第20話 「 池の底 」

 双子の兄の急病を第六感で感知し、久し振りに故郷に帰ってきた僕。幸い入院していた兄の容体は予想したほどのことはなく、時間が空いた僕は運転していた車からふと目にした小川の川べりを歩いてみることにした。

 そこは昔父に連れられて兄と三人で魚採りに来ていた場所。「そう云えば、よく死んだ祖母ちゃんが小事言ってたっけ」僕はしばし思い出に身をゆだねる。真っ暗の中、ぬるい川の水にそっと足を浸ける感覚。カーバイトの硫黄の臭い。腰まで水に浸かりどんどん僕らの前を行く父の背中。家に帰って捕まえた魚を盥に入れる時の鱗のぬめり。そして翌朝そこに仰向けに浮んでいた魚の腹の色と腐りかけの水の臭い。

 不意に僕はある少年のことを思い出す。その少年はある夜僕らと同じように川べりに立っていた。聞くと兄弟を探していると云う。何故だか父はその子には構わずどんどん川に入っていく。少年は僕らにおびえる風で、「そんな子見なかった」「知らない」と僕らが言うとしょんぼりした様子で川に入っていく僕ら親子を見送っていた。

 あれは本当のことだったのだろうか?僕は車に戻り病院の兄に電話してみることにした。「そんな子、いたっけな?」兄の声はのんびりした調子で返ってきた。

 僕は実家に戻り、裏山の入り口にある「どろぼう池」に足を向けた。そこは祖母がよく「あの池は見かけこそ小さいが底なしで、離した魚もいつの間にかいなくなって空(から)になってしまう」とぼやいていた。「じゃあきっと、どこか別の川に奥の方で繋がってるんだね」僕らがそう言うと祖母はカカッと曲がっていた腰を伸ばして笑った。「馬鹿な!」

 突然バシャという水音がして、池の面に白い影がうねった気がした。森の影と光でよくは見えなかったが、それは魚の腹のようにも思えた。僕はもう一度目を凝らした。その時あの少年の顔が目に浮かんだ。そう言えばあの少年とはその後学校でも顔を合わせたことはなかった…。

 僕は池底を覗くのを止めて家の方に足を向けた。その時携帯電話が鳴る気配がして取った。兄だった。「お前さ。2、3日いるんだったら、久し振りに魚採りに行こうや」僕はその兄の提案をなんだか遠くで聞いていた。

「そのうち。お互い元気になったらな」僕がそう言うと、兄はそれにフンと応えて電話を切った。

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