒に高校生活を楽しみましょう!

 あなたにはまだまだこれから、とってもとっても楽しい思い出がたっくさんできるんだから。ね⁉」


 無遠慮に柔らかな双丘が頬を圧迫して、息ができなくなる。

 一気に顔に熱が集まってきて、晴矢ハルヤは慌てて七緒に訴えた。



「わっ、わかりました! だからさっさと離れてくださいっ……‼」


「いいのよ、先生にだけは甘えても!

 ご両親にはきっと素直に気持ちを打ち明けることすらできなくて追い詰められてたんでしょう? だから、双子のお兄さんの真似をして、下着や喋り方まで……。

 いいの、全部先生わかってるから! だから心配しないでっ……」


 七緒の声は掠れている。



(……げっ、マジかよ! こんな茶番みたいなインスタント人生相談で泣いちゃうわけ? 箱入り育ちって)


 そう思っている晴矢ハルヤの目に、個人指導室のドアの覗き窓が見えた。


 ――なんと、廊下で待ち構えているクラスメイトの箱入りお嬢様たちが、揃ってハンカチを目に当てて感涙していた。


 ……無性に、地平線の果てまで逃げたくなった。

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