二の浪 アインスの街①

 ふと、空気の変わった様な気がした。少し前から空気中の魔力濃度が下がってきていた様な感じはしていたけれど、気のせいでは無かったらしい。


「そろそろ森を抜けられそうね」

「やっとか。この森、こんな広かったんだ」


 溜息を吐いたアストに頷いて同意して、少し前に知ったばかりのこの森の名前を『智恵の館』で検索する。


「アンティクウム大森林はこの世界で一番大きいらしいから。私たちの住んでいた所も、中心部からはまだ遠いみたい」

「うわぁ……」


 私と同じアメジスト色の瞳を更にげんなりとさせるこの黒い二尾の猫は、その奥の方から逃げて来た筈だけれど、あまり覚えていないらしい。怪我のショックと、当時の幼さが理由だろう。今で漸く幼体から脱した位かな。亜精霊には寿命も無いし、長い付き合いになるだろう。


 だんだん明るくなってきた。風が広くなった木々の隙間を抜けて、私の紫がかった黒いロングコートを撫でる。魔女の被るような同じ色のとんがり帽子を飛ばすほどではない。心地よい。体温は魔導で調整しているとはいえ、これだけ長時間歩いていると多少は身体も火照ってくるし。


「うぇ、なんか変な臭いがする。偶に見かける人間たちの臭いを濃くしたみたいな……」

「街が近いのね。この世界じゃそこそこ大きな街みたいだし、人も多いんでしょうね」


 日本にいた頃も、都心部は人間の鼻にも余り気分の良くない匂いがしていた。ずっと森の中にいたのだし、鼻の利くこの子が不快に思うのも仕方ない。


 いよいよ、か。

 四年も人と関わっていなかったものだから、ついつい杖を握る左手に力が入る。

 思えばこの杖も、すっかり手に馴染んだ。日本にいた頃、杖術の道場で習った動きを毎日ひたすら繰り返していたお陰だ。習ったのは少しだけだったから、『智慧の館』で術理を学び、実践を経て最適化するようにしていたけれど、まだまだ改善の余地はあると思う。

 接近された際の補助的な手段とは言え、命の危険を減らすならこちらも伸ばしていきたい。


「あ、外だ」


 駆け出したアストに従って、私も少しだけ足を早める。生意気な事も言うようになってきた彼だけれど、こういう姿はまだまだ年相応ね。つい笑みが零れてしまう。バレたら怒られそうだから、追い付くまでには表情を戻すけれど。


「おー、あれが、街かー」


 追い付いた彼は森の入り口から、遠くのそれを見て目を輝かせていた。魔物のいる世界だし、当然壁に囲まれていて中は見えないけれど、ずっと森の中で暮らしてきた彼にはあの壁一つとっても新鮮だろう。私もああいった欧州ヨーロツパのような街には馴染みが無いから、少し胸が高鳴る。


「さあ、行こう、アスト」


 門の所に見える人の列を目指して、私たちは意気揚々と歩き出した。


 意気揚々と歩き出して、十分位経った頃だろうか? 私たちは無事に街に辿り着いたのだけれど、通されたのは街の中では無かった。門の横にある、詰め所の中だ。

 別に悪い事はしていない、はず。今着ているコートや帽子は森で亡くなった人たちの物を仕立て直したものだけれど、それ自体は別に法に触れる事ではないと調べてある。通行料として支払う貨幣も同様。魔物の住処で見つけたもので、発見者が持って行っていいと今いる国の法では定められている。知らなかったでは済まない事なのだから、事前に調べるのは当然だ。


 では何がいけなかったかと言うと。


「あの、私本当に二十歳なんですけど」

「あー、はいはい。もういいから、ちょっと待っててね、お嬢ちゃん。どうせ色々確認しなきゃいけないし」


 そう言って頭を撫でてくる、この失礼なお兄さんは、この街、アインスの門兵だ。こちらの世界に来た時の見た目がだいたい高校に入りたて位だったから、四年分加算して二十歳って事にしたんだけれど、この世界の人たちからしたら少し見た目が幼すぎたらしい。

 ……少しというのは希望的観測ね。確かに当時から殆ど見た目は変わっていないけれど、それにしたって十六歳に対する扱いではない。この国の成人年齢は十八みたいだから、ちらっと見えた街の文明レベル的に早ければもう働いていても不思議でないと思う。地球なら産業革命が起きたくらいに見えた。魔法のある世界なのだから、発展の仕方は異なるだろうし、単純には比べられないけれど。


「ほい、お待たせ。あとはよろしく」

「おう」


 別の門兵さんが何か占いで使う水晶のような道具を持ってきた。その人はそのまま門の方に戻って行ったみたい。


「さ、お嬢ちゃん、これに手を置いて」

「だから、お嬢ちゃんじゃ……はぁ」


 これ以上問答しても仕方がない。訂正するのは諦めて、言われた通り机の上に置かれた水晶に右手を乗せる。


「いくつか質問するから、全部いいえって答えてね」


 ああ、なるほど。これは嘘発見器ね。『智慧の館』によると、嘘を吐いた際に現れた魔力の揺らぎを検知するみたい。嘘なら赤、本当なら青に光るらしい。その気になれば誤魔化せそうだけれど、その必要もないから素直に答えよう。


 質問の内容は、盗賊相手や事故のような正当な理由なく人を殺した事があるかとか、不当に盗みをしたことがあるかとか、この街で犯罪行為をする気があるかとか、そういう事。本人の認識次第でどうとでもなりそうで、ガバガバな気はする。まあ、どちらかと言えばもし犯罪を起こされた時にああだこうだ言っても意味の無いよう既成事実を作るのが目的なんだろう。


「うん、問題なさそうだね。その若さで亜精霊様と契約しているんだし、大丈夫だとは思ったけど」


 どうやら以上みたいだけれど、ついでに一つ証明をしておこう。


「私は本当は二十歳ではない」


 困ったように笑おうとした門兵さんだけれど、赤く光った水晶を見て汗をだらだら流し始めた。自分がした事を思いだしているのだろう。


「し、失礼しました!」

「いいのよ」


 ちょっとした悪戯でもあったわけだし。お酒が飲めないのは問題だから、っていうのはあるけれどね。


 それにしても、このやり取りを毎回するのは面倒。もうこの見た目から変わる事はないのだし。

 そうなのだ、私は、もうこれ以上老いる事が無くなってしまった。つまりは不老になったのだ。アストと暮らすようになって少しした位だから、十九の時か。当時で既に、こちらに来た頃と殆ど見た目が変わっていなかったから、日本人の感覚でも高校を卒業しているか怪しい位の容姿だ。門兵さんの反応を見るに、この世界、少なくともこの地域だと中学生程度の外見年齢なのかもしれない。


「ねえ、毎回このやり取りをするのは面倒なんだけれど、もっと簡単に証明する方法は無い?」


 街の方へ案内されながら聞いてみる。お貴族様という訳ではなさそうだし、もう敬語は無しだ。貴族制度のある国で、街の外から身分を示すものも無くやってきた私が平民の門兵相手に敬語なんて使っていると、変に怪しまれかねない。


「そうですね、いずれかのギルドに登録するか、この国の国民となって住民証を手に入れるのが良いかと。まあ、正式に国民になるには推薦など色々と手続きがありますし、商業ギルドや職人ギルドは条件が厳しいので一番現実的で早いのは冒険者ギルドに登録する事ですかね」


 冒険者。冒険者ギルドという互助組織に所属する何でも屋さん。家や畑を継げなかったり、仕事に就けなかったりする人々の受け皿になっていると『智慧の館』にはあった。上層部は一国の王にも等しい発言力を持つんだとか。まあ、現場の責任者レベルではそうもいかないみたいだけれど。現場で何かあれば国王から直接上層部、ギルド全てを統括するグランドマスターに訴えが行き、調査ののち適切な処分が下されるらしい。

 上層部が腐敗したら不正が横行しそうだけれど、その心配はないかな。何せ、グランドマスターはこの世界の最高神の眷属神みたいだし。ギルド自体、最高神の妹神が作ったって『智慧の館』で読んだ。この事は出来たばかりの新興国でも無ければ、統治者は知っているらしい。そんな組織の保証なら、世界的に信用があるのは頷ける。

 たぶん、あの日ライカンスロープに殺された三人も冒険者だったのだろう。


「それで証明できるのね」

「ええ、ギルドカードには年齢も記載されますからね」


 なるほど、その辺は後でいいかと読み飛ばしていた。

 冒険者には元々なるつもりだったから、ちょうど良い。


「あ、ソフィア、長かったね」

「お待たせ」


 街の中に通じる入口から外に出ると、アストが丸くなって待っていた。それなりにかかってしまったから、くあっと大きく口を開けて欠伸をしている。


「お手数をおかけしました。冒険者ギルドは大通りをまっすぐ行った先にあります。それでは良い一日を」


 胸に拳を当てるこの国の敬礼にお礼を返し、後ろ手に手を振って歩き出す。宿は、ギルドで聞いてみよう。互助組織というくらいだし、教えてくれる筈。


「この街の門兵さんはなかなか親切だったわ」

「そうじゃない所もあるの?」

「あるんじゃない?」


 私も知らないけれど、と続ける。アストはそこまで興味ないらしくて、ふーんとだけ返して辺りに視線を向けた。

 建物は、二階建てから三階建ての木造がほとんど。世界最大の森が直ぐ近くにあるんだから、然もありなん、かな。古そうな建物は二階の窓の辺りが突き出しているし、近代のフランスなんかみたいに排泄物を窓から道に捨てていた時代もあったのかもしれない。今は多少ごみが落ちているくらいで、そんなに汚くは無い。森の中よりは歩きやすいとは言え、舗装されていない土の道でそういうのをよけながら歩くのは面倒だったから、良かった。

 歩いている人を見るに、平民がおしゃれをする感じではなさそう。シンプルな服の人が多い。時折色々と付けている人がいるけれど、身のこなしからして冒険者かな。魔力で動く道具、魔道具だったり、魔導の発動媒体だったり、オシャレというよりは装備っていう感じ。

 遠くの方に綺麗な建物群が見えるから、あっちの中心部が貴族街で外側は平民の街なんだろうね。


「あ、獣人族」

「ほんとね」


 よくよく見ると、獣の特徴を持った獣人族の人も多い。迫害されている地域もあるそうだが、ここでは皆仲が良さそうにしている。同じく迫害されることのあるファンタジーでお馴染みの種族、エルフやドワーフといった妖精種や龍人族も。獣人族の多くはアストを見ると、拳を握った状態で両腕を胸の前で並行に合わせ、片膝を突いてくる。


「なんか、むず痒いんだけど……」

「獣神信仰の礼ね。亜精霊は聖獣なんだって」

「聖獣、か。つまり僕も信仰対象? なんだかなぁ」


 あんまり嬉しくは思わないみたいで、居心地が悪そうにしている。変に目立ちたがらないのは、私に似たのかしら? そんな感じの事を森で人を見かける度に言ってしまっていた気がする。


「気になるなら、入ってる?」


 帽子の中を指さして聞いてみる。半分冗談だったのだけれど、よほど嫌だったみたいで、そうすると返事をするなり肩に飛び乗ってきた。仕方がないので帽子を少し持ち上げ、中に入れてやる。


「う、思ったより重い」

「普通の猫よりは軽いでしょ」


 そうは言っても、腕で抱えるのと頭の上に乗せるのでは全く体感が違う。まあ、その内慣れる程度ではあるから、魔力で少しだけ身体能力を強化するに止めた。


「ちょっとソフィア、もうちょっと揺れないように歩けない?」

「無理」

「ちぇー、まあいいか」


 帽子の隙間から覗き込んでくる気配を感じたけれど、そういう訓練はしていない。諦めてほしい。何より面倒だし。


 街中を歩くのは、今後このスタイルになりそう。出来ればさっさと慣れて欲しいかな。この世界の信仰は色々あるけれど、ここまで大げさに崇拝してくるのは獣神信仰の人たちだけだろうし。この世界で最大のグラシア教やそれに連なる宗教も亜精霊は信仰対象だけれど、これ程ではない。あとは、いくつかある精霊信仰だけれど、あちらは隣人的な扱いか、逆に忌み嫌うかだ。


 そんなやり取りをしている間に、冒険者ギルドらしい建物に着いた。貴族街っぽいエリアからも然程離れていない辺りだ。

 さて、この世界のギルドはどんな感じなんだろうか? お役所っぽかったり、酒場っぽかったり、物語のお約束の形にも色々あった施設だけれど……。


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