第16話 十六夜 水明
『くすくすくす──』
またあの声だ。
先程までの、遠くから聴こえるような感じはしないな。
大波の比ではない、耳にへばりつくような声。
不愉快極まりない音。
あの海の化け物からの声ってことか。
かなり遠くに見える、海の化け物を観察しながら、更に耳を澄ませた。
『すくすくすく──』
やっぱりだ。
どこか、ルナイのような不思議な雰囲気を持っているような気がする。でも、何かが違う。
ルナイは、光るような白い音なんだ。
それに対して、これは全てを呑み込むような闇の音。
色々なものを、集めて煮詰めたような……そう、混沌みたいな。
「ねぇ、カルロ兄さん。なんか声、聴こえない?」
これは、他の人にも聴こえているのだろうか。それにしては、誰も反応しない。
「? いや、何も。お前は聴こえるのか?」
「……うん。さっきも聴こえた嫌な声だよ」
「そうか。また、化け物に魅入られたんじゃないだろうな」
やはり聴こえないんだ。他の人には。オレにしか聴こえないんだ。
「大丈夫。今のクレタからは、城でのような嫌な気配はないからね」
だから安心して、と船の帆を器用に操りながらアズールはそう言った。
「ありがとう、アズール。君にも声は聴こえないかい?」
「……。うん、僕には何も聴こえないや。ただ、そこらじゅうに城で観たような黒い靄が立ち込めてるのは分かるよ」
少し目を伏せ、考えたような素振りをし、アズールは答えた。
「それも真の王の力……なのか?」
オレとアズールの会話を横から聞いていたカルロ兄さんが、突然聞いて来た。
眉を潜めて、じっと俺を見てくる。
「なんで?」
「大したことはない。私には……いや、俺にはお前達のような力がこれっぽっちもない。だから、声も聴こえないし、黒い靄も見えない。改めて、お前達が選ばれた王なんだって思っただけだよ」
少し自嘲気味に言う カルロ兄さんの姿に少し胸がチクッとした。なんでだろう。8年前の兄さんと重なる。
「ッ、そんなこと───」
そんなことない。その一言が出てこない。やはり、自分にとってあの出来事は忘れきれないんだ。
「いいよ。俺に力が無いのは変えようのない事実だ。気にするな」
「カルロ兄さん……」
カルロ兄さんは、そう言ったきりオレに口を利いてくれない。
オレが国を空けていた間、兄さんに何があったんだろう。全てが終わったら、話を聞けるだろうか。
そもそも、オレにそれを聞く覚悟と権利があるのか? 8年間、ずっと居なかったオレが。
そんなことを自問自答していると、
「クレタ様、海の化け物が──!」
「え?」
思考をぐるぐると頭の中で巡らせているうちに、化け物が船に向かって迫って来る?!
というのも束の間。海の化け物は、船の手前で進行を停止した。
これだけ近いと、更にルヌルヌとべろべろが際立って見える。
そんなことを真剣に考えていると、海の化け物の天辺に、ヒト型の何かがニョキッと生え、形作られる。
『何をしに来たんだい? 無力な人間が』
あの声だ。ずっと聴こえていたあの声。
「なんだ?! あの化け物、喋るのか?」
「ら、しいね……。なんか天辺に人がいないか? ヤバい、吐き気が……」
どうやら、この声はみんなが聴こえるらしい。
『人間がいくら群がったって、僕らには勝てないのにね~。それなのに、たった4人なんて。バカなのかなぁ~?』
声は、海の化け物からじゃない。化け物の天辺にいる人間から発せられるものだった。
「お前は誰だ! リアーナを返せ!」
何処にいる! 、とカルロ兄さんは化け物の天辺にいる人物に怒鳴った。
『あ〜あ、怖い怖い。これだから人間は嫌いなんだよ』
ピーチクパーチクうるさいからね、と冗談交じりに天辺の人物は笑った。
「クソッ!」
「カルロ兄さんは落ち着いて!」
オレは、カルロ兄さんが船から乗り出そうとするのを必死に止めながら、海の化け物の天辺にいる人物を観察した。
「え……」
驚いた。声を失った。
海の化け物の天辺には少年がいたのだ。
ルナイと同じくらいの少年だ。顔立ちもルナイと似ている。でも、少しだけ大人びているかな。
しかし、青紫銀の髪と夜蒼の瞳のルナイと比べて、彼の色は全てが違っていた。
髪も瞳も、深淵のような黒だった。黒の国のあの黒ではなかった。あんな高貴なものじゃない。全ての色を混ぜるだけ混ぜてできたような光を反射しない黒。
混沌の声は、近づくと更に破壊力を増した。そこは一体が嵐に見舞われているようだ。
「一旦、退こう! あまりにも危険だ」
アズールは、コントロールが利かずばったばったと暴れる帆を動かないように抑えながら叫んだ。
「でもリアーナが!」
「リアーナさんは生きているはずだ。見ただろう、あの化け物は動きが鈍い。リアーナさん達はまだ無事なはずだ!」
カルロ兄さんは、リアーナさんのことがきがかりのようだ。オレがなんと言っても撤退することを拒んでくる。
「でも!────」
『その必要はないよ』
その場にいた全員の頭にその声は響いた。
鈴を転がしたような可愛げがあり、しかし凛とした声。
ハレーがいる船尾の方から聴こえた。
船尾に振り返ると、夢の中でよく見慣れている少年の姿があった。
「ルナイ!」
『やぁ、クレタ。久しぶり。』
ルナイは、青紫銀の髪を荒れ狂う海風に流し、夜蒼の瞳には目の前の海の化け物を写し出している。
「でも、どうしてここに? 森から出られないんじゃないの?」
『クレタ達が危険だと思ってね。それに、ここにいられるのはハレーのお陰だよ』
「ハレーが?」
『そう、ハレーが【はじまりの泉】の水を持って来てくれていたから』
だからハレーに感謝するんだよ、とオレ達にルナイは言い聞かせる。
どうやら、森の1部がある場所へなら転移をして自由に行き来できるらしい。森から出られないとはいっても、抜け道があるんだな。
「ねぇ、ルナイ。あの海の化け物の天辺にいるのって人?」
『ん? どれど…………え?』
「どうしたの?」
化け物の天辺にいる少年の姿を見たルナイは、目を見開いて言葉を失っていた。
『う、嘘だろ? まさか、リライ……?』
リライ? リライって、誰のことだろうか? ルナイにとってとても大切な人物であることは、その反応で手に取るように分かる。
『リライ……! ねぇ、リライなの? ねぇ!』
「ルナイ、リライって──」
『リライ! 聴こえてるの?』
ルナイは、オレたちの事など眼中にないようだ。
『ッはぁ~、煩いな。聴こえてるよ、ルナイ』
リライと呼ばれた少年は、ルナイの事を見下すかのように、薄っぺらい笑みを顔に張り付けた。
『今までどこにいたの? 森を飛び出して、どこを旅していたの? どうしてそんなになっちゃったの?』
眉間に皺を寄せ、苦虫を噛み潰したように顔を歪めたルナイは、どこか納得がいっていないようだった。
『どこにって……。そりゃ、ここだよ、ここ。あれから人間界をひと通り旅をしたんだ』
『だからって、何故混沌に呑まれたの?』
混沌。やっぱり混沌だったんだ。 あの不快感は。
『俺は、呑まれたつもりはないよ。まぁ、ただ争いばかりを繰り返しす人間達にはうんざりという程、絶望させられたけどね』
『それを呑まれてるって言うんだよ!』
『違う、俺達は共存しているんだ!』
『っ! リライ、まだ一体化が完全に済んでいない。まだ戻れるんだよ!』
帰ってきて! とルナイが手を伸ばす。
しかし、
『煩いな! お前には関係ないんだよ!』
しつこいルナイに苛立ちを覚えるリライは、腕をこちらに付き出す。
次の瞬間……。
「っ、うわぁ!」
「ヤバい! 船が沈む!」
先程以上の強風が、オレたちの船を襲った。
「ルナイ!」
『はぁ、なにを言っても、君は聞いてくれないんだね』
ルナイは、両手を広げ目を閉じた。
次第に、船の周りに白銀の繊維ようなものが円形に展開されていく。
どうやら、バリアを張ってくれたようだ。
『ふぅ、取り敢えず時間稼ぎは出来るかな。クレタ』
「ッな、何?」
体が強ばっているところに急に声をかけられて、一瞬反応に遅れた。どうしたんだろう?
『リライ……あの少年について君たちには知っておいて欲しいんだ』
「「「「あぁ」」」」
『リライは、僕の片割れなんだよ。月が僕で、太陽がリライだったんだ。リライと僕、2人でムーンフォレストだったんだよ。リライは、僕が引きこもりなのと比べて旅好きでね。時々、色々な国を旅していたんだ。あの時は、僕と喧嘩して森を出ていっちゃってね、そう言えば、あの頃からムーンフォレストは少しづつおかしくなっていったんだっけ。あぁ、話が脱線したね、クレタにはやって欲しい事があるんだ。リライの中に入って、リライに何があったのか探って。君には人の心と自身を繋ぐ力があるはずだからね。そして残り3人はクレタを守って欲しい』
いいね? という問い掛けに全員が真剣な面差しで頷く。
人と自分を繋ぐ? 一体どうやったら……
〈ルナイと繋がった時と同じよ!〉
ル、ルーナジェーナ?!
え、それって一体どうしたら……。
書き手:十六夜 水明 https://kakuyomu.jp/users/chinoki
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