幕間①

 やあ、読者の諸君。カノカミだよ。


 うん? なぜ紙面という二次元の存在である私が、を認識出来ているかって?

 そうだね、ある存在が認識できるのは、自分の存在する次元以下だけという話があるけれど、つまりはそういう事だよ。


 まあそんな事はどうでも良い。

 主題は、たった今とある世界に放り込んだ、『嘗てまだ人間だった頃の私』の人生鑑賞だからね。


 ああ、読者諸君はもうある程度観察してきた所か。ならば、諸君にとっては振り返り、という事になるのかな。

 ややこしくて悪いね、今の私にとって、時間なんてものは簡単に弄り回せるモノでしかない。一定範囲内なら、という注釈は付くのだけれど。


 兎も角、これから主題に入るわけだけれど、読者読者言っていては折角の世界観が崩れてしまいそうだ。

 そうだね、観測者とでも呼ぼうか。本来の意味からは少しズレるけれど。


 さて、そろそろ鑑賞会を始めるとしよう。

 彼女を落としたのは、比較的小さな世界にある森の中。かの世界を治める新米神の住む地から然程離れていない、いわゆる魔境のど真ん中だ。


 普通の人間ならアッサリ死んでもおかしくない場所だけれど、知っての通りいずれカノカミという名の神になる筈だった人間だ。力の種も与えた。文庫本一冊分の時間も生き延びれないなんてつまらない事にはならないだろう。

 その辺りは、観測者諸君の方がよく分かっているだろう?


 まあ、日本とはずいぶん勝手の違う世界だ。馴染むまで多少の時間は必要かもしれないが。


 ――なんて思っていたんだけれど、馴染むの早すぎない? いや、自分の事ではあるんだけれど、流石に驚きだ。

 私のことだから、どうせ読書に没頭して一週間くらいはダラダラしてると思ったんだけれど。


 やはり目の前で命のやり取りを見たのが大きかったのかな?

 面白いものだね。たったあれだけのキッカケでこれほどにも努力するようになるだなんて。


 うん? ああ、そうか。確かに観測者諸君の言うとおりだ。定命かつ必滅の人間にとって、死とは恐ろしいものだ。


 私も神になって長いからね。その感覚はすっかり忘れてしまっていた。


 そんな事を言っている間に、彼女は魔法を習得してしまったようだ。これは、まあ想定の範囲。

 魔法に至る条件の一つである、特定の意思の強さ、言い換えればある種の頑固さを持つ事については、よく知っている。彼女は私だからね。それで苦労することもあったけれど、人間社会で暮らすには良い経験だった。


 いや、今の私とってもかな。世界の創造に活かせているからね。


 悪いね。脱線した。


 魔法は、なるほど、土地の記憶の再現か。幾度も転生を繰り返し、神となってすら過去に囚われる私らしい魔法だ。


 おや? 何か悩んでいるね。今何か悩むような事があっただろうか? 魔法の名前はさっき決めていたし……。

 ああ、自分の名前か。確かにまだ決めていなかったね。


 彼女の個人情報に関する記憶は大体消してあるし、いずれ森の外に出るのなら必要だろう。

 ソフィエンティア=アーテル、ラテン語で智慧の黒か。良い名前だと思う。


 うん? どうして外へ出ることが分かるかって?


 分かるさ。だって、彼女は私だからね。

 まあ、人間基準でしばらく先の話にはなりそうではあるけれど。


 彼女があの世界に落ちて、そろそろ四年か。まだ不老にまではなっていないけれど、ずいぶん強くなった。流石は私、ではあるけれど、今の私をしばくにはまだまだ足りないね。


 うん? 私をしばくならどれくらい強くならないといけないかって?

 そうだね、少なくとも、この世界の最高神である新米とマトモに戦えるくらいにはならないとね。

 今の私にダメージを与えようと思ったら、それで最低ラインだ。戦闘力云々じゃなくて、存在の格の問題だね。同じ条件で戦えば、あの世界の新米神の方が強いから。


 少し時間を進めよう。同じような日々は人間である観測者諸君には退屈だろうからね。


 お、なんだか既視感のある光景だね。果実に手を伸ばした瞬間聞こえた金属音。何かが起きる予感だ。

 なんて言ってたら、ほら、的中。物語のお約束だよね。


 あれは、精霊猫ケツトシーの幼体か。人前に姿を現さないという意味では、亜精霊の中でも珍しい種の一つだ。犬猫好きの私としては、まあ、助けない選択肢は無いよね。


 ふむ、この半年であの精霊猫、アストも随分馴染んだね。初めは彼女のことも余り信用していなかったみたいだけれど、今では家族か。

 どこか彼女に依存しているようにも見えるね。まあ、問題ないか。


 そういえばアストはどうして家族と逸れたのかな?

 少し時間を巻き戻して見てみようか。


 ……なるほどね。ライカンスロープの群れからより多くの子どもを守るために、一番幼かった彼が囮にされたのか。出産直後の弱った状態では、亜精霊といえどライカンスロープの群を鎧袖一触とはいけない。

 それは多少の依存くらいして当然かもね。今や、彼女が唯一の存在なんだから。


 アストと出会って一年。いよいよ旅立ちだ。

 しかし、まさかたった五年で老いなくなってしまうなんてね。環境は用意したけれど、正直自分のストイックさをみくびっていたね。


 いや、よくよく考えれば、読書の時の集中力を思えば当然の結果だったかもしれない。やる事が少ないと、当時の私はこうなっていたのか。面白いね。

 まあ、それほど今の私をしばきたいってだけかもしれないけれど。


 おもちゃにするって宣言してるんだから当然? ははは、違いない。


 お、最初の街に着いたね。ここは、アインスの街か。それなりに優秀な人間の男が治める普通の街だね。

 冒険者になるのは、予想通り。というか、他に選択肢がない。


 ……あらま、筆記の勉強を忘れてたか。

 相変わらず少し抜けてるなぁ。


 他人事みたいに言うなって、確かに彼女も私だけれど、厳密には違う私だ。私の可能性の一つでしかない。

 つまりは限りなく私に近くて、観察対象として最高の存在ではあるけれど、他人と言っても間違いではないんだよ。


 ややこしい? そもそも他人をおもちゃにするな?

 何を言ってるんだい? 私が何者か、もう忘れたのかい?


 私に人間の倫理観を持ち出しても、栓なきことだよ?


 納得、はしていない人もいるみたいだね。まあ、君たちが私のことをどう思っていようと、私は構わないよ。悪意をぶつけてくるのなら、それはそれで歓迎しよう。


 おっと、問答をしている間に彼女は随分進んでしまったようだ。

 病に苦しむ村、か。この辺りのような文化水準なら、さして珍しくも無いね。


 どうやら彼女は助けることにしたようだけれど、己の善意に否定的なのは相変わらずだ。それが自らの傲慢からくる行為だと知っている故の自己否定。

 礼くらいは素直に受け取っても良いと思うけれどね。事実、彼女は村を救えるほど優れていて、結果的に村人達は助かった。村人達にとってはその結果が全てだ。

 その行いが傲慢故のものだろうと、偽善だろうと、村人達にとって大事なのは彼女に助けられたって事実だけなのだから。


 ……ただ、詰めは甘いね。

 彼女の傲慢さは、中途半端だった。どうせなら、もっと傲慢であるべきだった。


 あらゆる他者を愚か者と見下していたならば、これから先訪れるであろう悲劇を回避できたかもしれないのに。

 何にせよ、自己満足のままに彼女は旅立ってしまった。


 ……やはり悲劇は起きるんだね。

 人間とは、本当に愚かな生き物だ。知恵を持ちながらそれを活かそうとせず、無知ゆえの恐怖のままに排除という本能的な行動を優先する。

 その愚かさもまた、私が人間を愛しく感じる理由ではあるけれど、君たち人間にとっては関係のない話だね。


 悲劇は確定してしまったようだけれど、彼女の旅が終わったわけでは無い。ここは、エルデアの王都だね。


 人種の坩堝るつぼは、今更彼女に大きな影響を及ぼす事はないだろう。早速友人を一人作ったようだけれど、些細な事だ。

 あのエルフは、未だ彼女の横に並ぶには足りない。寿命を思えば可能性はあるけれど、小さな可能性だ。

 まあ、蝶の羽ばたき位にはなるかもしれないね。


 おっと、またここにも愚かな人間が。あの男の場合は、想像力の欠如か。あれ程価値観の入り乱れた街にあって、自分の持たない価値観の存在を知らなかった。

 あの男の態度や振る舞いは必ずしも間違いではないけれどね。


 先に言っておくけれど、私の場合は人間の倫理観も理解した上で無視しているだけだからね。彼女の存在が示す通り、私も人間だった頃があるのだし。


 うん? この気配は……。

 ああ、やってしまったか。想像力の欠如が取り返しのつかない過ちを生んでしまったようだ。


 いわゆるスタンピードだね。


 大地に溢れかえる魔物達。なるほど、人間にとってこれは紛う事なき大災害だ。


 しかし今、王都には彼女がいる。彼女がいるなら、何も問題ない。

 この世界における魔女とは、それ程の存在なのだから。


 ふふふ、観測者諸君は彼女の行いを誇ってくれるか。近似的存在として、礼を言おう。


 ――殲滅したね。順当な結果だ。


 意外だったのは、彼女があれ程までに感情を剥き出しにした事か。

 森での生活が、アストの存在が彼女を、私を変えたかな。どうやら彼の存在は、あのエルフより余程大きな石だったみたいだね。


 不思議なものだ。私が私から離れていくのが面白い。


 学園都市ティールデンでの生活を見れば、間違いなく私であるのに、その内面は少しばかりズレている。


 本当に面白い。


 ――悲劇を知ったね。酷いショックを受けたようだ。彼女が私のままであったとしても、同じ反応を示しただろう。

 

 そう思っていたのだけれど、まさか何年も引き摺るとは。

 私が完全に私のままであったなら、スッパリと割り切ってしまっていただろうに。


 この変化を生んだのは、肉体の変化か、環境の変化か。そもそも魂や人格の複製に失敗していた可能性もあるか。

 それか、当時の私が気がついていなかっただけで、案外このような繊細な人間だったのかもしれないね。


 何にせよ、彼女にとってのターニングポイントは近い。まだ、どのような道も残されている。

 虚ろな者になるのなら、それはそれで一興だろう。


 ――選択の時が来たらしい。

 彼女の教え子が、道を踏み外してしまった。奈落の底に落ちてしまった。

 もうあの娘は救えない。


 正確には、私があらゆる禁忌を犯し介入するのなら救える。しかしそこまでする義理が私には無い。


 薄情もの? 世の中それほど甘くは無いし、それをした事で確実に起きるいくつもの不幸を見過ごす程の事では無いよ?

 ただの人間ですら一を生かす為に百を殺す事があるのに、神たる私がそれをすれば死ぬ百は世界そのものの数になりかねない。


 感情優位の行動は大抵の場合、より多くの不幸を生むと思った方が良い。自分も、守りたかったものすらも幸福から遠ざける。実際、彼女の失敗した理由の半分はそれだろう?

 いや、彼女の例を出すまでもなく、君たちの世界には枚挙に暇がない程の実例が溢れている。

 想像力の足りない、浅慮は罪だよ、観測者諸君。


 ああ、つまらない説教なんてものをしている間に、彼女は選んだようだね。


 出来うる限り徹底する道を選んだか。

 その責を、罪を全て背負う道を選んだか。


 何とも傲慢で、私らしい選択だ。

 それでこそ私だ。


 さて、かつての私、ソフィエンティア=アーテルよ。次はどんな可能性を見せてくれるかな?

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