三の浪 病の村①
①
アインスの街を発って、三か月が経った。領都では物語の本は見つけられなくて、結局このエルデア王国の王都エルデンを目指している。今いるのはツヴェロ領の街道で、アインスの街のあるアレニア領から二つほど隣の領地だ。
エルデア王国はアンティクウム大森林に接する国々では最大の領土を誇るというだけあって、王都まではまだまだ掛かりそう。
「で、ソフィア、何で僕ら、こんな獣道を行ってるの?」
「獣道、みたいだけれど、ちゃんとここも街道よ」
「えぇ……」
そんな反応をされても、ギルドの資料にそう書いてあったのだから。まあ、これだけ荒れ放題の道だ。獣道と思うのも分かる。今もアストは草木やら岩やらを飛び越えながら歩いており、大変そうだ。私ならぎりぎり無視して歩けるのだけれど。
「雨が降ったら
「もし降って来たら[
「魔法ってそんな気軽に使うものなの?」
さあ、と答えたら呆れた様な顔をされてしまった。アストも世間知らずなのは同じはずなのに、解せない。
うん? あれは、柵かしら? 背の高い草に半ば覆われているけれど、木組みのそれらしきものが見える。
「なんか、
「……いえ、行きましょ。この先には村があったはず」
少し足を早める。ある程度進むと遠くに家が並んでいるのが見えたから、村に続いているのは間違いない。それにしては人影が見えないけれど。柵の内側は刈り取った跡があったから一応最近まで管理はされていたみたい。その奥は、畑かしら?
「人の気配はするけれど、弱いのばっかり。それに、何にもないね、ここ」
アストのいう通りだ。なんていうか、酷く原始的な村。井戸はあるけれど、他に文明らしい文明がない。中世の初め頃がこんな感じなのではなかったかしら?
「やっぱりこれ、畑なのね。関係ない草が多いけれど、野菜類は綺麗に並んで植えてある」
「管理できてないって事?」
「そうみたい」
この惨状は最近からみたい。それに、私でももう感じられるこの臭い。
「流行り病かしら?」
「大変じゃん。ソフィア以外の人間はちょっとした病気で死んじゃうんでしょ?」
ちょっと気になる言い方だけれど、実際、そう簡単に死なないだろうとは思う。貧弱だった前世に比べて、明らかに丈夫だとは思っていたけれど、どうにもこの世界の鍛えた人間に比べてもそうみたいだから。筋肉は余りないのに。
そういう訳で、流行り病にかかる心配はあまりしていない。罹っても魔導で治せるし。
「とりあえず、村長さんなりこの村の纏め役を探しましょ」
「りょーかい。一番歳をとってそうな匂いはこっちだね」
アストの案内で村の奥を目指す。少し歩くと他より一回りくらい大きな家が見えたから、あれが目的地だろう。これまでに村人とは一度も遭遇していない。遠くの方に偶に影が見えるから、全員が
「ごめんください」
木戸を叩き、声をかけてみる。石を積んで建てられた家は静まり返ったままで、眠っているのかと思ったけれど、そうではないみたい。不意に視線を感じた。覗き穴があるんでしょうね。
「警戒してるみたい」
「どうする? 諦める?」
どうしようかしら? アストの言うように諦めるのも手だけれど……。
なんて考えていたら、擦れるような音がして扉が僅かに開いた。その隙間から覗いているのは、粗末な布の服に身を包んだ白髪のご老人。厳めしい顔に白いひげを蓄えているけれど、目には優し気な光を湛えている。
「お嬢さん、こんな名もない村にどんな御用で? 用がないのなら、早く立ち去った方が良い。お嬢さんまで流行り病に罹ってしまう」
本気で心配をしてくれているみたい。王都までの近道ではあるけれど、主要街道から外れた
「私は大丈夫です。それより、お話を伺ってもいいですか?」
「なんだね?」
「この村には薬が届けられていないんですか? 例年流行っている奴でしょう?」
インフルエンザみたいなもので、同じ時期に決まって流行るから薬は事前に沢山作っておくのだと聞いた。材料もそんなに珍しいものではないし。
「以前であれば、確かに届けられているのだがな。領主様が薬の販売を管理されるようになってから、急に値段が跳ね上がったのだよ」
聞く所によると、これまでずっと民間の薬師たちが安価で販売してくれていたらしいのだけれど、二年前、領主であるツヴェロ子爵がこの薬に目を付けてしまったみたい。市井の薬師は販売禁止。こっそり安く薬を売る人間は投獄して、子飼いの薬師に作らせたものを常の数倍の値段で売ってるんだとか。
必需品に近く大きな需要が見込めるのは確かだけれど、そんな薬の値段を不必要に釣り上げてしまっては領地が衰退するのも当然、の筈なんだけれどね。まあ、これまで見てきたこの領地の様子を思えば、領主が薬の値段を釣りあげて自分の懐を温めていると聞いても納得してしまう。
それでも去年までは罹患者の数が少なかった事もあってどうにか薬を買えていたみたい。どうにか領主の目を逃れて安く提供している薬師もまだいるようで、私たちが前に立ち寄った町から融通してもらえていたのも大きいらしい。
だけれど、今年は町でも村でも普段以上に多くの人が感染してしまったから、村に融通して貰う分は無く、領主の売っている物は十分な数を買えない。
結果、この村は静まり切ってしまったという訳か。
冷たい風が入るのも良くないという事で、上げて貰った家の奥、村長の家族がいる方を見る。娘さんらしき女性が困ったようにこちらを見ている傍らで、ベッドに横たわった幼い男の子が苦し気に胸を上下させていた。
既に何人もの幼子や老人が息を引き取っているらしい。
「ソフィア、どうするの?」
アストの紫の瞳が、何かを訴えかけるように私を見ている。
「そうね、このまま出発したら、読書に集中できなくなりそう」
男の子に片手を添え。魔導を行使する。症状は、インフルエンザに近い。物理現象に直接的に作用する四属性、土水火風の内から水属性を選んで魔力を変化させ、体温を下げる。それからもっと広い範囲に作用しその概念の働きを活性化、あるいは不活性化する光と闇の属性を使用。体力を活性化させて免疫力を高め、ウィルスの活動を弱める。
そうして少しすると、男の子の呼吸が落ち着いてきたので、自律神経を整えて安眠を促しておいた。
「これでこの子はもう大丈夫。一晩も休めば、完全に回復すると思うわ」
「おお、ルンジ……」
村長は声を震わせながらお孫さんらしい男の子の傍まで来ると、その頭をそっと撫でる。それから彼の穏やかな寝顔を見て、大きく息を吐き、目じりを歪めた。
「なんと、なんとお礼を言ったらいいか。お嬢さん、本当にありがとう」
「いいの。これは情報の対価。お礼」
「しかし、いや、分かりました。ありがとうございます……」
自己満足でしたことだから、こんなに感謝されるとむず痒い。それとアストのニヤニヤ笑いがちょっとむかつく。後で思いっきり撫でまわそう。
「さて、村長さん。もうすぐ日が暮れそうだし、空き家があれば貸してほしいのだけれど。旅疲れもあるし、少し長めに。対価は、村人たちの治療でどう?」
中途半端では不公平だし、気持ちが悪い。
そう思っただけなのだけれど、村長さんは平身低頭して受け入れてくれた。やっぱり、なんだかむず痒い。気にしなくていいのに。
それから村長さんの付き添いの元各家を回った。意外と数が多くて、日が暮れる頃まで掛かってしまったけれど、魔力的にも体力的にもそんなに疲れは無い。魔力の作用に抵抗する術なんて持たない村人たちが相手だったから。
とりあえず、夕食を作る。もうお礼は受け取っているのに村人たちが野菜やらを押し付けてきたから、ちょっと豪勢にいこう。
翌朝、私は元気になって畑仕事に精を出す村人たちを眺めながら、ぼんやりと考え事をしていた。
今この時はどうにかしたけれど、原因は定期的に流行る病。私がいなくなって、また一年ほどしたら、同じようにこの病は流行する。そうしたら、またあの人たちは床に伏せって、子どもや老人は亡くなってしまうかもしれない。そうでなくたって、人出が減ればそれだけ農作物の作れる量は減らさざるを得ない。収支はどうしたって減る。結局、病の時期を乗り越えてもこの村の未来は明るくない。
それはなんだか、癪だ。
「アスト、ちょっとこの村に長居してもいい?」
「いいんじゃない? どうせ急ぐ用事も無いし」
必要なのは、根本的な解決。或いは自己救済の手段。
今この状況に陥っているのは、薬の値段が高騰している事がそもそもの原因。その理由は、領主。
領主をどうこうする事も、まあ出来はする。ただその後どうなるか分からない短絡的な手。下策だ。
そうすると、病そのものをどうにかするより他にない。
「うん、まずは予防。この村の衛生状態を改善しよう」
来た時に感じた通り、この村の文明水準は原始的すぎる。地球の歴史に当てはめると、中世前半、四世紀から十世紀ごろのヨーロッパくらいだ。ペストの大流行が起きたのが十四世紀だからそれより前。衛生観念なんて概念がまずあるかも怪しい。
これをどうにかする。
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