第23話 あまくに みか

 気がつけば、オレは森の中に一人で立っていた。



『なにもない世界に、白がおちた。はじまりの白』



 子どもの歌声が聴こえる。その純粋な声に導かれるようにオレは歩いた。



『目がさめる黄は、古きよき友人まねいた』

 


 甘い香りがして、色とりどりの蝶が飛び交う草原に、少年と少女が座っているのが見えた。



『赤は、心の臓の音。生きるものたちの希望をせおってる』



 歌っている少年はルナイだった。

 そして、隣に座っている少女は母、ダイアナの姿だった。



『黒は月のうらがわの影の色。うつくしさに吸い寄せられる。青はなんにでもなれる、なんでもうつす水の色』



 幼いダイアナはルナイの歌声に合わせて、手を叩いて歌う。




『かきまぜましょう。かきまぜましょう。五つがまざれば、何色になる?』




 そこで歌が終わり、子どもたちは笑い声をあげた。

 オレはその光景を樹々の間から見ている。きっと、これはムーンフォレストと母の記憶だ。


 ムーンフォレストはまだ、何かを伝えようとしているのだろうか?




『ダイアナは強い子だね。今までのどの子よりも、力が強い』

『そうかしら? わたくしはそうは思わないわ』

『強いよ。だって燃える赤色だもん』

『みんなの希望をせおっている?』

『だけど、気をつけて。炎が大きくなれば、森は燃えてしまう』

『……わたくしの、力のせいで?』


 ダイアナが両の手で自分の顔を覆った時、巨大な白い花弁のような光がオレの視界を遮った。


 思わず目をつむり、次に開けた時、目の前の光景が変わっていた。




 森全体が赤く紅葉している。まるで、燃えているような。終わりを告げる前の色。


『ダイアナ。ダイアナ。どうして』


 ルナイのすすり泣く声がする。


 どくん。

 オレは、確かにその時【音】を聞いた。



『どうして、僕を傷つけるの? 痛いよ。やめて。痛い。やめて、痛いよ』


 うずくまり、泣き叫ぶルナイ。真っ赤な落ち葉がまるでルナイの流した血のように見えた。

 それを立ったまま上から眺めているのは、母ダイアナ。その姿はもう少女ではなく、オレのよく知るだった。


 ダイアナは大きく膨れたお腹を抱えて、無表情のまま天を仰いだ。



『わたくしの愛した世界が、壊れていく音がする。わたくしのせいで。だって、わたくしには聴こえるの、人々の心が』


『力を抑えて。心を鎮めて! 主の力は森に影響する。このままだと、ムーンフォレストは悪しき力を抱えてしまう!』


『無理よ! 抑えられない。だって聴こえてしまうの! 太陽が沈んだら月が昇るように、人々の心には影があるの。どんなにわたくしが祈っても、闇は消えない。このままでは……わたくしは。わたくしは、何のためにムーンフォレストの主になったの? わたくしは、どうしたらいいの?』


『ダイアナ、やめて! 僕をこれ以上傷つけないで!』


 どくん。どくん。

 【音】は速く。そして、大きく膨れ上がっていく。


『お腹の子はどうするの? 生まれてくるその子に、世界の美しさを見せてあげるんじゃなかったの?』

 

 ルナイが叫ぶと、ダイアナの目が大きく見開かれた。【音】が止む。ダイアナはその場に膝をついて泣き崩れた。


 森に響くのはムーンフォレストの主の慟哭のみ。


 オレは目を逸らした。初めて見る母の涙。ムーンフォレストの主の孤独と責任。手に取るように、母の心がわかるようだった。


 何か大きなものが、体の中を巡って通り過ぎていったような気がした。



『ごめんなさい、ルナイ』

『ダイアナ、君は何もかも背負いすぎだよ』

『大丈夫。もう、取り乱したりしない。力を抑えるわ。森のためにも、この子のためにも』

 

 決心したような、晴れやかな表情を取り戻したダイアナは愛おしそうにお腹を撫でた。


『わたくしには、わかるの。この子は、きっと次のムーンフォレストの主になる』

『……もう名前は決めているの?』

 ダイアナはにっこりと微笑んだ。

『クレタよ』


 自分の名前を聞いた時、オレの目から涙が溢れた。悲しいわけでもなく、理由のわからない涙だ。


 オレの涙なのか。母の涙なのか。それとも、ムーンフォレストの涙なのか。

 オレにはわからなかった。





『クレタ、ここがムーンフォレストよ』


 十歳くらいだろうか。小さながムーンフォレストの中で遊んでいる。頭の上には、アルテミスが乗っていた。


 その光景を見た瞬間、鈍い頭痛が疾った。

 おかしい。

 オレは、この記憶を知らない。

 まだ思い出していない記憶があるというのだろうか。



『ダイアナ。僕は、なんだか、少し、つかれたみたい。とってもねむいし、寒いんだ。さみしいよ。君がそばにいるのに、とってもさみしいんだ』 



 走り回る小さなクレタを眺めながら、ルナイはせまる眠気から逃れられないようで、苦し気に目を閉じた。顔色は悪く、体がいくぶんか縮んだようにオレには思えた。



『可哀想なルナイ。わたくしのせいね。ついにこの力を抑えることができなかった。ムーンフォレストは悪しき力を抱えてしまった』


女神ダイアナ様』


 聞きなれた声がした。ダイアナが振り返る。


『ルーナジェーナ』

『わたしをお呼びですか?』

『あなたに頼みがあります』

『女神様のためならば、なんでもいたします』

『では、わたくしを地下神殿に埋めなさい』


 ルーナジェーナの息をのむ音が、ここまで聞こえたように思えた。


『理由を教えてください』


 しばらくの沈黙の後、ルーナジェーナが声を落として言った。


『わたくしとムーンフォレストは繋がっています。共鳴、と言っていいでしょう』


 静かに、ダイアナは語り始めた。


『わたくしは、人々の心の声を聴く力を持っています。それはわたくしにとって、天からの恩恵であると同時に枷でもありました。人の心には色があります。白、黄、赤、黒、青。五色が混ざれば、何色になると思いますか?』


『それは……』


 ルーナジェーナは返答せず、うつむいた。

 オレも母の言わんとすることが、理解できた。

 

 ——五色が混ざれば、黒になるのではないか。


『違いますよ』


 心を読んだのか、くすりとダイアナが笑った。


『わたくしもずっと、あなたと同じように思っていました。けれど、やっと、今になってようやく気がつきました』 


 ダイアナは、アルテミスと共に森と遊ぶクレタに目をやる。無邪気な笑い声が遠くから聞こえてくる。 



『ムーンフォレストはあの子を主に選ぶでしょう。わたくしには出来なかった。この世界の人々を、ルナイの心の叫びを止めてあげることが。

 クレタはわたくしの力を受け継いでいます。今は美しい世界しか見えていません。けれどもこのまま成長すれば、わたくしと同じように絶望するでしょう。

 その絶望は、弱ったムーンフォレストにトドメを刺す。だから、記憶と力を封印します』


『女神様……』

『わたくしはムーンフォレストの地下で、クレタが本当の自分を取り戻すその時まで、世界を守りましょう』

『では、その時がくるまでわたしの記憶も封印してください』


 ルーナジェーナは口をぎゅっと結んで、目には大粒の涙を溜めていた。


『わたしは、ついうっかり、喋ってしまいそうです。お母上が地下神殿で独り、世界を守るために耐えていらっしゃることを。ですから、お願いします』


『ありがとう。やさしい、ムーンフォレストの番人よ』


 クレタ、とダイアナは小さなオレを呼び寄せた。アルテミスを頭に乗せた小さなオレが走って母の腕の中に飛び込む。頬を母にすり寄せる小さなオレは、幸せそうだった。



『愛しています、クレタ。お前に全てを押しつけてしまう母を許してください』

『ははうえ?』 


 小さなオレが首を傾げる。

 ダイアナが耳元に顔を近づけて、そっとささやいた。


 その唇が動いた時、オレの体に稲妻が走った。

 オレは母の腕の中にいた。

 小さなオレと、今のオレの姿が重なる。


 甘い香りがした。

 懐かしい母の、ムーンフォレストの香り。



「クレタ。考えることを止めないで。逃げてもいい。生きて。運命から逃げても、あなた自身の心に真っ直ぐに従うのです」


「母上!」


 手を伸ばして、オレは叫んだ。


「答えを見つけて。五色が混ざれば、何色になる? 選択するのは、あなたです」


 指先がダイアナに触れようとした時、光が弾けて飛び散り、目の前は暗くなった。







 すすり泣く声が聞こえる。


 森の、どこか奥で。


 また会うと約束した、あの子。



 ——そうだ、行かないと。





書き手:あまくにみか https://kakuyomu.jp/users/amamika

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