エピローグ

 その後の水守探偵事務所といえば、探偵の希望通り殺人事件や難事件が常に舞い込んできて大盛況!

 僕も水守も事件の捜査で毎日大忙し!


 ……なんてことには当然ならず、いつも通りの平常営業をしていた。


「どこかに殺人事件でも転がってねえかな」


 事務所のデスクに足を上げ、リクライニングの性能を限界まで引き出しながら、何時ものように馬鹿が世迷言を語る。

 様子がおかしいのは、鹿撃ち帽にインパネスコートと言ったいかにもな服装だけで十分だというのに、そのうえでこんな奇怪な言動までされてはもはや手に負えない。


「はいはい。どうせ殺人事件の依頼なんて来ないんだから、他の依頼なら来るんだから、そっちを解決しないといけないんだって」


 契約書の整理をしながら、水守に告げる。


「なんでそんなのを解決しないといけないんだよ。俺はもっと百年間誰も解くことが出来なかった屋敷の謎を解いたり、人知れず世界の危機を救ったりしたいんだ」

「そんな事件あるわけないでしょ」


 それに世界の危機を救うのはヒーローの仕事であって、断じて探偵の仕事ではない。探偵の仕事は殺人事件を解決することで……いや、現代日本の探偵にそんな業務はそもそもないのだけど。

 いったいこいつの探偵の業務がどんな範囲になっているのか一度聞いてみたいものだ……いや、やっぱり聞かなくて良いか。一度聞いたら最後、ずっと語られそうな気がするし。


「夢がねえな、夢が。お前には夢が足りねえよ」

「そんな物騒な夢なら足りなくても構わないよ」


 世界の危機を救うってことはこの世界が危機的な状況に陥らないといけないわけだ。そんなのはごめんだし、世界の存続が自分の肩に掛かっていると思うとそれだけで押しつぶされそうになる。そうならないとは思うけど、絶対に勘弁願いところだ。平和万歳。


 似たようなやり取りは体感でもう何百回と繰り返している、いつも通りの軽口を交わす。


「それで今入ってる依頼は?」


 気だるげに水守は尋ねた。


「今は、浮気調査が一件あるだけだね。ただこれはもう証拠となる写真も撮り終えてるから、後は依頼人に説明をして終わり。だから今調査しないといけない依頼は無いかな」


 当然ながら水守のお眼鏡に適うような異質な依頼なんて入っているわけがない。


「そうか」


 水守の奴は、机の上で項垂れた。


「はあ、どこかに俺の心を躍らせるような難事件は転がってねえものかな」


 不服そうな水守であるが、自分はこの現状で何の問題も無いと思う。

 競合他社が少ないこともあり、多少なりとも需要があるおかげで経営は上手くいっている。それで十分だと思うのだ。


「難事件ならこの前来たじゃないか」


 難事件というのは東里さんの事件の事だ。未来から来た東里さんからの、まだ発生していない事件、言わば未発生事件ともいえるあの事件を見事に僕達は解決した。


 もうあの事件から一週間経っていると考えると、時間の流れは恐ろしいものだと実感する。


「あれは難事件だけど殺人事件じゃあなかったしな。一応依頼は達成したけどさ」


 まあ確かに、あの事件の真相は殺人事件ではなかった。

 真相としてはただの自殺。そして僕達は依頼事態は解決したものの、東里さんが再び自殺をしない可能性もない。


 ただ今のところニュースを見ても千紫万紅学園で自殺者が出たというニュースは無かったし、そんな噂も聞かなかったため、少なくとも今はまだこの時間軸では東里さんは自殺を決行したりはしていないらしい。


「せっかく華々しく探偵デビューを飾るつもりだったのに。あんな事件だと、探偵事務所の経歴にも書けやしない」


 水守は言葉でこそ不服を表しているものの、その口調から若干喜色が混じっているため、本気で不満があるわけではないのだろう。


「そういえば、東里さんに神様の目的の話をしていた時何か言い淀んでたけど、あれって結局なんだったの?」


 そういえば、あの事件で水守に聞くタイミングを逃したことが一つあったのを今更になって思い出した。


「何の話だ?」


 とぼけているのかと思ったが、表情を見てみれば本気で心当たりがないようだった。


「ほら、『自殺した奴が本当に生き残りたいかを見たいってところだろう』って推測を立てていたじゃん」

「ああ、あれか。それなんだけど、神様はその生き残りたいかを見てどうしようとしてたと思う?」


 神様が生に執着するかどうかを見て、どうしようと思ったか。


「自殺者を救おうとしてたってことじゃないの?」


 少し考えてみたが、僕にはそれ以外の答えを見つけることが出来なかった。


「まあ間違ってないとは思うが……、俺はそこは少し違うと思ってる」

「そういうと?」


 神様は救おうとしていたわけでは無い。

 そうなると、一体何が目的だったんだろう。


「試練だよ、試練。お前が言ってたじゃねえか。おそらく今回の試練は神様が自殺者ってのは救える者なのかそれとも救えない者なのかを図るための試練だったんだろうよ」


 いまいち水守の奴が何を言いたいのか分からない。救えるものだとか、救えないものだとか何を言いたいのかさっぱりだ。


「神様は柊佳ちゃんの死因について忘れさせただろ。その状態で生にしがみつこうとするかのテストだったんだよ。言い方は悪いが、神様は自殺者の事を最初から作り間違えた欠陥品だとでも考えたんだろ。

 生への執着っていうのは生物の根本的な欲求だ。これが無ければ何も始まらない。だというのにそんな生を自ら放棄するって行為、神様には到底理解出来ないに違いない。だから考えたんだ、そもそもそんな連中は産まれた時から間違ってたんじゃないかってな」


 欠陥品、なるほど。東里さんがいた時に話をしたなかったのはこれが理由だろう。

 えっと、自殺者が最初から何か欠けている人か見極めようとしたという事なんだろうか。多分そう言う事だと思う。


「産まれた時から間違ってたと判断したらどうなるの?」

「俺にも分からねえが、産まれた時から間違ってる欠陥品。神様としても愛する対象ではなく、救えないものだと判断し……産まれた瞬間殺すか産まれないようにする、又は地獄行きってところじゃねえの。情状酌量の余地なしでな」


 産まれないようにするとか地獄行きか、そう聞いてもいまいちピンとこないな。そもそも死後の世界をあまり信じていない僕からすれば、そういったスピリチュアルな世界はさっぱりだ。

 地獄と言うんだからやっぱり窯ゆでとか、鬼に追いかけられたりするんだろうか。


「何はともあれ、そうならなくて良かったね」


 まあよくわからないけども、東里さんはその試練を達成することが出来たという事なんだろう。それなら素直に喜んでいいはずだ。


「まあな」


 水守の奴が気のない返事をする。

 そんな時だった、事務所に来訪者を告げる鈴の音が聞こえたのは。


 中に入ってきたのは一人の少女だった。

 おどおどとした様子で事務所の中に入ってくる。

 その素性に関しては想像は付く。……というか、一週間前は三日間一緒に過ごした相手だ。初めて来たときと同じように学校指定のバッグを手に東里柊佳は事務所の中に入ってきた。流石に制服は汚れてはいなかったけど。


 あの説得の際に言った通り、東里柊佳であることを辞めに来たんだろう。

 まさか電話ではなく、直接来るとは思わなかったけど。名刺に連絡先乗せといたんだけどな。


「おや、お嬢さん。こんな時間に我が探偵事務所にどんなようですかな?」


 いつの間にか水守の奴が探偵モードに入っていた。

 まあ事件の後処理だし、こっちの方が探偵らしいという事なんだろう。東里さんは水守の普段を知っているんだから今更演技しても意味ないと思うんだけどな。

 まあ、やりたいようにさせておいた方がいいか。


「えっと、そのっすね……」

「どうしました?」


 東里さんは何か言いにくそうに、手をツイツイとしている。

 まあ、かくまって欲しいなんてそっちから言い出しにくいよな。仕方ない、ここは助け舟を出すことにしよう。


「あれだよね、匿われに来たんだよね?」


 僕がそう尋ねると、東里さんは一瞬きょとんとした表情を浮かべた。

 あれ、違ったのだろうか。


「ああ、違うっす。違うっすよ! 今回来たのは、そのお礼を言いに来たんっす」


 手を前に出して彼女はブンブンと振って否定した。


「なんだ、そういうことならよかったよ」


 水守も同じことを考えていたのか、先ほどの探偵モードを辞めて元の調子に戻った。


「てっきり覚悟を決めるのに時間が掛ったものだと思ってた。それにお礼を言うだけなら、なんで今まで事務所に来なかったんだ?」


 水守の疑問は僕としても気になるところだ。

 彼女の様子を見る限り、かくまう云々の話については完全に頭になかったようだし、それならこの事件解決の一週間後になったのは違和感がある。


「あのその……お恥ずかしい話なんっすけど、意識がはっきりしたのが飛び降りるちょっとまえだったんっす。その様子を偶然志保ちゃんに見られてたんっすよね。それにもう遺書とかは送った後だったっすから。そのお母さんと志保ちゃんの監視が酷くて、その監視から抜け出すのに時間が掛って」


 ああ、それは確かに時間が掛るだろうな。

 二人からすれば、突然死ぬのを辞めたなんて言われても納得なんかできないだろうし、変な行動には目くじらを立てられて当然だ。

 死のうとした直前に辺りを嗅ぎまわっていた探偵なんて、怪しさの塊しかないだろうし。


「まあ、なんにせよ無事なようで良かったよ」


 水守は心からの安堵の言葉を口にした。

 それに関しては僕も同感だ。


「もう自殺とかはする気ないっすから、安心して欲しいっす」

「そうか、それならよかった」


 そう語る彼女の様子を見て、きっともう大丈夫だと思った。

 何が原因で彼女が吹っ切れることが出来たのかは分からないけども又何かあったとしても、彼女は立ち直れるだろう。そう思わせるような、力強い調子だった。


「あ、そうだ。これ忘れないうちに渡すっすよ!」


 そういって、彼女はカバンの中から何か紙を取り出し、机の上に置いた。

 なんの紙だろうと思って見てみるとそれは履歴書だった。


 ……なんで?


 水守なら何か分かるかとも思ったが、あいつもポカンとした表情を浮かべていた。


「これはいったい?」

「あれ二人共忘れちゃったんっすか」


 不思議そうに東里さんは尋ねるが、僕も水守も心当たりはない。


「ほら、依頼料で自分持ち合わせが少ないから、その代わりに仕事を手伝うって話になったじゃないっすか。だからここで働くために必要かなと思って持ってきたんっすけど」


 そう言えば依頼を受けた際に水守の奴がそんな話をしていたような記憶がある。

 東里さんが消えてしまったせいで、依頼料の話はうやむやになっていたんだった。


「うん。それはありがたいんだけど……バイトして大丈夫なの?」


 自分の職場をこういうのもなんだが、こんな怪しい探偵事務所で働くのをあの母親が許してくれるとは思えない。それこそ自殺騒動の直前で、東里さんの周辺を捜査していたという前科もあるし……いや、それに関しては無かったことになってるのかな?

 うーん、その辺は良く分からないけど、何はともあれこんな怪しい場所にバイトする許可なんておりないと思うけど。


「それに関してなんっすけど、お母さんにバイトしたいって言ったら許可してくれたっすよ」


 ああ、良く考えればそうか。拒否できるわけがないか。

 その時の光景が目に浮かぶ。

 明らかに怪しい探偵事務所にバイトをしたいという娘、母親心としては止めたい一心だろう。

 だが自殺騒動を起こした後なら話は別だ。どれほど怪しくても、それこそ犯罪とかじゃない限り許可してしまうだろう。

 下手な事をして又同じような事件を起こされたら敵わないだろうし。


 東里さんも母親が止められない事は気づいていただろうし、それを知って利用したんだろう。実に抜け目のない子である。


「それに私、ようやくやりたいことを見つけたんっす」


 その言葉で合点がいった。

 彼女がこれほどまで立ち直れたのは夢が出来たことがどうやら理由らしい。


 夢と言うものがどれほど原動力になるのかということは、水守を見ていれば嫌と言う程よくわかる。

 すごいな、こんなにもすぐに見つけれるとは思わなかった。


「その夢のためにお金が欲しいから、まずはここでバイトってことかな?」

「んー、それは違うっす。伊藤さんでも推理を間違えることがあるんっすね!」


 心底驚いたような表情を彼女が浮かべる。そんなに驚かれるようなことではないとおもうんだけどな。

 何でも分かっている、完璧超人とでも思われているだろうか。


「ふふふ、俺には分かるぞ。ズバリ、探偵に憧れたのだろう!」


 ビシッと東里さんを指さし、キメ顔で水守は言った。


 まさかそんなことがあるわけがない、水守じゃあるまいし、そんなことがるわけ……


「その通りっす! 水守さんが推理を当てるなんて今日は珍しいこともあるもんっすね」


 あったらしい、……いや、なんで探偵なんかに憧れるんだ?


 こんな地味な仕事、憧れるような要素まるでないぞ。


「珍しいとはなんだ、珍しいとは。俺は名探偵だぞ!」

「肩書はそうかもしれないっすけど、私の事件結局誰が解決したんでしたっけ」

「うぐ……」


 そう言われると弱いのか水守は言葉に詰まってしまう。


「まあ確かに最後に謎を解いたのは僕だけど、あれは偶然閃いただけだし、水守の捜査がないと分からなかったよ」

「ほれ、蓮もこういってるぞ!」


 一応水守にフォローを入れるとなぜだか、得意げにそう言い放った。

 うーん、フォローしなければ良かったかな。


「探偵になりたいって本気なの?」


 下手にこの話を続けると、いくらでも水守が増長しそうなので、話を本題に戻す。


「もちろん、本気っす」


 真っすぐとこちらの方を見つめる彼女が嘘を付いているとは到底思えなかった。


「そのお恥ずかしい話なんっすけど、オリジナルに戻った時に一瞬死にたいって思ったんっす。

 なんというか自分が自分だと思えなかったんっす。『いい子』であり続けて、その先に何があるのか分からなくて、何もないように思えたんっす。それならいっそ死んだほうが楽になるんじゃないかって思ったんっすよ」


 これが東里さんが本当に抱えていた死因なんだろう。

 『いい子』であり続ける、そういった自分を騙すために重ねたそれらしく見えるだけの嘘を剥がした先にあった本当の理由だ。

 ただそれを自覚したうえで、彼女は踏みとどまることが出来た。


「そこで踏みとどまれたのは……多分二人のおかげっす。その何もなくても生きてもいいと思えたんっす。何かを見つけれるまで、何となく生きてもいいって思ったんっす。

 そのうえで何をしたいか考えて見たら、二人みたいになってみたいと思ったんっす。その……私みたい一見信じられないような依頼であっても真摯に取り組んで、困っている人に手を刺し伸ばせるような人になりたい。そう思ったんっす。

 だからどうかここで働かせてもらえないっすか?」


 そう言って東里さんは、腰を九十度にまげてお辞儀をした。


 どう返答するか困っていると、水守の方を見れば彼は両手を組み頷いていた。

 探偵が乗り気なら、助手としては否定のしようもない。


「普段やってるのはペット探しとか浮気相手の調査だけど大丈夫?」


 ただこれはまず確認しておかなければいけない。


 東里さんの依頼のような派手な依頼はまず来ない……いや、あんな事件が何件も起きてもこっちとしても非常に困るのだが、とにかく地味な仕事ばかりになるのは確かだ。下手に憧れを持ったままこの業界に来ると、そのギャップにショックを受けるのは水守の奴が立証済みだ。


「大丈夫っす!」


 その力強い肯定に、僕はもう首を縦に振る以外選択肢は残されていなかった。


「よし、それでは採用だ」

「本当っすか、やったー!」


 そういって東里さんは両手を挙げて喜んでいた。

 その様子が可愛らしく見えて、思わず口角が上がってしまう。どうやら、それは水守の奴も同じようだった。


「良かったす、他にも色々説得のパターンを考えてたんっすけど、使わなくて済んだっす」

「ちなみにどんな方法を考えてたの?」

「えっと、『死ぬなって言ってくれたのにそんな無責任なことするんっすか?』とか『探偵に向いていないことは分かってるっす、それでも私は二人に憧れたんっす。諦めたら一生後悔するっす』って言うつもりだったっすね」


 ……さっきの母親にバイトの話を許可させたときの内容の時も思ったが随分と抜け目のない子だ。

 後半の内容については良く分からないけども、水守がその声を聞いてから机に突っ伏したところを見るに、水守と東里さんの間でそういった会話があったんだろう。


「随分とえげつない方法で、説得するつもりだったんだね」

「もちろんっす! 私もうこういうところで、手を抜かないと決めたっすからね。なんせ私は『悪い子』なので!」


 そう言って彼女は満面の笑みを浮かべる。

 それはおそらく今までの物とは違って演技から来るものではなく心からの笑みだということは僕にでも理解できた。


「よし、それでは今日から柊佳ちゃんは助手として……」

「あ、助手なら私伊藤さんの助手が良いっす!」


 水守の提案を東里さんは一蹴した。


「いやいや、そこは普通探偵の俺の助手をするのが普通じゃない?」

「だって、事件解決したのって伊藤さんの方じゃないっすか。それに探偵一人に対して助手二人は流石に多いっすよ!」

「ぐぬぬ……」

「だから、私は伊藤さんの助手をやるっす!」


 おい、自称名探偵、女子高校生に言い負かされているけど大丈夫なのか?


「いやまて、助手の助手というのは分かりにくくないか。やはりここは俺の助手をやるべきだ」

「それなら伊藤さんが探偵をやればいいんっすよ! 水守さんの代わりに」


 突然僕を巻き込まないで欲しい。


「それだけは絶対俺が阻止する! いいか、蓮。お前に絶対探偵の座は譲らないからな!」

「別に狙ってないよ、探偵は水守だけだって!」


 少し騒がしいものの、今日も水守探偵事務所は平和である。

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水守探偵事務所 未発生事件録 NEINNIEN @NEINNIEN

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