六の浪 ウィッチェル魔導国⑫

◆◇◆

 翡翠と白を基調とした美麗な謁見の間をクリスタルのシャンデリアが照らす。この国の人々に負けないくらい煌びやかな空間で、新調されているとは言え、紫がかった黒の魔女装束を纏った私は少し、浮いているように思える。


おもてを上げよ」


 膝間突き、伏せっていた視線を上げる。視界の端に同じように動く二尾の黒猫が見えた。そして正面で怜悧な美貌を見せるのは、この国の女王。いつかと同じドレスを纏って、美しい玉座についていた。

 一つ下段にはレネシニエル王子を抱えた宰相がいて、もう一つ下段には玉座までの細長いカーペットを挟むようにこの国の重鎮たち、あの小さな会議室にいた面々が並ぶ。

 それだけだ。初めてここを訪れた時の騎士たちはいない。


智慧ちえの魔女、ソフィエンティア=アーテルよ。……すまない、辛い役目を負わせてしまった」


 宰相をちらりと見ると、頷かれた。そのまま話して良いという事だろう。


「いえ、あの時も申しましたように、私のミスが、傲慢が原因です。自らの罪にケジメをつけたまでのこと」


 安易に教えるべき知識ではなかった。断片でも知られてしまう場に置くべきではなかった。それだけだ。一週間近く経過した今となっても、その考えは変わらない。


「むしろ、不問にしていただいたこと、感謝しております」

「……罪に問うなど、出来るはずも無かろう。いや、そう言ってもそなたは納得せんな」


 魔女王の問にならない問に、目を伏せて肯定を示す。彼女も同じ魔女である以上、魔法を発現させた者のある種の頑固さは理解している。そればかりではないと思うけれど。

 

「研究資料については、約束通り完全に破棄しよう」

「その事ですが、一度待っていただいてよろしいでしょうか?」

「ふむ」


 続きを促すように相槌を打つ魔女王に、私は宰相へ目くばせする。彼は私が事前に預けていた文庫本二冊分ほどの紙束を取り出して、魔女王へ渡した。


「理由と要望を話す前に、そちらをご覧いただきたい」


 魔女王は一つ頷いて、紐で綴じただけのそれを開いた。警戒する様子もなく読み進めていた彼女の表情は、次第に驚愕に染まっていく。


「良いのか? これは……」

「はい。『女神の侍女』の召喚に関する研究とその応用、そして、ウルが使ってしまったと思われる術式について纏めたものです。それを、出来得る限りの未来まで、残していただきたいのです」


 目的は、破棄を望んだ時と変わらない。二度とウルや病の村を襲ったような悲劇が起きないように。その可能性が少しでも小さくなるように。


「今回の件が起きた原因の一つに、私が中途半端に隠してしまった事が挙げられます」

「なるほど、完全に隠すことは不可能と考えたわけだな?」

「はい。ならば、起こり得る危険を漏れなく、後世まで伝える方が確実だと考えました」


 知識を教えなかったからとして、今後二度とそれに辿り着く者がいないと考えるのは傲慢だ。隠し通せると考えるのも傲慢だ。

 だったら、同じ轍を踏ませないよう、残す。


 そもそも知識はただの道具に過ぎないのだから。

 使い方次第で喜劇を生むこともあれば、悲劇を生むこともある。

 

 知識そのものではなく、その扱いに責任を持つべきだったのだ。道具を伝えるという扱いをしてしまったのなら、伝えた事に責任をもって事後のフォローをすべきだった。

 それなのに私は、それを考慮していなかった。そのように知識を使ったらどうなるかを考えていなかった。だからあの村は滅びた。


「知識を伝えるなら、確実に、良い面も、悪い面も、出来る限り全てを伝えないといけない。これも一つの傲慢かもしれないですが」


 『智慧の館』へのアクセス権限を持つ者としての、今の私の解答はこれ。

 この先も考え続けていかなくてはいけない事だけれど。


「初めの依頼に報酬をいただけるのであれば、それを残す事を約束していただけたら」

「そうか……。分かった。我が国としても利益が大きい。相応に装丁し、後世まで伝えよう」


 ありがとうございます、と礼をする私に、魔女王は頷く。きっと彼女は約束を守ってくれる。これでこの国に、二度と同じ悲劇が起きないと良いのだけれど。


「それで、この後はどうする。そなたさえ良ければ、位を与えようと思うが」

「お言葉ですが陛下、また、旅に出ようかと。まだまだ見ていない世界が沢山あるので」


 このまま旅を終えるには、いささか中途半端すぎる。それで失敗したばかりだというのに。


「そうか、それは残念だ……」


 魔女王は本当に残念そうで、その姿を見ていると、ウルと親子なのだと実感する。


「……ソフィア、と呼んでも良いだろうか?」


 不意にかけられた問いに一瞬、呆気に取られてしまった。ぱちくりと瞬きをして、魔女王の顔を凝視してしまう。

 彼女は少し不安そうで、まるで年頃の少女のような雰囲気を見せていた。たぶん、彼女が封じざるを得なかった、弱い部分なのだろう。

 断らないといけない理由は、思い浮かばない。


「はい、勿論です、陛下」

「そうか、感謝する。そなたも、私の事はエマと呼んで欲しい。当然非公式の場に限るが」


 ああ、ウルと同じ笑みだ。私と同じ渇望だ。彼女は私と同じものを求めていたらしい。


「……ええ、エマ」


 年甲斐もなく気恥ずかしさを覚えながら、彼女の愛称を呼ぶ。良い大人が二人揃って照れ、頬を染めている姿なんて、ウルたち生徒には見せられない。


「陛下、そろそろ……」

「ああ、分かった。謁見はここまでにしよう」


 宰相が微笑まし気に、そして申し訳なさそうに口を挟んだ。彼は魔女王、エマよりも年上だから、案外父親のような思いを抱いているのかもしれない。


「また、いつでも訪ねてきて欲しい。我が友、ソフィアよ」

「ありがとう、エマ。……それでは、失礼いたします」


 最後にもう一度礼をして、謁見の間を出る。

 すっかり馴染んだ城内を抜け、ウィッチェル城下街に。


 空は快晴、道行く人々にも曇り顔無し。旅立ちには良い日だろう。


「さて、アスト」

「どこ行きたいか?」

「それもだけれど、その前に」


 アストに押しのけられた帽子を押さえつけ、久方ぶりの、太陽のような笑みをギラギラさせる。


「お酒、買っていきましょ。美味しいやつ」

「チョコもでしょ? ココアも忘れないでよね」

「はいはい」


 ふふ、そうね、次はドワーフか龍人族ドラゴニユートの国にでも行ってみましょうか。お酒が美味しいらしいから。


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