第19話 「 宵の瞬き 」

 昔々の話。映画でも見ようと街に出掛けたが、見たい映画には時間が合わず、見れる映画には興が乗らず、結局気の向くまま散策するしかない中年男の自分。行き着いた場末の女郎屋でふと見かけた女。どこかで見たことがある顔。思い出せないまま女を買い抱こうとするが、女を買った金がポン引きから聞いた割引料金だという話をすると女は突然怒り出し、自分は外に追い出される。憤慨するが後の祭り。仕方なく街に戻り、偶然昔見た映画のリバイバル上映にもぐりこむが、それを見ているうちに先程の女の顔を思い出す。その女こそ往年の映画女優の一人で、一時はその愛くるしい笑顔で人気も高かったM。そのMが何故あんな場所に?

「割引料金で抱かれたい女なんてこの世にいるもんかい!」女の最後の言葉が脳裏に甦る。もう一度女のいた店に戻り、女を探すが見当たらない。仕方なく入った飲み屋でグラスを傾けていると、そこへすでにへべれけに飲んだ様子のMが現れ、誰彼構わず絡んでは終いには店からすら追い出される始末。居た堪れなくなった自分は見ず知らずを装って誰もいない裏通りで女に声をかける。

「あの、女優のMさんじゃないですか?」

 女は一瞬虚を突かれた顔をするが、そのうち面倒臭そうに頷く。

「サインはしないよ。今日はそんな気分じゃないから」見ると女の指はわずかに震えている。

「あなたの映画、たくさん観ました。懐かしくてつい…」本心だった。

「今は良い映画がなくなっちゃったよ。暇つぶしにしかなりゃしない」それでも女の目はどこか嬉しそうだ。

「どうです?これから映画でも観に行きませんか?」

「本気かい?もう深夜だよ。あんた、女を口説くんならもう少し上手い文句考えなよ」女は立ち去ろうとする。咄嗟にその女の背中に声をかける。

「ずっと昔、付き合っていた恋人に似てるんですよ、あなたが。それでよくあなたの映画を観に行ってたんです」

 女は立ち止まる。「恋人?」

「ええ」頷く自分。

「その人とはどうなった?」

「結局別れました。若い頃の、よくある話ですけど」

「そんなこと言ってるからダメになるんだよ。男と女の仲に、ありふれたものなんてありゃしないよ」

「そうですね…、いや、本当にそうだ」

 それでも女は仕方なさそうに笑う。その笑顔は一瞬往年の輝きを取り戻した可憐さだ。

「今日はどんなシャシン、やってんだい?」

「昔の、イタリー映画とか」

「…フン、悪くはないね」

 女は懐から煙草を取り出すと震える指で火を点けようとした。自分は持っていたライターで女の代わりに煙草に火を灯す。

「今日は久し振りに歌でも歌いたい気分だね」

「いいですね、付き合いますよ」

 中年過ぎの男と女が、場末の裏通りを昔の流行り歌を口ずさみながら歩いていく。街の明かりが過ぎた日々の輝きを一瞬取り戻したかのように瞬いて、ふたりをそっと照らし出している。

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