●第一話● 女の子になってしまった!

「……お兄、起きろ! 時間だよ、ほら、お兄っ‼」

「んん……? なんだよ、もう朝……?」

 妹に思いっきり肩を揺さぶられて、晴矢ハルヤは寝惚けまなこを擦った。

晴夏ハルカ……? 今、何時……?」

 脳内に直接情報を送ってくる〈イン・ジ・アイ〉で、時刻を確認する。


「……おい、まだ七時前じゃないか。飛行機の時間は昼すぎだぞ……」

 晴矢ハルヤは今日、アメリカへ発つ。

 今度この家に帰ってくるのは、いつになるかも決めてない。晴矢ハルヤは、布団を引っ被った。

「昨夜は準備で遅かったから、まだ眠いんだよ……」



 ……しかし、滅多に晴矢ハルヤのことなんか構いもしない晴夏ハルカが、なんでわざわざ部屋まで起こしにやってきたんだろうか?

 今日でお別れだから、コイツなりにいろいろ考えるところがあるってこと?

 わからん奴だ――と疑問に思うが、今はとにかく眠い。



「もう。相変わらずお兄は呑気だなぁ」

 布団の中で丸くなっている晴矢に、晴矢ハルヤとそっくりの顔をした晴夏ハルカが、呆れたようにため息をつく。


「今日は新生活の始まりの日なのだよ?

 早くに起きて、新しい頭と体に感覚を慣らしておくに越したことはないだろが」

「んん? なに言ってんだよ……。向こうで新学期が始まるのはまだまだ先だぜ。日本と違って、秋からだもん。

 着いてからだって、かなり余裕はあるっての……」


「違うよ。お兄にとっては今日が始まりなんだよ。

 よく考えてみろ。このボクが言うことに、今まで一度でも間違いがあったか?」

「なんでもいいからもう少し寝かせてくれよ。せめて、あと五分……」


「五分、ね。なら、せいぜい短い惰眠を貪るがいいよ。だが、ただの二度寝じゃもったいない。

 知ってるだろうが、ボクは無駄な時間を過ごすのが昔から大っ嫌いなんだ。この時間を利用して、お兄にの悦びを教えてあげることにしよう」


「オンナぁ?」


 妹が、またなんか変なこと言ってやがる。

 ……まあ、妹が変なのはいつものことだけれど。

 昔は偏差値やらIQやらで競ったこともあったが、それも昔の話。

 もはや追いつけるかもなんて希望すら抱く余地のない歴然とした差がついている。

 劣等感を持ったこともあったが、今ではこのエキセントリックな妹に同情すらしている。


 だって、コイツはこの春から――、折り紙つきのお嬢様学校にぶち込まれるのだから。

 女というだけで最先端の学問を探究できるアメリカ留学の道を閉ざされ、世のため人のためとかいうご大層な名目の下、世俗から隔絶された全寮制女学院で生きるなんて――。

 ……晴矢ハルヤなら、軽く死ねる。



 ベッドに潜り込んできて、なにやら下の方でゴソゴソやっている妹に、晴矢はよしよしとしてやる気で言った。

「心配すんな、晴夏ハルカ。おまえの代わりに、俺がアメリカでトップの研究者になって帰ってくるから……。……って、うおォッ⁉」


 突然、晴夏ハルカの手がズボンの中に忍び込んできて、晴矢ハルヤは奇声をあげた。ズボンの中のみならず、パジャマのボタンを外してもう片方の手がやすやすと肌を滑っていく。妙なところをまさぐられ、晴矢は悲鳴を上げた。


「ギャアアア⁉ ……おい、おまえ、なにやってんだよっ⁉ よせって、この馬鹿……ッ!」

「馬鹿? それは自分より頭の悪い人間に使う表現だよ、お兄。この場で使うのは間違ってる」

 そう言いながらも、どんどんと晴夏ハルカの手がパジャマの中で進撃を続けてくる。

「いや、だから、やめろってッ……‼」


(……な、なんなんだよ、コイツは⁉)

 妹が晴矢ハルヤと違って性に対しても好奇心旺盛かつ勇猛果敢なのは知っている。

 晩生おくて晴矢ハルヤはさんざん馬鹿にされてきた。

(ああ、クソ。妹のくせになんて奴だ、この天才系ビッチめ……!)


 が、そうは言っても、こんな風に兄の晴矢にまでこんな風に手を出してきたことはなかった。

「おいっ! 悪い冗談はよせ、もう起きるから!」

「あと五分、だろう?

〈イン・ジ・アイ〉が報せるところによれば、まだ一分三十六秒残っているが。武士に二言はみっともない。さぁ思う存分寝ておけ、お兄」

「だだだ、だからやめろっての‼」


 ちょっと本気になって、晴矢ハルヤは声を荒げた。

 別れの朝にするにしては、冗談の度合いがキツすぎる。


 無理やり妹を引っぺがして起きようとしたのだが、代わりにまたベッドの上に押し倒されてしまう。


 ……いや、力づくでって⁉ 男女の力の差、ドコいった⁉

 妹は悪魔みたいな奴だが、手足なんかは華奢そのもので、筋力なんか、体のどこを探してもカケラもなかったはずだ。

 それなのに……。


「まだダメ。お兄の提示した五分のタイムリミットまで、あと四十三秒、我慢するんだな」

 ニタァッと悪魔的に笑って、晴夏ハルカ晴矢ハルヤの腹辺りに跨り、見下ろしてくる。


「もう一つ教えといてやろうか、お兄。据え膳食わぬは男の恥なのだよ?

 男の前で服を肌蹴はだけて眠りこけたりしたらどうなるか、ボクがこの身をもって実践してあげよう」

「男って、さっきからおまえ、なに言って……。

 ……わ、わわっ。あ、あれっ……⁉」


 ――ふいに、自分の体に猛烈な違和感を覚えて、晴矢ハルヤは反射的に起き上がろうとした。


「離せ、晴夏ハルカ‼」

「お馬鹿さん。はオマエなんだよ、お兄」

 そこまで言うと、晴矢ハルヤ相手に猥褻行為を働いていた晴夏ハルカがふいに動きを止めて、むっくりと起き上がった。

「――と、思ったけど。五分経過したね。この辺でやめてやるかな。武士ではないが、このボクに二言はないからね」


 顔に火がついたみたいになって全身に嫌な大汗をかいている晴矢ハルヤを尻目に、妹がさっさと立ち上がる。

 ぜえぜえと肩で息をして、晴矢ハルヤも起き上がった。

「おっ……、おいっ……。晴夏ハルカっ……」

 兄としてちゃんと文句を言おうと、妹を見ると――なぜか晴夏ハルカは、昨夜用意しておいた一張羅のスーツを着ていた。


「お、おまえ……。なんで、俺の服を着てんだよ?」

「だから言っただろうに、あいかわらず理解が遅いなぁ。同じことをもう一度だけ言ってやるからよく聞け――今日からそちらさんが晴夏ハルカなのだよ、お兄」

「はっ……⁉ な、なに言ってんだよ。どういうことだよ、それ」

「わからないことをすぐ人に訊くな。自分で考え、調べる癖をつけろ。……ってのは、お兄の口癖じゃなかったかな?

 そういうことは鏡見てから言うんだね。それじゃあ先にリビングに降りてるよ」


 そう言うと、晴夏ハルカは急にわざとらしく口調を変えた。

「――今日はお兄ちゃんが出発する日なんだから、早く支度しておまえも降りてくるんだ。いいな? 晴夏ハルカ

 それだけ言うと、晴矢ハルヤの服を着た晴夏ハルカはさっさと部屋を出ていってしまった。



 部屋に残されて、晴矢ハルヤは一人眉間を寄せて考えてみたが、やはり意味がわからない。

「……なんなんだよ、アイツ?」

 頭を軽く振って、とりあえず晴夏ハルカに言われた通りに鏡を見てみると――。


 姿見には、あられもなくパジャマが肌蹴ている――晴夏ハルカが映っていた。


 晴夏ハルカは、確かに今、階下に行ったというのに。

「……え……、……え……、え……?」

 目ん玉が飛び出しそうなほどに、晴矢ハルヤは目を見開いた。


 手が、震える。おそるおそる自分の体を見てみると、ささやかな胸の膨らみと、それからあるべきものが消失した股間が目に入った。

 渡米に向けて舐められまいと鍛えてきた筋肉はどこかへ消えて、代わりに小さな肩幅の細い体に脱げかけのパジャマが汗で張りついている。

 家が揺れるほどの勢いで、晴矢ハルヤは絶叫した。



「……えええええ――――――――⁉⁉」





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