第6話 十六夜 水明
▣8年前▣
僕が、父上とカルロ兄さんに呼ばれたのは、ずんと重い日の光を通さない雲で覆われた午後。薄暗い父上の執務室だった。
「……父上、ただいま参りました。なに用でしょうか?」
僕は恐る恐る、少し声を上ずらせながら声を発したんだ。何でも、僕がここに呼ばれることなんて今までで1度もなかったから。
「よく来たな、クレタ。今日は、お前の母について話がある」
「っ?! 母上ですか! 母上の居場所が分かったのですか?」
そう。1年前、母上は姿を消した。ずっと今までで一緒にいてくれたのに。守ってくれたのに。突然いなくなってしまったのだ。
「まぁ、そう興奮するでない」
「そうだよ、クレタ。そんなに急がなくても、義母上様とは直ぐに会えるよ」
聞いているのは、2人の優しげな言葉のはずなのに嫌な違和感がある。
なんて言えば良いのだろうか、黒い靄がかかっているみたいだ。
「それで、それで母上何処に!」
でも、今はそんなことを考えている暇はない。一刻も早く母上に会いたいんだ。
それ一心に父上に問うと、勿体ぶったようにその口は開かれた。
「お前の母はな、
────『ムーンフォレスト』にいる」
「?! ムーン……フォレスト?」
聞き覚えのない土地の名前に、僕は混乱した。そして、その単語を聞いた直後に父上を中心に先ほどまで感じていた黒い靄が一層濃くなった感じがした。
目を凝らすと可視出来る程のそれは、執務室一帯を包み込んでいる。
異常なまでもの瘴気を体で感じた。
「あぁ、クレタは知らないんだね。ムーンフォレストは、赤の国と面した大きな森の事だよ。なんでも1度入ったら出てくるのが難しいと聞くよ」
そしてカルロ兄さんからも父上とは、また違う黒い靄が発生しているように見えた。
そして、聞こえたのだ。
『あんな森に
『クレタは単純で楽だなぁ。優しく言えばコロっと騙されてくれるんだもん。これで邪魔なクレタがいなくなってくれる』
これが、嘘か本当か分からない。でも、今まで軽蔑してきた2人の態度がガラッと変わったのを考えると嘘と考えるのが普通だろう。
『人は、嘘をつくと体から黒い煙を出すんだよ』
昔、母上が言っていた気がする。その時も、父上から黒い靄が出てたっけ。
そこからは、もう抑えが効かなかった。
こんな人達といたら、それこそ自分までもがその瘴気に毒されてしまいそうだ。
「──嘘だ」
「なに? クレタ」
「何か言いたい事があるのならば言ってみろ」
ここまで、しらばっくれている姿を見ると笑いが自然と零れてくる。そんなこと、1ミリも思ってないくせに。
「何で嘘をつくの? って聞いたんだよ。父上、カルロ兄さん。母上がムーンフォレストにいるって嘘でしょ」
「何を言っているのだ、クレタ。そんなわけなかろう」
「そうだよ。何で父上と僕が君に嘘をつく必要があるんだい? 1年間ずっと母上様を探してきたと言うのに」
隠されるというのは気持ちが悪い。思っているなら、ちゃんとぶつけて欲しい。中途半端が一番良くないと、僕は感じた。
なにが『探していた』だ。名目上こそ、母上を探すというものだったが、実際は他国への軍事演習だったはずだ。
「探していたのも嘘でしょ、最初から探す気なんて無かったくせに。父上とカルロ兄さんは、僕が邪魔だったんでしょ」
瞬間、父上とカルロ兄さんは、先程までの薄っぺらい笑みを無かったもののように目尻を吊り上げた。金の目がギラギラと光って、凄く怖い顔だ。
これが人の本性か。
そう思わされる顔だ。
「あぁ、そうだよクレタ。お前がいなければ僕は皆から構ってもらえたのに! お前のせいで、力の強い母を持つお前のせいで僕は……!」
「カルロ、もういい。どうせ
「カ……ルロ兄さん?!」
そんな事、知らなかった。僕とカルロ兄さんが比べられていたことも、待遇が違かった事も。みんながみんな、僕達のことを同じように扱っていると思っていた。
「クレタ。お前は、その力が無ければもう少し長生きできたのに。あんな母を持ったせいで、本当に可愛そうだ」
「母上は悪くない!」
「いいや、悪い!! そもそも、王族に嫁ぐのに同色系統の赤で無いのが悪いのだ。あの家は、白の国だけでない。あの青の国の血も引いているのだ。そして、お前もだクレタ。本当に穢らわしい!」
「それの何が悪い! 母上が悪い事ではない!」
「ええい、煩い! お前の母は死んだのだ! 諦めろ!」
「そんなわけない! 母上は生きている!」
怒りに任して、僕は父上に掴みかかった。
否、掴みかかろうとした瞬間。見張りをしていた兵に引き離された。それも強引に。
「ふざけるな! 母上は死んでいない!」
捕らえられてもなお僕は叫んだ。
手足を縛られ、目隠しをされても。そして縄の猿轡をされても。
「ん゛──。ん゛────!!」
そんな中、耳に入ってきたのは父上の優越感に浸った笑い声だった。
「安心しろ、直ぐにお前も母の所へ行ける」
そこで僕は意識を失った。
◐
あれから、どれだけ経っただろうか。
暗い場所だ。何も見えない。手足が動かない。
さっきのは、夢だったのかな。
母上は死んでないし、カルロ兄さんと待遇が違っただなんて信じられない。
もし本当の事なら、これ程までに最悪なことなどないだろう。絶対に嘘だ。
父上とカルロ兄さんのあの黒い靄は、なんだったんだ? それに、青の国と白の国って?
何も分かんないよ。
もう、何も。
全て消えてしまえばいい。
僕と母上だけを残して。
僕は、母上はいれば十分だ。
母上、どこにいるの? どこへ行ってしまったの? 寂しいよ。寂しいよ。
あぁ、母上ももういないのかな。会えないのかな。
嫌だよ。嫌だ嫌だ嫌だ――――。
もう、こんなの嫌だ!
そこで、僕は目を覚ました。ここはどこだろう。どうやら、森の中らしい。あの鉛色の空を見ると、まだ今日であることが分かる。
ゆっくりと立ち上がると、10
やはり、夢ではなかったのだ。あの悪夢は、現実だったのだ。
「父上、カルロ兄さん……!!」
握った拳に爪が食い込む。痛い、痛いけどそれ以上に胸が痛い。ポタポタと生温かい何かが手から垂れる。
「クレタ、お前は殺さない。だが、このままなら、勝手に死ぬだろう。だが、運が良ければ生き延びるだろう。それもまた一興。まぁ、どうせこの森に喰われるだろうがな」
「そうだよ、クレタ。戻って来なくていいよ。そうすれば、ちゃんと僕が王になれるからね」
そう言って、2人は僕を見下し、笑いながら馬車に乗り込んでいく。その目は、勝利を確信した悪者のようにも見えた。
「待って──!」
手を伸ばしても、全力で走っても、僕の手は馬車に届かない。僕を捨てた2人には届かない。今もなお、酷いことをしてきたあの2人に助けを求めるのは正直、自分に腹が立つ。
でも、やはり父親なんだ、兄なんだ。それは変わりようのない事実なんだ。
「ッうわ!!??」
────バタン。
転んでしまった。両膝からは、血がダラダラと流れている。
顔を上げると、そこにはもう馬車は跡形もなく走り去っていた。
あぁ、僕は捨てられてんだな。
僕、死ぬんだ。
もう、疲れたよ。母上。本当にどこに行ってしまったの?
神様にも母上にも、それに父上やカルロ兄さんに見捨てられた僕は、これからどうしたらいいの?
「取り敢えず、歩かなきゃ……」
もし、母上が生きていたら会えるかもしれない。そして、会えたら言ってもらうんだ。
頑張ったね。って。
自然と涙が溢れてきた。涙は手の平に落ちて溜まる。そして、
まるで、これまでの思い出が消えていくように。
そこから、どれだけ歩いたかは分からない。ただ歩いたんだ。何か大きな力に、それこそこの森に導かれるままに。
広い泉がある場所に出た。もう夜になってしまっている。
昼間、あれ程に空を覆っていた鉛色の雲は晴れ、金に優しく輝く月がこちらを見ていた。
そんな中、乾いた喉を潤すために星月が映る泉の水に血が止まった手を付ける。爛々と輝く星月とは正反対に僕の心は未だに曇りだ、いや嵐だな。
そんな皮肉めいた事を思いながら、水を口に運ぶ。星空が映った水を口に運ぶ。
そして、口に流し込む。
まるで『星』を飲むように。
「君、こんな所でなにやってるの?」
暫くの間、必死に水を飲んでいると後方から声を掛けられた。
「……え?」
「ああ、アズール様。なにやってるんでるか!」
僕が、驚いて後ろを振り向くと青い髪の少年と青年が立っていた。
──これが、僕とアズール、そしてハレーとの出会い。
そこから、僕は色々な事を見聞きして8年間ハレーやアズールと共に過ごしたのだ。
書き手:十六夜 水明 https://kakuyomu.jp/users/chinoki
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます