第25話 「 名刀 」
中世日本。侍がこの世を支配しながらも、すでにその鳴りを潜め始めていた頃。ある国に刀を集めるのが趣味の殿様がいた。そのウワサを聞きつけて一人の刀匠がやってきて言った。「私は何でも一刀両断できる刀を持っている」と。ところが城下では今更誰も刀なんぞに目をくれる者はいない。時代はもう商人のものになりつつあったのだ。しかし当の殿様はすぐにその刀匠を城に呼んでその刀を所望した。ところが刀匠は首をそうやすやすと縦には振らない。「これは売り物ではありませぬので」そう言われると殿様はますますその刀にご執心と見えて、「そうか。ならばせめてその切れ味をわしに見せてくれぬか」と詰め寄った。すると刀匠が「よろしい」そう応えると、城下随一の使い手の侍が現れその刀を抜くと、殿様の目の前で刀匠を一刀両断に叩き斬ってしまった。「なるほど、よく切れる刀わいの…」と殿様。あとには主を失くした一振りの刀だけが残った。そのウワサはすぐに城下の隅々にまで広がり、人々は殿様の気性に怖れおののいた。
しばらくしてある大商人が殿様の刀を拝見したいと言ってきた。日頃財政を顧みず、その商人から金を借りたがっていた殿様は一も二もなく承知したが、殿様の数ある刀を興味深そうに眺めていた商人は言った。
「殿様にとってこの刀の束こそが<武士の命>なのでしょうな」
「いかにも」
「それは政(まつりごと)と比べてもでございますか?」
「無論」
それを聞いた商人は何故かそのまま城をあとにした。殿様は訝しく思ったが、背に腹は代えられず今度は自らその商人を呼びつけた。
「刀狂いにも飽いてきた。どうだ、この何でも斬れる“無双両断”を買わぬかの?」
すると商人は言った。
「お上、この御刀はさぞ伝家の宝刀ではありませぬか?」
「左様」
「そうですか。ならばこの刀を抜かれることはありますまい」
その時、一瞬殿様の顔が曇った。「…うむ。武士に二言はない」
一方商人は些事に関せぬ顔で、「しかし武士である殿様が何故刀を売られますかな?」そう問うた。
「先程も申したであろう。もう刀集めにも飽きた。京都五条の弁慶でもあるまいしな」
「なるほど」
「どうじゃ、いくらなら買う?」
「そうですな。しかしこの刀、真の“無双両断”でございますかな?」
「何故じゃ?」
「いささか血の匂いが致します」
「何?」
「以前この刀で誰かを斬られましたな。しかしそもそもこの“無双両断”はあまりにも斬れるゆえ、人の血すら流れぬと申します」
「戯言じゃ」
「ま、そうでございましょうが」
「いかがいたす?早う返事せい」
「昔、ある刀匠がおりました」
「何?」
「元々は武士でありましたが、いろいろあってその道に入り、数々の名刀を作っておりました。ところが時代はもう武士の時代ではなく、その刀匠はその道をわが子には継がせず、細々と一人鍛冶仕事で食いつないでおったそうです。それでもかつて武士であり、また刀匠である自分の本分だけは忘れず生き長らえておりました。そしてその者はある時この国に出向き非業の死を遂げたそうです」
「その者とは…?」
「はい、この“無双両断”の作者。そして私の父でございます」
「…」
「殿様、老い先短い父が何故最期にこの国に出向きましたか、それは殿様、あなたの“武士”然としたお人柄をウワサに聞き及んだからでございます。そして自分の最期の作をあなたに献上するつもりであったのです」
「なんと…」
「父はそのことを私に珍しく書状に書いて渡して参りました。そしてその末にはこう記しておりました。『しかし振り返ってみれば志というものはやはり物ではなく、人の心に宿るものである』と」
「その方、この件をいかがいたす?」
「私は商人でございます。今更お殿様に申し上げることはございません。ただこの刀をお売りになると仰るならばお買い上げするのみ。それが商人の道でございます」
「そなた、父を斬ったわしを恨まぬと申すか?」
「父は志に生き、そして死したのみ。私に言えますのはそれだけでございます」
「…」
「殿」
「…売らぬ。この刀は売らぬ」
「お売りにならぬと」
「そうじゃ。貴様などに売って小金を稼がずとも、われらが力でこの国を成り立たせてみせるわい。いかがじゃ?」
「御意に。承知いたしました」
それからというもの殿様は政(まつりごと)に精を出し、国はいっそうの活気を見せたそうな。そしてあの刀匠が暮らしていた場所には「志」の一文字の入った塚が築かれたと云う。
「わしはどうやらあの父子に斬られ、臓腑の隅々まで世間に晒されてしまったようじゃ。まこと人の志こそ真の名刀に違いない」
殿様は一人呟く。
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