七の浪 ノウムドワン王国①

 春一番が私の髪を撫で、青空に射干玉のそれを散りばめる。飛びそうになった魔女帽子を手で抑えると、代わりに黒いローブの裾が激しくはためいた。山岳地帯で標高が少し高い分、昼間でも若干の肌寒さは感じるけれど、歩き続ける私たちには丁度良いくらい。


 あのウィッチェル魔導国での悲劇から、一年が過ぎた。ウルが生きていれば十八。この世界の多くの国で、お酒を飲めるようになる年齢だ。


「一緒に飲んでみたかったわね」

「ソフィア?」


 思わず口に出してしまった呟きに、私の相棒で黒猫のような亜精霊、精霊猫ケツトシーのアストが少し先で振り返った。私と同じアメジストの瞳が怪訝げな色に染まる。


「何でもないわ」

「あっそう?」


 首を振って見せ、愛用の杖を支えに段差を上る。今進んでいるのは、整備された新街道からは外れた古い道で、決して歩きやすいと言えるものではない。時にはアストの二尾が顔のすぐ横に来る事もあるような、岩のゴロゴロ転がった道だった。

 私たちがこんな道を通っているのは、偏にギルドから依頼があったからというだけの理由だ。依頼とはいえ、定期的に行われている旧街道の調査だから、気楽なものだけれど。


 しかし、見た目は成人前、ギリギリ大学生に見えなくもない位の私にこんな険しい道の調査を依頼するなんて、どうかとは思う。正直、身長的に段差を上るのが大変。


「ん、人間の臭いが増えてきた。そろそろ新街道に合流?」

「ええ、そのはずよ。合流地点から街まですぐだから、今日中には街には入れるわね」

「やった! ココアの補充よろしく!」


 はいはい、と適当に相槌を返して、アストに置いて行かれないように少し足を早める。今朝がた飲み干してしまったココアが、もう恋しくなっているらしい。少し甘やかしすぎたかしら、なんて思いながら、私は口元に小さな笑みを浮かべた。


 街に着いたのは、それから数時間ほど経った昼下がりだった。


「よし、問題ないな。ギルドはこの通りを真っ直ぐ行ったところだ」

「ありがとう」

「おっちゃんありがと!」


 やや下の方から返されたギルドカードを妖精のいたずら鞄にしまって、門を潜る。途端に濃くなったのは、煤と油と、鉄の匂いだ。

 それはこの街の暮らしを物語るもの。ドワーフたちの王国、ノウムドワンが首都、アイゼンの誇る職人たちの、知恵と技が生み出した副産物だ。


「門番さん、たぶんけっこう若い人よ」

「やっぱり? おっちゃんって言った時、凄く微妙な顔してたよね」


 頭の上から、少し気まずげな声が返ってくる。アストがいつものように帽子の中へ潜り込んできたのは、ただの習慣だろう。ここは精霊信仰の中では穏健派であるスピリエ教の国だから、彼に危害を加えるような人間はまずいない筈だ。ドワーフは獣人ほど亜精霊を神聖視しているわけでもないし。


「まあ、気持ちも分かるけれどね。私たちじゃあ、ドワーフの年齢はよく分からないもの」

「だよね。みんな髭もじゃ」


 周囲へと視線を向けると、石と鉄の建造物群の間を、私の胸くらいの身長の人々が闊歩している。だいたい百四十センチくらいかしら。他の種族もたくさんいるんだけれど、私みたいに埋もれるなんてことはなくて、むしろ筋肉質な体躯が存在感を放っていた。

 しかし、髭もじゃって言い方は注意した方が良いのかしら? たしかに、男性はみんな髭が濃いけれど。


 なんて言ってる間に、ギルドが見えてきた。とりあえず依頼の報告をして、良い宿がないか聞いてみよう。この時間に空いてる所がどれだけあるかは分からないけれど、最悪防犯面は自力でどうにかすれば良いし、まあ、なんとかなるでしょう。

 場合によっては、一泊だけにして、明日の朝また探しても良い。


「そうそう、今回は少し長めに滞在するから」

「ん、了解。でもまたどうして? ここ、そんな本なさそうだけど」

「美味しいお酒が多いのよ」


 ドワーフと言えば、って感じよね。この世界はそもそも、地球の、特に日本の文化を雛形として作られたらしいから、当然ではあるけれど。

 そのイメージの通り、ドワーフは職人の種族でもあって、鍛冶に限らず色んな種類の職人を排出している。その中でも、鍛冶に並んで盛んで、かつ尊敬されるのが酒造り職人らしい。


 彼らドワーフの作ったお酒は、例え一介の職人のモノであっても、最高級品。王族などへの献上品としても十分な格のモノなのだけれど、なにぶんドワーフたち自身が蟒蛇うわばみだ。製造する殆どを自国内で消費してしまって、外国にはめったに出回らない。職人の最高位、『大親方マニユスマジスター』の作ったものなんて、一本でも国外に出たら歴史書に記されるレベルだ。

 つまり、この国にいる間しか存分には楽しめない。


「あぁ……」


 アストが呆れたような声を漏らすけれど、ココアに関しては彼も大概だと思うのよね。まったく、誰に似たのやら。


 ギルドは大通り沿いの比較的街の入り口に近い辺りにあった。他の建物と同じように石造りで、金属製の配管やら何やらが所々に覗いている。スチームパンクのような、そうでないような、不思議な感じだ。

 中は当然というか、よく見る酒場併設型で、ウィッチェル魔導国や学園都市にあったものよりは役所感が少ない。酒場は、まだ夕方にもなっていない時間だというのに、多くの冒険者たちで賑わっていた。


 飲み比べで盛り上がっているらしい彼らを横目に見ながら報告を済ませ、報酬を受け取る。ついでに、宿や近くの店について聞こうとして、覚えのある声に遮られた。


「あれっ、あなた!」


 若干幼さも残る、しかし鈴のような声。直接私を呼ばれたわけではなかったけれど、久しぶりに聞いたその声に意識を向けられたのを感じて、振り返る。

 声の主は、飲み比べで盛り上がっていた冒険者たちの輪の、その中央にいた。


「あれ、あの人って確か」

「あら」


 日本人を思わせる顔立ちに、黒髪黒目で私より幼い見た目の美少女。セミロングというには少し短いくらいの綺麗な髪を持った彼女は、かつてアインスの街で受けた認定試験の際、戦闘試験を担当してくれた人だ。

 どうやら彼女とドワーフ達が飲み比べの主役だったらしく、その手には人の頭ほどはありそうなジョッキが握られていた。周囲で顔を赤くして倒れているドワーフたちと併せて、彼女の天真爛漫そうな雰囲気とのギャップが酷い。


「ごめんねー、知り合い発見したから、勝負はここまで! 代わりに、これで好きなだけ飲んでって!」


 彼女はどこからともなく金貨を数枚取り出すと、掲げて見せてから、近くにいた給仕に押し付ける。それから、野太い歓声の隙間を縫うようにして私たちの方に来た。それだけの動作にもなんだか華があって、なるほど、これがオーラか、だなんて考えてしまう。


「久しぶり! こんな所で会うなんてね」


 小走り気味でやってきた彼女は相変わらず眩しいくらいの笑顔で、私もつい、笑みを浮かべた。


「ええ、スズネさん。こちらにはいつから?」

「最近だよ。ちょっとドワーフのお酒が飲みたくなってね。ソフィエンティアちゃん達は依頼の帰り?」

「はい。旧街道の調査依頼なので、この街にはさっき着いたばかりですね」


 話ながら、視線で促す彼女に従ってその場を離れる。


「じゃあ宿もまだ決めてない感じか。良いとこ紹介しようか? 私がよく使ってるところ」

「是非。ついでに美味しいお店も教えてもらえたら」

「はは、じゃあ、今夜は一緒に飲みに行こうか。美味しいココアも飲めるところね」


 という訳で、今日の予定は決まりだ。……アスト、嬉しいのは分かったから、帽子の中で尻尾を振り回すのはやめて。


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