一の浪 始まりの気まぐれ③
③
あれから、幾つもの陽が地平線に沈み、幾つもの月が空に昇った。もう随分強くなったけれど、それでもまだまだ足りない。活字の摂取がてら知識を深めながら、訓練を続ける日々だ。食料を探している今も、魔力操作の訓練をし続けている。
木漏れ日の中、たわわに実る赤い実を見つけた。甘酸っぱくて美味しいやつだ。
口角が僅かに上がるのを自覚しながら手を伸ばす。
不意に、硬い物を打ち付けるような音が聞こえた。
木の実を取ろうと伸ばした手を止めて、聞こえた音に耳を澄ます。やっぱり、三年前に聞いたのと同じ音だ。
そんなに離れていない。行こう。
邪魔な枝葉を左手に持った杖で打ち払いながら音の聞こえた方に走る。
森の中を走るのもすっかり慣れた。ワンピースだし、始めの頃は裾やら何やらを枝に引っかけたものだけれど。
もうすぐね。風上は、ちょうど向っている方向。
近い。強化していた感覚が幾つもの足音や木の葉の隙間に映る小さな影を捉えた。
数は、一目散に走る小さなものが一つに、それを追いかける様なものが八つ。この状況でこの八つ、何の因果かしら?
見えた。やっぱり、ライカンスロープ。一体の手には、見覚えのある剣があった。
追いかけられているのは、黒い、二尾の猫。大きさは日本で見るのと然程変らないか、少し小さいくらい。へぇ、
「……助けよう」
猫は好きだから。
魔力を操作して、イメージする。空気中の水分が熱量を失い、氷の槍となるところを。そして飛翔し、人に仇なす化物を、魔物を貫く様を。
「[氷槍]」
イメージに直結した魔導の名を呟けば、魔導はより強固なものとなって具現化される。
氷の槍は私の想像した通りに飛び、精霊猫に飛び掛かった一体のライカンスロープの心臓を貫いた。
思わぬ襲撃に驚くライカンスロープたちと子猫の間に立つ。ちらりと見ると、子猫は怪我をしているようだった。子どもとは言え亜精霊がライカンスロープに追い詰められるなんてと思ったけれど、なるほど。
『ニン、ゲン……。どうし、て……』
「[念話]に使う魔力があるなら、少しでも傷を癒して」
最初に貫いたライカンスロープは即死している。他は、突然現れた私を警戒しているのか、唸るばかりで動こうとしない。
纏めてこられたら面倒だし、先手必勝といこう。
じりじりと囲むように動いていた数体へ向けて、同じ数の氷の槍を撃ちだす。当たったのは二体。上手く避けた二体と正面にいた一体がそのまま飛び掛かってきた。同時に、別のやつが遠吠えを上げる。
「もうっ!」
三体の攻撃を杖でいなす。元々槍の柄だった杖はしなやかで、直接掴まれでもしない限りライカンスロープの怪力でも簡単には折れない。
相応の魔力を籠めれば、私の細腕でもこいつらの骨を砕くくらいは出来るだろう。それが分かっているのか、追撃はせずに三体とも距離をとった。
いや、そもそも今の攻撃じたい、牽制が目的だったのね。すっかり囲まれてしまった。
残り五体。さっきの遠吠えで、増援も来る。面倒ね。
……うん、使ってしまおう。
「あなた、出来るだけ、私の傍に来れる?」
人間に友好的な家族の子かは分からないけれど、離れていると巻き込んでしまうかもしれない。そう思って声をかけたけれど、二尾の先から立ち昇る魔力は弱々しく、もう立っているだけで限界なのかもしれない。
「離れないでね」
どうにかこちらには来ようとしていたから大丈夫だろうと一歩下がって近寄り、『
遠くから新手の近づいてくる気配を感じた。でも、もう関係ない。
検索するのは、かつてこの地を襲った災害。全てを破壊しつくすような、大いなる災い。
眼前の画面にいくつも土地の記憶が列挙され、流れる。
更に現状に適した条件を付け加え、絞りこまれた選択肢の中から一つを選択した。
「さあ、いくわよ」
[氷槍]の時とは比べ物にならない程大きな魔力を込めて、息を整え、詠唱する。
「『大地よ、聞かせておくれ、その悲しみを。空よ、見せておくれ、その喜びを。私は知りたい、世界の記憶を。代わりに捧げましょう、この魔力を。求める智慧よ、今ここに [
ここ最近はあまり感じる事の無かった虚脱感。同時に、辺り一帯が暗くなり、風が強くなって雨が降り出す。雨脚と風はどんどん強くなって、雷鳴まで鳴りだした。
轟々と風が唸り、雷光が瞬く。かと思えばそれは地を穿ち、大地を揺らした。余りの強風に木々が折れて宙を舞う。まさに天変地異。この世の終わりのような光景が、私たちを囲む。
ドーム状の障壁を張っていなければ、私たちだってただでは済まない。外から聞こえる悲鳴は、ライカンスロープが雷に打たれたのか、風に吹き飛ばされたのか。
これは嘗てこの地を襲った大嵐だ。過去に幾千の命を奪った、自然の猛威だ。
この三年間、絶やさず訓練を続けた結果手に入れた、私の生きる術。『智慧の館』に記録されたその地の記憶を呼び起こし、今に再現する、理外の法。
魔法、[
そう、私は魔女になった。
「ケットシーさん、これでもう大丈夫」
ライカンスロープの気配は、もうない。
「手当をするから、私の家に行きましょ」
魔法を解けば、先ほどまでの嵐が嘘のように消え去り、温かな陽気が、私たちに降り注ぐ。
「そういえば、まだ名乗っていなかったわね」
紫色の瞳を見開いて固まっている子猫に手を伸ばして、微笑みかける。
「私は、ソフィエンティア=アーテル。よろしく」
これが、後に『智慧の魔女』と呼ばれるようになる私、ソフィアと、その使い魔にしてお目付け役、アストの出会いだった。
それから一年が経った。
「アスト、行くよ」
いつもの白いワンピースの上から黒のロングコートを羽織り、一足先に
「ソフィア、忘れ物」
「ありがと」
アストの咥えてきた鍔広の黒いとんがり帽子を受け取て被ると、見た目も何だか魔女っぽい。
改めて、四年を過ごした洞の中を覗く。
「なんだかんだ、快適だったわね」
「僕としては、もう少し広い方が良かったけどね。何回寝惚けたソフィアに抱きつぶされそうになったか」
「ふふ、ごめんなさい」
本当に反省してる? と疑いの目を向けてくるアストから顔を逸らし、してるってと返すと、彼は溜息を吐いた。その後さっさと横に並んできた辺り、言ってみただけなのだろう。本音ではあるのだろうけれど、どうしようもないので気にしない事にして歩き出す。
今日、私たちはこの森を出て、旅に出る。
目的は二つ。強くなる事と、世界を見て回る事。
「森の外かぁ。どんな所かな?」
「さあ? でも、飽きはしないんじゃない?」
「そうだね。ソフィア、早く行こう」
まあ、あとはこの子が楽しんでくれたら、それでいいかしら?
木漏れ日の中、私と同じアメジスト色の瞳を輝かせたアストを見ていると、そんな風に思える。
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