第3話
私は作業しているイヴァルさんにイタチを見せる。
「どうやら食糧庫が崩れた原因はこの子見たいです。」
「なんだ?このモフモフした奴は。知り合いの畑を荒らすイタチがこんな見た目だが、こんな真っ白なイタチ見た事無いぞ。」
木箱をめちゃくちゃにして余計な仕事を増やしたイタチに怒るかと思ったが、イヴァルさんはイタチを優しく撫でながらそう言っただけだった。あまりにも意外な光景だったので、少し驚いていると彼にそれが伝わったらしい。
「お前今怒らないんだって思っただろ?」
「伝わりました?」
「顔にそう書いてる。まぁ日頃怒っている姿を見てるから無理はないな。」
イヴァルさんは声を少し小さくして続ける。
「上に立つ者は無理に怒る必要もあるんだよ。」
兵士という職業は他の職業よりも命の危険性がある職業だ。イヴァルさんは部下達を育てる為に自分の役回りに徹しているのだろう。この言葉を聞いて印象が少し違って見えてきた。
先ほどから喋りながらイヴァルさんの視線がチラチラと抱きかかえているイタチらしき生き物に向けられている事から考えると、もしかするとこの人は思っているより可愛い人なのかもしれない。
私がイヴァルさんの事をニヤニヤとした表情で見ていると、イヴァルさんは何だよ!と少し恥ずかしそうにしていた。
「とりあえずお前はその子に何か食わせて、治療でもしてやれ。」
「そうですね。とりあえず広場の方に行ってエレナさんに見せてきます。」
そう応えるとイヴァルさんは木箱の中から乾燥した肉を取り出して、渡してくれた。
お礼を言って、私は広場まで戻る事にした。
乾燥した肉を小さくちぎって、イタチに食べさせようとしたが、食べる気配はない。お腹が空いている動物ならもの凄い勢いで食いつくはずなのだが、この調子という事はやはりどこかが悪いのだろう。
しかし何かを抱きかかえながら飛ぶというのは、結構大変だ。自分が飛びやすい位置にイタチが居てくれたら良いのだが、イタチは私が空を飛び始めた瞬間、驚いたらしく私の胸元にかなり強めの力でくっついてきた。それも相まって飛びにくいので、食糧庫に向かった時よりも低速で戻るしかなかった。
広場は最初に訪れた時よりもお祭りの準備が進み、より一層活気だっていた。活気の溢れる広場の喧騒を背に、私は広場から少しだけ離れた所にある獣医のエレナさんの元を訪ねた。扉をノックすると少しして中からエレナさんが顔を出した。綺麗な白髪で気品のある貴婦人のような印象のある彼女は、この街唯一の獣医である。
「あらクロユリちゃんじゃない。どうしたのかしら?」
「食糧庫にこの子がいたんです。」
私は抱きかかえていた真っ白なイタチをエレナさんに見せる。
「あら、珍しいイタチさんね。」と言いながらエレナさんはイタチを撫でた。
「とりあえず中で様子を見てみましょうか。」と言いながらエレナさんは私を中に入る様に促した。
中はあらゆる薬品が棚にキレイに収納されており、壁にある本棚には医学系の本や動物に関する本が沢山並んでいる。いかにも医者らしい場所だ。
私は診療台の上にイタチを乗せ、近くにある椅子へと腰かけた。
「それにしても真っ白ね。このイタチちゃん。始めて見たわ」と言いながら、エレナさんはイタチを触診している。
確かに言われてみれば、私も森の近くに住んでいて、結構な数のイタチを目にした事があるが、毛並みも真っ白だなんて見た事は無い。
そんな事を考えていると、エレナさんは一通りの診療を終えたようだった。
「うーん、特に怪我している訳でも無いし、何か病気がある訳でもなさそうね。お腹が空いていたのか、喉が渇いていたのか分からないけど、とりあえずお水を飲ませてみましょうか。」
エレナさんは水を取りに行こうと立ち上がったので、少しでも力になりたいと思い、引き止める。
「私が魔法で水出しますから、エレナさんは座っててください。」
そう言いながら、彼女の手に持っていたグラスに水を注ごうとしたその瞬間、診療台の上に居たイタチが私を目掛けて飛んできて、私の胸元にぴったりとくっついた。この瞬間このイタチが何を求めていたのかが完全に理解できた。空を飛んだ時に胸元へくっついて来た事も加味して考えるとおそらくこの予想は間違いない。
「エレナさん、このイタチ多分魔物です。」
私の言葉にエレナさんは驚く。無理もない。魔物と言えば基本的に凶暴な生き物とされているので、こんな可愛い見た目の魔物がいるとは思わない。私自身こんなに可愛い魔物を見た事などない。森の奥にいる魔物達はどれもこれも凶暴だ。
「それでなんでクロユリちゃんはその子が魔物と思ったのかしら?」
エレナさんは当然の疑問を私に投げかける。
「この子魔力を使ってると寄ってくるんです。最初は食糧庫に居たんですけど、あそこって魔法陣を使って食料を冷やしているじゃないですか。街の中で一番魔力が出ている場所ってあそこの魔法陣なんですよ。だから魔力を求める魔物だったら食糧庫に忍び込んだのも納得できます。」
「それだけだと理由が弱くないかしら?食料を求めるのが生き物でしょ?それで食糧庫を選ぶ可能性だってあるわ。」
「確かにそうですね。でも食糧庫の木箱が崩れていた事を考えると、きっと食糧庫に入って、魔法陣に近い天井へ近づこうとしたら、木箱のバランスがおかしなことになって崩壊。それを聞いた住人がやって来て、食糧庫の隅で隠れてたんじゃないかなと思います。食料を取るだけなら低く積まれている木箱もありますし。」
私の意見を聞いたエレナさんはなるほどね。と呟いたが、どこか納得していなかったようなので、もう少し理由を提示する。
「私がここに向かって飛んでくる時も、飛行魔法を使った瞬間胸に張り付いて来たんです。そして今回水を出そうとした時も同じようにくっついてきました。」
「なるほど。という事は魔法を使うクロユリちゃんから漏れ出てる魔力を吸っているって事かしら?」
「かもしれないです。」
私はそう言うと、イタチの身体に手をぴったりとくっつけて、魔力を注ぎ込んだ。どうやら私の仮説は正しかったようだ。イタチは魔力を注ぎ込まれると、次第に元気を取り戻し、私の身体を駆け回り始めた。イタチのふわふわとした毛が肌を撫でるので、くすぐったい。ひとしきり駆け回ると、次はエレナさんの元へと訪れて同じように身体を駆け回っている。
「ふふっ可愛いわねこの子。」
エレナさんはイタチを手で捕まえて撫でまわす。そのしぐさからこの人が獣医になったのは、生き物が大好きだからなのだろうという事が簡単に分かる。貴婦人のように品があり、凛々しい印象のあるエレナさんだが、動物を見ている眼は純粋な子供の様に透き通っている。
エレナさんにお腹をわしゃわしゃと撫でられているイタチは気持ちよさそうにしている。細長い身体と、ふわふわで長い尻尾が安心からか液体の様に伸びている。そんなイタチを撫でながら、エレナさんは私に静かな口調で話しかける。
「クロユリちゃん、分かってるわよね」
私はこのイタチが魔物であると分かった瞬間に、この子に訪れる未来が1つしかないと分かっていたが、エレナさんの言葉を聞いて、それが現実なのだと改めて思い知らされる。
魔物たちは、森の中に住み、暮らしている。彼らの活動する源は魔力だ。魔力とは生きている者が持っているエネルギーの様なもので、これらを直接食べ、自分の身体に蓄える事で魔物達は生き延びている。もちろん人間もその魔力を有している。
真っ白で愛くるしい見た目をしているイタチも、もし食糧庫を見つける前に空腹の限界が訪れ、そこに住人が居合わせていたら生きる為に襲っていたらだろう。この子が人間を襲わなかったのは、偶然が重なったからに過ぎない。
私は魔物の生態も、共存できないという現実を知りながらも搾り出す様に口を開いた。
「私が飼います。」
「どうやって?魔物なのよ?」
エレナさんは間髪入れず返答した。
エレナさんの言う通りだ。魔物は魔力が足りなくなったら、近くにある魔力を補給しようとする。その瞬間がいつ来るのかは分からない。もし私が目を話している隙にその瞬間が訪れたら、きっとこの子は人を襲うだろう。こんなに小さな生き物でも、口に付いている鋭い牙でリオンなんかに噛みつけば大けがを負う。場合によっては命を落とすかもしれない。それにこの子が魔物としてどんな力を持っているのかなんて分からない。
もしかしたら可愛い見た目であっても、とんでもなく凶暴になるかもしれない。実際に森の中にいる魔物で、通称「指切りリス」と呼ばれているの魔物がいる。この魔物は掌の上に乗るくらいに可愛い見た目をしており、遭遇した人間に寄って来て、懐く。
しかしこの魔物は、同じ様に人間に寄って来て、撫でようとした人間の指を食いちぎる事がある。なぜこうなるのかは全く分かっていない。
つまり私がこの子を飼ったとしても、何かのきっかけで凶暴になり、家から脱走し、私の家に来る街の住民が犠牲になるかもしれない。しかしどうしても諦めきれない。無理なことなど分かっているのにエレナさんが肯定してくれるかもしれない事を期待して口を開く。
「森に逃がします...」
「クロユリちゃん、それがダメな事分かっているでしょ?この街で魔力を補給する事が可能と分かったんだから、逃がしてもこの街にまた訪れるわよ。」
「もしかしたら大人しい魔物かもしれないですよ……。」
「それはあまりにも無責任よ。」
大人しい魔物がいるなんて事はありえない。ありえない事など研究をしている私が一番分かっている。分かっているけれど……。
「クロユリちゃん本当は分かっているでしょ?」
エレナさんは私の心境を見透かしているらしく、宥めるような声で語りかけて来た。
分かっている。この子をどうするべきなのかも分かっている。けれど口に出せない。こんな事を考えている間もイタチは私の胸に張り付き、黒いまん丸の目で見つめてくる。私はイタチを抱きしめる。命を感じさせる温かさと、人間よりも素早く鼓動する心臓の感覚が伝わってくる。そんな目で私を見ないでくれ。
私がこれまで対峙して来た魔物達は全て人間に敵意を向けるものばかりだった。こんなに人間に懐く魔物は出会った事がない。指切りリスの話も知ってはいるし、それがどういう結果を生むのかも知っているけれど、いざ自分が魔物に懐かれると正常な判断が出来ない。
私の目の前にいるこのイタチは、森にいる凶暴な魔物とは違うと信じたい。信じたいけれど、イタチの口から顔を見せる鋭い牙がそれを否定する。逃がす事も、飼う事も出来ない以上私がすべき選択は1つしかない。
出会ってから少ししか経っていないが、この子をもうただの魔物だと思う事は出来ない。しかし私であっても飼う事は出来ない。この子を安全に飼育できるようになるまで、檻に閉じ込めたとしても魔物であれば、鉄で出来た檻など簡単に壊されてしまう。
いくら可愛い魔物であっても、凶暴性を秘めており、それによって人間が犠牲になるのは幾度となく歴史の中で繰り返されてきた。魔物が持つ突然現れる凶暴性を抑え込む術は見つかっていない。つまり私がこの子を庇う選択をすれば、私の事を受け入れてくれた住人達が危険に晒される可能性があるのだ。そんな事は受け入れられない。
ありとあらゆる可能性を考え、思考を巡らせたが、今の自分にはその可能性を掴み取る事が出来るだけの力も知識も無い。
私は覚悟を決め、イタチを眠らせる為に、魔力を込めた。その魔力に反応してイタチは少し興奮気味になったが、すぐに魔法の効果で眠りに落ちた。
私の様子を見ていたエレナさんが、私が薬でやりましょうか?と声をかけてくるが、その申し出を断る。
「私がやります。」
眠りに落ちたイタチを抱きかかえ、診療台の上に載せる。先程まで私達の身体を駆け回っていたイタチは、診療台の上で無抵抗に横になっている。この姿だけを見ると私にはこの子が魔物だなんて信じられない。けれど魔力を与えて元気になったという事は魔物なのだ。この事実は変える事が出来ない。
私はローブからナイフを取り出して、イタチの首元に刃を添えた。
深く息を吸い、目を閉じる。この判断が正しいのだと、仕方ない事なのだと自分に言い聞かせる。そうしなければきっと誰かが傷つき、もっと多くの命に危険が及ぶかもしれない。これは必要な選択なのだ。そんな言葉で自分の無力さを正当化する。
震える手を抑え、ナイフに力を込めた。
イタチの悲鳴がほんの一瞬聞こえたが、すぐにイタチの身体は動かなくなった。先ほどまで感じ取れた体温や鼓動も既に失われ、首元から溢れ出る血が、真っ白だった毛を赤色に染めあげた。
外から聞こえる住人達の喜びに満ちた喧騒だけが、静かな診療所の中に響いていた。
月影の魔女クロユリ らいちょう @Raityou257q
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