第17話 あまくに みか

 ——森のこころを感じるんだ。


 ルナイと繋がった時、オレは声を聴こうとした。だから、今度も——。


「みんな、ごめん。頼みがある」


 三人が神妙な表情で振り返った。オレはぎゅっと拳を握りしめる。


「悪いけど、あの化け物に食べられてくれないか」


「はあ?」とカルロ兄さん。

「ちょ、クレタ様?」とハレー。


 あはは、と笑ったのはアズールだった。


「服が汚れるのは、ちょっと嫌だなぁ」

「アズール様! なに呑気なこと言っているんですか!」


 思わずハレーが主君にツッコミをいれる。


「クレタ。策があって言っているんだろうな」


 カルロ兄さんの鋭い目がオレをとらえた。その眼光の強さには「お前を信じていいのか」と問われているような気がした。


「ああ、この状況をひっくり返す策がある! オレを信じろ!」


 風が波を運んで、水飛沫が降りかかる。オレは三人を見回した。



「仕方がないですね、クレタ様。のりましょう!」


 ハレーはそう言うと、クレタを思いっきり突き飛ばした。



「クレタ様! ひどいです! 聞いてませんよ! こんなルヌルヌベロベロの化け物と戦って、勝ち目なんてあるわけないじゃないですか!」


 ああ〜おしまいだー! とハレーは大袈裟に叫び声をあげて、化け物の方にヨロヨロと近づいて倒れた。


「みんな食べられちゃうんだー!」


 ハレーはチラッとアズールに目配せをする。


「わたしは青の国の王アズール! こんなところで化け物に食われる運命だとは……! ああ、なんて嘆かわしい!」


 胸を抑えて、アズールはノリノリの演技でハレーの隣に倒れ込んだ。最後に残ったのは、カルロ兄さんだった。


 引きつった表情で倒れ込んだ青の国の二人を眺めて、それからオレに視線を移した。


「く、クレタ。オマエというのは、なんというやつだー。俺たちをくもつにして、にげるとはー」


 多少棒読みだったが、三人の演技は混沌の化け物とリライの気を引きつけたようだった。



『くすくすくす』


 リライが笑った。


『ムーンフォレストの主が、仲間を見捨てて逃げ帰ったなんて、めちゃくちゃ面白いよね』


 ねえ、とリライは混沌の化け物の頭を撫でる。


『あの三人、食べちゃおっか』


 応えるように灰色の海から、化け物の足が現れる。船が大きく揺れ、腐臭が辺りに漂った。胃の底を刺激され、吐き気が込み上げてくる。


『みんな、混沌に戻ればいいんだ』


 見下ろしながら、リライがぽつりと言った。


「それがお前の心の声なんだな!」


 驚いた表情のリライが振り返る。ルナイの手を握ったオレは混沌の化け物の上に降り立つ。


『いつの間に——』


 飛び退こうとしたリライの手を強引に握った。

 途端、オレとリライの間から光が弾けた。




****



 ——どうして。どうして。


 漆黒の闇の中から、声がした。リライの声ではない。子どもの声だ。


 ——にんげん。きらい。

 ——ぼくの、ものだったのに。

 ——かってにやってきて、うばわれた。

 ——きらい。きらい。ひどいやつら。


『よお、化け物』


 ——ばけものじゃない。


『じゃあ、なんだ? 何色にもなれなかった先住民とでも呼べば満足か?』


 闇の中からポッカリと白い顔が現れた。青紫銀の髪と夜蒼の瞳を持った少年。


『お前、居場所ないの?』

 

 少年は混沌の前にしゃがみ込むと、小馬鹿にしたように笑った。


『影は光。俺たち元々は同じものなのにな。どうして仲良くなれないんだろうな』


 ——おまえたちのせいだろう。


『そうだな』


 節目がちに少年は答える。


『なあ、人間はどうして戦うんだと思う? どうして戦うことをやめられない? あいつら、いつもそうなんだ。自分と違うものを見つけて、排除しようとする。幼い子どもたちだって、自分を守るために誰か一人を吊し上げて、生きるすべを身につけているんだ』


 ——いけにえ。こっけいだ。


『そうだな』


 少年はその場に仰向けになる。混沌がそれを上から覗き込む。


『俺を食うか? いいぞ。俺はもう疲れた。疲れたんだ』


 少年は目を閉じた。ようやく、安心して眠れる場所を見つけた旅人のような、穏やかな表情をしていた。


 だが、混沌は少年を担ぎ上げると、頭の上にのせた。


 少年も混沌も、言葉を発しなかった。


『居場所をあげようか、お前に』


 しばらくして、空を見上げたまま少年は言った。


 ——おまえがくれるのか?


『いいや。お前と俺で。ちょうど混沌に呑まれている国が一つあるんだ』


 ——こんとん。ぼくのいばしょ。


『そう。馬鹿みたいな人間がうじゃうじゃいるんだ。俺たちが治めた方が、まだましな世界になるだろうさ』


 ——いいよ。やろう。ぼくたちで。



 闇が渦巻いて、瞬きの瞬間、場面は海の上に変わっていた。



 ——もりが、ちからをとりもどした。

 ——ぼく、きえちゃう。


 真っ黒な髪をかき上げて、リライは体を起こした。黙ったまま、ムーンフォレストがある方角を一心に見つめている。


 ——りらい。なまえ。なまえをくれよ。


『名前?』


 ——うん。なまえがほしい。


『……まだその時じゃない。赤の国はもうすぐ手に落ちる』


 ——でも。


『人間みたいだぞ。名前を欲しがるなんて』


 ——にんげん。うらやましい。

 ——あかんぼう。なまえ、もらえる。

 ——ぼくは。


 ——ばけもの。



「オレが名前をつけてやるよ」


 リライと混沌の記憶に、オレは飛び込んだ。

 リライと混沌の輪郭が歪んで、伸びて、弾けた。



****



『勝手なこと言うな!』


 目の前に怒った顔のリライが立っていた。


『ついさっきムーンフォレストの主になったやつが、何もかもわかったような口を聞くな!』


「ああ、わからない! オレは、まだ、なにもわからないさ」


 でも、とオレはしゃがみ込んで手を伸ばした。リライにではなく、リライの後ろに隠れるようにしている、小さな混沌に。


「わからないから、知りたいんだ。君たちを」


 混沌が顔をのぞかせていた。よく見れば、小さなクラゲのような形をしている。


「それが、君の本来の姿?」


 混沌がうなずいたような気がした。


「名前が欲しいのはさ、特別な存在になりたいからだろ?」


 オレが言うと、隣に立つリライがハッと息をのんだような気配がした。


 リライもわかっていたんだ。混沌の本当の声を。けれど、聞こえないふりをしていた。


「オレはさ、ムーンフォレストの主になって、赤の国の正統な王だってわかっていてもさ、心が揺らぐんだよ。これでいいのかな。オレなんかで、いいのかな、でもやらなきゃ、ダメなんだろうなって。強い力を持っていてもさ、怖いって思うんだよ、本当のところはさ」


 でも、とオレは混沌の、そのいくつかある足の一つに触れる。


「それが人間なんだ。愛する心も弱い心も、穏やかさも、憎しみも。色んな感情を行き来するのが、人間なんだ。だから、力を貸して欲しい」


 リライを仰ぎ見た。


「すぐに道を踏み外しそうになる、オレたちを。見守ってくれないか」


 立ち上がって、今度はリライと視線を合わせる。黒い瞳が揺らいで、閉じられる。リライの輪郭が光っているような気がした。


 小さな混沌が浮かび上がって、リライの頭にのっかった。その様子は、オレとアルテミスの様でもあった。


 ——なまえ、くれるのか。

 ——ぼくなんかを、あいしてくれるのか。



「ああ、名前をやるよ。オレは、ムーンフォレストの主だからな。まあまあ、偉いんだ。だから、お前にも居場所をあげるよ。オレの隣でよければ」





書き手:あまくにみか https://kakuyomu.jp/users/amamika

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