六の浪 ウィッチェル魔導国⑪
⑪
「くっ、空間魔導か!」
動きがあったのは魔女王の方。中空から生えた獣の前腕が魔女王を障壁ごと握りつぶそうとしている。
よくよく考えれば[狐猫の拒絶]も空間魔導だ。あの獣クラスの魔力なら、これくらいできてもおかしくは無い。
「ほんっとうに嫌らしい!」
まるでウルの魂を弄ったヤツの性格が現れているようだ。
アストが本体に走った。なら、私はこっち。
獣の腕が通った空間のゲートを閉じるように干渉する、と同時に腕を引き抜かれた。
空間魔導は凄く繊細だから、余程の力量差が無い限り多少の干渉で崩壊させられる。その辺りはウルにもしっかり教えたから、仕方ない。捩じ切れたら最高だったけれど。
「教えたことがしっかり身についているようで何よりよ!」
氷の礫を混ぜた暴風を起こし、アストに当たらないようやや上から叩きつける。近づくアストを警戒していた獣は、これをもろに食らった。
身を固め、風をやり過ごそうとする獣に、アストの魔導が飛ぶ。闇属性に染まった魔力は、いわゆる呪い。獣の身体を覆う魔力を削るのが目的みたい。
あの膨大な魔力には一瞬の効果が限界だろうけれど、ダメージを上げるにはその一瞬でも十分だ。
暴風に狐火まで混ざると、美しいほどだった毛が焼け、その下の肌を炭に変える。
「グルルアアアアァ!」
受け続けるとマズいと判断したのだろう。獣は魔力を込めた咆哮を上げてこちらの魔導を打ち消した。
いや、それだけではない。いつの間にやら頭部の毛が獣の胸の前に二つの文様を描いていた。魔法陣だ。
「陛下、防御を!」
「『どうして人は裏切るの。どうして世界は裏切るの。認めない、認められない、その運命』」
獣を中心として幾重にも障壁が張られると同時に、魔女王が詠唱を始める。彼女も、あれの危険性は理解したらしい。
「アスト、早く!」
「分かってるって!」
ざっと読み取れた術式を見るに、超広範囲かつ全範囲の空間魔導。恐らくは[狐猫の拒絶]の範囲と威力を拡大したものだろうけれど、そんなものを撃たれては私たちも生き残れる自信がない。
そればかりか、周辺の街にまで被害が及ぶ可能性もある。少なくとも国境の門は飲み込まれるだろう。
「『例え神の定めし事だとしても、受け入れる器を私は持たない』」
アストが障壁の外に出た。彼に不測の事態への対処は任せて、私も全力で障壁を展開し、その内側に空間固定の結界を張る。
「お母様、先生、見ててください。ほら、こんな事も出来るくらい健康になったのですよ!」
ウルの声が響いた。まだウルを使うのかと腹立たしくなるけれど、そんなことを言っている場合じゃない。
直後に発動された魔導は漆黒の闇となって広がり、私の結界を簡単に飲み込んで障壁と衝突した。
「ぐっ……」
障壁は数秒ともたずにガラスの割れるような破砕音を響かせる。
二枚、三枚と割れていく障壁。焦燥感が募り、
「『例え全てを捧げても、私はそれを拒絶する』」
詠唱はまだ?
もう長くはもたない!
「『愛しいモノだけ、この内に』」
きた!
「『[揺り籠の聖域]』
魔女王がその名を唱えると、障壁ごと獣を覆う様にして光のベールが包み込む。柔らかくて、硬い、不思議な感覚を覚えるそのベールは、魔女王の魔法によって生み出された絶対の法則の具現だ。魔力を対価に追加されたルール、理。破るなら、別のルールを押し付けるか、ルールをモノともしない程莫大な力で打ち破るしかない。
例えば、そう、あの『女神の侍女』のような。
「ふぅ、危なかった」
「そうね。ここまでヒヤッとさせられたんだもの、お礼はしておかないと」
元の大きさに戻って杖へ乗ってきたアストへ、出来るだけ柔らかく微笑みかける。彼のジトっとした目の意味は分かるけれど、応えてあげる事はできそうもない。
「ウル、今、終わらせてあげる」
『
愛し合う家族を引き裂いた物語を終わらせるのに、悪くないのではないかしら。
「『大地よ、聞かせておくれ、その悲しみを。空よ、見せておくれ、その喜びを。私は知りたい、世界の記憶を』」
獣の魔導が弱まり始めた。闇はゆっくりと薄まって、夜闇を照らす魔女王の光ばかりが残る。
「『代わりに捧げましょう、この魔力を。求める智慧よ、今ここに』
その光の幕の中央に、息を荒げる巨大な獣が一匹。
「さあ、フィナーレの時間よ。[
ごっそり魔力を持っていかれ、夜が、昼になった。
極光だ。魔女王のベールのような優しい光とは違う、全てを消し去るような、純然たる白だ。
世界から音すらも消え去ったような錯覚と共に、星の裁きが獣を飲み込む。
私の魔力ではその現象の全てを再現しきれなかったというのに、それでもなお、絶大なまでの破壊を生み出している。
これが、今『銀の女神』と呼ばれている者の力なのかと、恐怖すら覚える。
その光もやがて、獣の闇と同じように緩やかに弱まって、消えた。驚いたことにあの光を受けて尚、息があるらしい。
それでも虫の息。四肢も尾も殆どが消し飛んで、完全に残っているのは、ウルの形をした額の突起部分だけ。頭部すらも一部が欠けてしまっている。
「……庇ったんだね」
「そうみたい。核、なんでしょうね」
突起部分は、やはりウルなんだろう。獣の恰好は、自らの元となった存在を守ろうとしているようだった。
「陛下」
「ああ。……行こう」
魔女王は最初に会った時以上に冷たい顔をして、ウルだった獣を見つめていた。その彼女を促して、ウルに似た獣の前へ降りる。
「うぅ……。おかあ、さ、ま……」
ウルの姿で、ウルの声で、それは呟いた。首から下は多くが消滅し、血に染まっていても、そこだけは綺麗なままだった。けれど、もう自身を守る魔力すらないらしく、数打ちの剣ですら簡単に貫いてしまえそうだった。
「今、楽にしてやろう」
感情の感じられない、平坦な声だ。
魔女王は古びたナイフを取り出して、鞘から引き抜く。よく手入れがされているらしいそれは、月の光を受けて鈍く輝いていた。
「たす、け、て……」
尚も悪あがきを続ける獣にむけ、女王はナイフを両手で握り、逆手に振りかぶる。振り下ろせば、それだけで終わる。
しかし、いくら待っても魔女王はその刃をおろさない。手をプルプルと振るえさせ、動こうとしない。
当然だし、それで良いと思う。
「陛下、代わります」
「だがっ!」
魔女王の腕に手を添えて下ろさせ、前へ出る。
「そもそもは、私が招いてしまった結果ですから。この子の師として、ケジメをつけさせてください」
これも本音。
それ以上に、母に愛する娘を手にかけさせるだなんて、さすがの私でも出来ないから。
まだ何か言いたそうな気配を感じたけれど、魔女王は結局何も言わず、引き下がってくれた。
「せん、せ……?」
虚ろな目を向けてくるウルの前に立ち、杖の先に氷の刃を生み出す。それから、さっきの魔女王のように、頭上に構えた。
「どうし、て、でございます、か……?」
手が震え、頬が濡れる。それを小さくした深呼吸で無理矢理おさえこんだ。
「ごめんなさい、ウル。もう大丈夫よ。これであなたは、苦しまなくて良い」
「……そう、でございます、か。よか――」
彼女が最後まで言う前に血しぶきが舞って、私のボロボロになってしまったローブを染める。胸を貫かれたウルの表情は安らかで、今の私とは正反対だ。
そのウルの身体から光の粒が溢れて、天へと上る。光の粒は、いつの間にかその先にいた金髪碧眼の女神の手元に集まると、一つの小さな球体になった。
『女神の侍女』はこちらへ優雅に礼をして、そのまま消える。
その刹那、「ありがとう、ごめんなさい」と言うウルの声が聞こえたような気がした。
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