第7話 あまくにみか

 鈍い痛みを感じて、オレはこめかみを押さえた。


「思い出しましたよ、父上……」


 低い声が出た。記憶の底にある、寒々しくて、ねっとりと暗い場所から這がってきた声。

 ダーリオの表情が一瞬引き攣ったのをオレは見逃さなかった。


 このまま掴みかかってやってもいい。

 父とカルロ兄さんがオレを陥れたことを、この場で暴露してやってもいい。そうすれば誰もが「なクレタ様が、英雄となって帰ってきた!」と、御伽話の英雄のようにオレを担いでくれるだろう。


 ——だが。

 それは違うと思った。オレが、今やるべきことはそんなちっぽけな復讐ではない。


 ゆっくりと目を閉じる。まぶたの裏には、ムーンフォレストの光景が見えた。大地を潤し緑を萌えさすめぐみの光。繋がっている。ムーンフォレストの主として、オレは愛を届けたい。


 例え、愛されていなくとも。そこに、大きな溝があろうとも。歩み寄ることを、諦めたくない。


 ——だって、オレは。


「オレはムーンフォレストの主であり、赤の国の王だ」


 目を開いて父親を見つめた。

 ダーリオも、フィオレも、バートも。誰もが目を丸くしてオレを見ている。畏れと驚愕に満ちた表情で。


「瞳に……! 炎を宿しておられる!」


 バートが叫んだ。


「クレタ様こそ、赤の国の正統な王!」


 まず先にバートが片膝をついた。それに倣うようにして、ダーリオの側近や衛兵たちも一斉に片膝をついて忠誠を表した。

 動かなかったのは、ダーリオとフィオレだけであった。


「おいおい。お前ら、騙されるな」


 風がさっと吹いた。真っ赤な花弁が、一枚、また一枚と城の中に入り込んでくる。


 振り向くと、開け放った窓からカルロが顔を出していた。手にはカメリアの花があり、乱暴に花弁を引き千切っては投げ捨てている。



「突然帰ってきて、炎を見せつけ、オレは偉いから跪けだと? ふざけるな! こいつは民を裏切ったんだ!」


 カルロが投げつけたカメリアの花が、オレの頬に当たった。

 


「こいつが王座から逃げ続けた八年間、誰がこの国を守った? バート、言ってみろ!」


 目を剥いてカルロは叫ぶ。名指しされたバートは、オレを見てから申し訳なさそうに目を伏せ、声を震わせた。


「……カルロ様でございます」


「皆、こいつの魔術に騙されるな! 力があるならば、本当にこいつが赤の国の王ならば、天災から意図も簡単に民を守れたはずだろう? なのに、こいつはそれをしなかった!」


 カルロの言葉に、先程まで忠誠を表していた者たちが、よろよろと気まずそうに立ち上がり始めた。


 その時。

 オレは「声」を聞いた。その場に満ちていく、声なき声。

 隙間から煙が入り込んで、やがて充満していくように、その「声」たちは大きくなってオレに襲いかかる。



『カルロ様の言う通りだ』

『騙されるところだった』

『力があるなら、あの時どうして守ってくれなかった』

『私たちはずっと、耐えてきたのに』

『守ってくれなかった』

『信じられない』


『この男は、信用できない!』



「ま、待ってくれ! オレは——!」

「裏切り者を捕まえろ! 赤の王、カルロが命じる!」


 衛兵たちがオレを捕まえようと手を伸ばした。


「クレタさま!」


 アルテミスがオレの前に立ちはだかった。


 ポップーン!


 場違いな可愛らしい音と共に、ピンク色の甘い香りのする煙幕が立ち昇る。


「一旦、退却デス!」

「色々突っ込みたいことあるけど、助かった! アルテミス」


 オレは床に落ちていたカメリアの花を拾い上げると、窓の外からわめいているカルロの顔めがけて投げつけた。


「ぎゃふん!」


 カルロが情けない声をあげて倒れる。カメリアの花が顔のど真ん中に命中した。


「これで昔のこと、ちゃらにしてやるから、兄さん!」


 窓とカルロを飛び越えて、オレは庭へ潜り込む。

 走りながら振り返ると、大の字に倒れているカルロの姿が目に入った。小さな花が当たった程度で倒れてしまったカルロの姿がおかしくって、笑みがこぼれた。


「アルテミス、オレがいなかった間、この国に何があったか知らなくちゃいけない」


 赤い花園を走り抜けながら、オレは空を見上げた。太陽は少し傾いて、黄金色をしている。青空の端が、夜に染まろうとしていた。


 その景色は、オレをひどく奮い立たせてくれた。

 繋がっている。

 オレは、独りじゃない。


「オレは、もう絶望しない!」


「ハイ、クレタさま。とても、素敵なお言葉ですケド。どこに逃げるつもりデスカ?」


 尋ねられてオレは困った。オレがいた頃と城の様子は変わっているように思えた。塀を越えるには高すぎる。城の中に入れば、衛兵がいる。


「どうしたものか……」


異母兄おにいさま、こちらへ」


 茂みから声がして、オレは立ち止まる。金色の大きな瞳がこちらを見ているのに気がついて、一瞬カルロかと思い、ドキリとした。


「エレナ?」

「こっち、ついて来て!」


 ドレスを翻して少女は茂みの中を走り抜ける。慣れているのだろうか、足取りは迷うことなく庭を駆け抜けていく。


「ここよ、飛び込んで!」


 赤い花の群生に向かって少女は身を投げる。地面に体が叩きつけられると思いきや、少女の体はするりとその場から消え失せた。


「え?」


 困惑するオレの遥か後方で「探せ!」とカルロのわめく声が聞こえてくる。


「クレタさま、突っ込メー!」


 アルテミスがオレの背中を押した。抗議する暇もなく、オレの体は赤い花に包まれる。そのまま、地面の中にオレは落ちた。


「痛ッ!」

「クレタさまは、よく穴に落ちますネ」


 遅れて安全に降りて来たアルテミスは、オレの頭に着地する。見上げれば、花々が覆い被さり天井となっている。


「驚いた? ここ秘密基地なの」


 癖のついた赤茶色の髪をなびかせて、少女は自慢気に言った。


「エレナ、だよね?」

 

 尋ねると少女はお腹を抱えて笑いだした。


「ぶぶー。ハズレ! あたしはセレナ。エレナとは双子なの!」

「ああ、どうりで……似ていると思った」


 オレは頭を抱えてその場に座り込む。


「エレナは優等生だけど、あたしはぜーんぜん。ピアノなんて退屈しちゃう。そんなことより、異母兄さまの方が刺激的! ね、ワイン飲む?」


 セレナはオレの前にあぐらをかくと、どこから出してきたのか、ワインを差し出した。


「だめだめ。子どもが酒を飲むなんて」


 ワインを取り上げると、セレナは手を叩いて笑い出す。


「ウソだよ! それ、ただのいちご水!」


 オレはため息をついて、両肩を下げる。妹というのは、こういう悪戯をするものなのだろうか。


「ね、あたし退屈は嫌いなの。クレタ兄さまは、あたしを退屈にさせないよね?」


「どうして欲しいんだ?」


 尋ねると、セレナは金色の瞳を大きく見開いて顔を近づけてきた。


「カルロ兄さまより先に、あの海の化け物をやっつけてみせてよ」




書き手:あまくにみか https://kakuyomu.jp/users/amamika

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