●第四話● お嬢様学校という名の監獄

 とはいえ、である。

 

 ぶっちゃけ、斎院さやという苗字は、聞いたことがあった。



〈イン・ジ・アイ〉に渦巻く情報の坩堝に頼らずとも、日本人なら常識だ。

 その苗字は日本を代表する複合企業コングロマリット創業者一族のそれで、今は経営の主軸から離れたが、依然として強い影響力を残しているという。


 確か、斎院さや重工業の現役会長職がまだこの姓を名乗っていたはずだ。

 おそらく斎院深羽みはねは、斎院家を代表してこの桜ノ宮女学院さくらのみやじょがくいんに入学した、一族の――……。



 そんな風にごちゃごちゃと考えていた、その時だった。

「――神埜じんのさん、神埜さーん? さあほら、自己紹介をどうぞ」



 晴矢ハルヤが今日転入することになった一年A組担任を務める、妙齢の女教師――七緒綾子ななおあやこが、そう促してくる。



(……いや、だからさ。ちょっとは待ってくれよ、マジで。

 斎院さやって苗字についてのウンチクについて考えたりして現実逃避してるとこなんだから、担任オトナならわかってくれっての)



「神埜さん? 大丈夫?」

 黙りこくっていると、長い髪を後ろできっちりと纏めた七緒が、顔を覗き込んでくる。

「もしかして、具合でも……」

「……い、いえ。大丈夫……」

(な、ワケあるか。今にも卒倒しそうだっつーの!)



 晴矢ハルヤは、悪夢でも見ているような気分でゆっくりと目を上げた。

 女だ。

 どこを見ても、見事に女だらけ。

 女たちが、山のように連なって晴矢ハルヤを見ている。


 それも、どこかで見かけたことのあるような顔がちらほら。

 間の抜けたバラエティや音楽番組じゃなく、お堅いニュースの端っこで見かける少女たちだ。この教室には、有名どころのお嬢様方が集まっている。それも、報道に乗るレベルの。

 知らない顔も、蓋を開けてみればきっと腰が抜けるような名家の娘なんだろう。

 なんてこった。



「……どうも、神埜デス。よろしく」



 やっとのことで晴矢ハルヤが小さい声を絞り出すと、歓迎の温かい拍手が教室に満ちた。


「神埜さんは、中学校までは普通の学校に通っていました。

 皆さんは幼稚部から桜ノ宮女学院さくらのみやじょがくいんに通っている方がほとんどですけど、彼女にはわからないことも多いと思います。


 ――特に、我が桜ノ宮女学院さくらのみやじょがくいんの特殊科目である〈駆除科〉に関して戸惑うことも多いでしょう。

 クラスで一丸となって、彼女をサポートしていきましょうね」


 

 七緒が両手をきゅっと握って言うと、


「「「はぁいっ!」」」


 爽やかな返事が、何十奏にもなって教室中から帰ってきた。


 ここは幼稚園か? と、思わず突っ込みたくなる雰囲気だった。

 ニコニコ笑って、保母さんみたいに七緒も頷いている。

 なんだろう、このやたらと現実離れした牧歌的な空気は。

 

 今日から晴矢ハルヤは、本当にこの中で生きていくのだろうか?



 ○



 ……それからしばらくの間、教壇の前で公開処刑が続いた。

「はいはいはぁーいっ! 神埜さんは、誕生日はいつなんですか?」

「血液型は? 趣味は?」

 次々に手を挙げるお嬢様達から、晴矢ハルヤは質問責めに遭った。


「……えーと。五月二十日生まれ、双子座のAB型。趣味はゲームと勉……読書。特技は――」



 個人情報を山ほど話して、やっとのことでお許しが出ると、晴矢ハルヤは七緒に指示された自分の席にとっとと座った。



(――誰も見るな、俺を見るな)



 拳を握りしめて眉間を寄せながら念じたのが通じたのか、クラスの注目はすぐに教壇に移った。

 しかし、ホームルームが始まってしばらくすると、肩をツンツンと叩かれた。


「……?」


 顔を上げてみると、隣の席の女子が晴矢ハルヤを見ていた。

 肩に届く程度に伸ばした髪を切り揃えた彼女は、ちょっと笑ってこちらにぺこりと会釈してきた。


「あ……」

 無視、はないよな。さすがに。


「ども」

 目立たないように、晴矢ハルヤも小さく頭を下げた。

 口許に指を伸ばした手を当てて、その子は囁き声でこう言った。


「はじめまして、神埜さん。あたし、鈴耶月穂すずやつきほっていいます。

 あのね、桜ノ宮女学院さくらのみやじょがくいんでは、皆名前で呼び合ってるんだ。

 だから、月穂つきほって呼んでくれるかな。

 神埜さんのことは、なんて呼べばいい? 晴夏ハルカで平気?」

 

「あ……、ええと」

 

 一瞬、戸惑う。

 呼称問題か。

 通りのいいあだ名なら持っている――〈あの天才・神埜晴夏ハルカの兄貴〉だ。

 生まれてこの方、どこへ行っても天才系変態妹の名がついてまわる人生である。


 が、当然ながらちっとも気に入ってない。

 少し考えて、晴矢ハルヤは答えた。


「……じゃあ、ハルで」

「ハル?」

「そう。ハル」


 家でも学校でも、〈ハル〉なんて呼ばれたことはない。

 けど、晴夏ハルカと呼ばれるよりは抵抗がないし、呼ばれて反応し忘れることもなさそうではある。

 月穂は、こくんと頷いた。


「わかった、ハル、ね。

 ハルは、桜ノ宮女学院さくらのみやじょがくいんに来たばっかりだし、きっといっぱい不安なことあるでしょ?

 あたしも最初そうだったよ。

 でも、大丈夫。

 皆お家は凄いけど、案外普通の子たちばっかりだから。でも、家も含めて一番普通なのは、たぶんあたしだけど」


 ここは笑うところなのかどうか、月穂は小さく〈えへへ〉と笑い声を立てた。

 笑うと、目がなくなってしまうような優しい顔だった。

 とりあえず晴矢ハルヤも笑ってみると、月穂は嬉しそうにはにかんだ。


 すると、ふいに壇上に立つ七緒と目が合った。

 けれど、今日だけは特別ということか、七緒は片頬で微笑み、すぐに晴矢ハルヤから視線を逸らした。

 晴矢ハルヤと一緒になって息を殺していた月穂は、安心したように囁いた。


「……これから仲良くしようね、ハル」

「そう……、だ、ね……」


 頷きながらも、晴矢ハルヤは目を丸くした。


(……なんだろう、これ。女の子って、こういうもん?)


 この桜ノ宮女学院さくらのみやじょがくいんの女どもは、誰も彼もが異様なほどに親切だ。

 それとも、親身に見えてアレか?

 しばらくすると便所に呼び出されてシメられたり、集団でシカトされたり、悪口を書いた小さい紙がまわってきたりするのだろうか。

 ……なんだか、考えたくない。



 すると、ふいに一時間目開始を告げるチャイムが鳴った。

 それは――、本格的にこの桜ノ宮女学院さくらのみやじょがくいんでの晴矢ハルヤの生活が始まったことを知らせる、牢獄の鍵が永遠に下りる音に聞こえた。




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 第四話まで読んで頂き、本当にありがとうございます。


 第五話は一週間以内に公開する予定ですが、ちょっと込み入った世界観の説明だったりするので、さらりと読み流してもらえたらと思います。

 一応続きの話と一緒に公開するつもりです。

 引き続き読んでいただけたら本当に嬉しいです!

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