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「それであの話しは本当なんですか」
苛立ったように、貧乏ゆすりを隠そうともしない女性が僕達の目の前にいた。
どうやって彼女にアポイントを取り付けたのかは分からないが、たまらの店内には東里さんの母親、東里
パンツスタイルのグレーのスーツに、黒のインナーを合わせており、目つきは鋭くこちらを睨んでおり、まさに仕事の出来る女と言った印象を覚える。
口元や鼻筋は東里さんにそっくりで血の繋がりを感じさせる。
確かにまだこの人には話を訊いていなかった。
東里さんが言うには仕事が忙しかったはずだが、よくこうやって会うところまでこぎつけたな。
今たまらにいるのは僕といつもの鹿撃ち帽とインパネコートを着た水守だけで、東里さんにはもしかしたら何か情報が手に入るかもしれないということで、この時間に来ている生徒探しを続行してもらっている。
「ええ、本当ですとも。まず話しの前にこの手紙を見ていただきたい」
そういって水守は、胸ポケットから一枚の手紙を机の上に差し出した。
「これは?」
僕もその紙については全く知らなかったが、どうやら彼女にとっても同じだったようだ。
「先ほど電話で話したものですよ」
東里舞は机に置かれていた手紙をひったくるようにして取る。手紙を乱暴に開けて中身を読んだか思うと、その顔が途端に青ざめた。
「なんですか、このいたずらは!」
手紙を机に叩きつけた。
そしてすぐにここが喫茶店の中だということを思い出し、声を潜めて話を続ける。
「どうしてこんなものが娘の元に来てるんですか」
「それについてはまだ分かりません。私達としても現在それについて捜査しているところです」
ちらっと机に叩きつけられた手紙を見てみるとワープロで『東里柊佳、おまえをこの世にいた記録事抹消して殺してやる』と書かれていた。
ああ、なるほど。確かにこの文面を見てしまっては、彼女の母親としては平静ではいられないだろう。
先ほど事務所から出る際に印刷していたのはこれだったのか。
多少表現は可笑しいが、東里さんの現状を表している文章だ。まあ『この世にいた記録事抹消して』とかは、実際にこの状況を知っていないとさっぱり理解出来ない文章だろうけども。
「警察に相談はしたんですか?」
水守はその質問に対して首を横に振って答えた。
「いえ、していません。そもそもこの手紙の内容では警察は動いてくれませんよ」
「な、なんでですか。文脈は意味不明ですが、この文面なら殺害予告に該当するはずです。それなら警察も動いてくれるはずでは?」
確かに殺害予告としては読むことは出来る。
その殺害方法は理解不能だけども、そこを無くしてしまえば、この文章はただの殺人予告になる。
「いえ、ちゃんと文面を読んでください。この世にいた記録事抹消して殺す、そんなことが本当に可能でしょうか?」
ただそんな問い詰めるような東里舞の言葉にも、全く動揺した様子もなく水守は毅然とした様子で話しを続ける。
「……いえ、出来ないと思います」
そもそもこの世にいた記録事抹消してという言葉が指す意味すら、よく理解出来ないし、そう考えるのが自然だ。
ただまあ現実としては、東里さんがゲームに勝てなかった際にたどる未来の事なのだけど。
「そうでしょう。日本の法律では殺害予告が来たとしても、実現不可能な殺害予告の場合動かない可能性が高いんですよ。
実際警察にも相談してみましたが、警察はただの悪戯だろうということで動いてくれませんでした。これは予告犯の上手い所です、恐怖を与えさせるだけ与えて、警察は動かせないというね。おそらく本気で殺すきはないとは思いますが、それでも仮定で動くのは危険です。なにせ、人の命が掛かっている可能性があるのですからね」
殺害予告ってそういう法律があったのか、知らなかった。
水守が言ったことは本当かどうかは分からない、この場を説得するためのはったりかもしれない。
たださっきの話の中で一つ真偽が分かるところと言えば、警察には相談したという点だけは、完全に嘘だろう。
他の部分もはったりかもしれないが、ただ東里舞はこちらの言い分を完全に信じてくれたようだ。そのことは様子を見ればわかる。
「犯人は何が目的なんですか?」
不安を隠せない様子で、東里舞は水守に詰め寄る。
実の娘に危害が及ぶということを心配している証拠だろう。
「わかりません。ですけど貴方の娘さんに対して強い恨みを持っていることは間違いないでしょうね。名前が書かれている以上、相手から娘さんの事を認知しているでしょう。そのことからただの悪戯という線はありえません。間違いなく、何かしらの亜悔いが絡んでいます。
そのうえで警察に捕まらないよう細工しつつ、こんな手紙を送るぐらいですから相当な恨みがあると見ても良いでしょう。そこで訊きたいことがあるんですが、こういったものを送る人物に対して、誰か心当たりはありませんか?」
水守がそういうと、彼女は考え込むような動作を見せる。
ただどうにも候補が思いつかないのか、携帯を取り出して何か見ているようだが何も思いつかないようだ。
しばらくして何かの可能性に気づいたのか目をカッと見開いた。ただそれも一瞬のことで、また元の神妙な顔持ちに戻った。
「……えっと、その一人だけいるかもしれません」
「その一人というのは?」
目線を下に下げる。どうやら相当言いにくい話であるらしい。
「……深沢正樹。彼女の父親です」
「父親? 死んでいるのではなかったのですか? 私達は少なくともそう訊いていますが」
新しく出てきた名前だが……その人物は確かに、東里さんは彼女が小さい頃に死んだと言っていたはずだ。
「その死んだことにしたんです。その、失踪しただけだって知ったら、柊佳が探しに行くんじゃないかって心配で」
本当の父親を見てみたい、子供としてそうなる気持ちはよくわかる。
もし失踪していたと聞いていたら、子供としては探しに行くだろう。彼女としてはそのまま、父親の方についていかないかが不安だったということなんだろう。
家族関係で何か問題があるかもしれないと思っていたが、東里舞の様子を見ていると何か問題があったとは思えなかった。
「分かりました、失踪していただけなんですね。なるほど。でしたら何故父親が東里柊佳さんを殺そうとしているとお考えなんでしょうか?」
そう尋ねた時、彼女が息を飲む音が聞こえたような気がした。
しばらくの沈黙の後、ひどく汚いものに触れるような口調で彼女は話始めた。
「……お恥ずかしい話になるんですが、あの子。柊佳は不倫の末に産まれた子なんです。もちろん私は、そんなこと知らなかったんです。ただそのちょうど妊娠した時期に私が結婚を迫ったんです。そしたらその……実は家庭を持っていたことが発覚しまして、それで私は奥さんに伝えたんです。それで向こうも離婚になってしまって」
「それで恨んでいると」
「可能性としてはですけど……」
家庭を破壊された仕返しにか、確かに可能性としてはありえそうな話だとは思う。彼女自身は不倫の事を知らなかったと口にはしているものの、知ったうえで責任を全て押し付けた可能性だってある。
それなら殺害理由にはなるだろう。ただそれなら男の殺意の対象は娘ではなく、張本人に向きそうなものだ。
そう考えると、やはりこの深沢正樹も今回の事件には無関係な気がしてくる。
「他には何か思いつかないでしょうか」
「他ですか……うーん」
再び考え始めるが今度は何か思いつくようなことは無かったようだ。
「すいません、それ以上は」
東里舞は首を横に振った。
「なるほど、でしたら最近東里柊佳さんの方から何か相談をされたなどはありませんか?」
「いえ、なかったと思いますけど……どうしてそんなことを訊くんですか?」
ようやく顔を上げて、こちらの方に目を合わせる。
「私達に依頼をしたと言えど、私共はあくまで他人ですからね。他人に話にくいような話でも、家族であるお母さまになら何か話をしている可能性があると思いまして」
「……家族ですか」
そう口にする彼女にはあきらめにも似ている表情が浮かんでいた。
「……何か気になることでもありますか?」
その様子が妙に気になった。
そう言えば東里さんも家族の話となると顔を顰めていたような気がする。
「ああ、いえ。その私は本当にあの子の母親で居られたのかなって思いまして」
そう言うと、また東里舞は俯いてしまった。
「と、言いますと?」
「先ほど話した通り、柊佳は不倫の末に産まれた子供なんですよ。それであの男は、あの子の事認知してくれていないんです。だから養育費とかも払ってもらっていなくて。ただそんなことで娘に不自由な生活をさせたくなかったんです」
力なく言う彼女は、まるで前げ室で自分の罪を告白しているようにも思えた。
「……実に立派な考えだと思います」
東里さんを女手一つであそこまで育てるのは、どれほど辛い事だったのだろうか。
きっと東里さんの存在が、支えにも枷にもなっていたに違いない。だがそれに耐え、立派に東里さんを育てあげてきた彼女に、賞賛の声はあれど批判の声を上げることなんて出来るはずがない。
「ですけど、ふと思うんです。私はあの子のいい母親だったのかって。あのここの手紙のことも私に相談するんじゃなくて、探偵さん達に先に相談したんでしょう? もしかしたら頼りのない母親だと思われているのではないかって」
「それは……」
母親の事を信頼していないわけでは無いと否定の言葉が出そうになったが、それをすんでのところで止めた。
それはあの手紙が偽の手紙だとばらす必要があったし、今ここで、そのことを彼女に知られるわけにはいかなかった。
「お恥ずかしい話なんですが、私は娘が学校で何をしているかよく知らないんです。どんな友人がいるとか、何を目指しているかとか、本当に何も。
あの娘私の前でそういう話をしないんです、私が学校の話を訊いたら帰ってくるのは『順調だよ』とか『友達と楽しく過ごしてるよ』みたいなのばっかりで」
一度吐き始めた言葉は、栓の抜けた風呂場の水の様にもう止まらない。
もしかしたら誰かに聞いて欲しい、そんな風に心のどこかで思っていたのかもしれない。
「あの子は本当にいい子なんです。本当はやりたいこともいっぱいあるだろうにわがままの一つも言わない。そんな子が殺意を向けられてるなんてそんなわけないんです」
「はい、私達もそう思います」
殺意を持たれるような子ではない、それに対しては僕も同意だ。
「だからその、あの子の父親の名前ぐらいしか思いつかなかったんです。それぐらいしか可能性がある人物が思い浮かばなくて」
東里舞にとっても、元夫が殺意を持っていると本気で思っていたわけでは無いらしい。
動機に関しても、東里舞を狙う理由にはなっても東里さんを狙う理由には思えないため妥当ではある。
「こんな悪戯をした犯人を絶対に捕まえてください、お願いします!」
嗚咽交じりの声で、東里舞はそう言った。
「ええ、もちろんです」
それに一点の曇りなく水守は断言した。
この自信が名探偵には必要なものなんだろうな、多分。
「それと依頼金の方ですが」
「ああ、それなら大丈夫です。既に支払ってもらっておりますし、報酬の殆どは犯人の方に請求する予定ですので」
何かのヒントを求めて、東里舞と話を出来たのは良いが、結局のところ有力な容疑者が現れることは無かった。
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