第18話 「 手を振る 」

 ある日、事故現場に母親が足を向けると、そこに一人の男が立っている。それが忘れかけていた顔だと気づく母親。男の方も同様。お互いに顔に刻まれた月日と己の生き方を見つめる。

「しばらくぶりですね」

「ご無沙汰しています」


 子どもを事故で亡くした母親。その子は長年子どもがなかった夫婦にとって貰い子だった。ところが数年して突然実の子どもが授かる。兄になった子どもとの関係が意識的になってしまう母親。そんな折の事故だった。

 事故は未成年の無免許運転によるものだった。小学校に上がったばかりの弟ともうすっかり「お兄ちゃん」が板についた子ども。そこへ車が突っ込んできたのだ。兄は咄嗟に弟をかばい、ほぼ即死だった。母親はまもなく狂気に落ちた。周囲はそんな彼女をこぞって同情した。


 事故の加害者の父親。事故で運転していた子どもを亡くした。しかし胸に湧き起こったのは悲しみより怒りだった。父子家庭で、しかし懸命に何不自由なく育ててきたつもりだった。それなのに…。無論周囲の反応は冷たい限りだった。マスコミの攻撃も凄まじく、教師だった彼はまもなく辞職し居も移らざるをえなかった。


 数年後、母親は夜昼なく通りを徘徊している。そして一人残された息子の顔を見る度、なじる言葉ばかりを発している。

 一方、加害者の父親はとある地方都市で工場勤めをしながら、素性を隠し日々をただやり過ごすように送っている。


 実の子どもではない長男をどこかで疎んじていた自分を許せない母親。そして放蕩の末、早世した息子とそのようにしか子育てできなかった自分を許せない父親。二人はしばらく顔を合わせたまま立ち尽くすしかない。

母親「今更なんの用?」

男「どうしてあなたは私に会ってくれようとしなかったんですか?私は私なりに親としての責任を」

 やがて激しいやりとりがお互いの間で交わされる。そこへ母親を探しにきた息子が割って入る。「ケンカは止めてよ。今日は兄ちゃんの特別な日じゃないか」

 少年の剣幕に押されて二人は争いを止める。見れば少年の目には今にもこぼれんばかりの大粒の涙が浮かんでいる。それは大人の二人にとってはもうとっくに枯れてしまったと思われていた砂漠の草露のように映った。


男「子どもというものは不思議なものですな。自分とは別の生き物なのに、ある意味自分以上に気にかかってしまう存在なんだ。だから時として容赦できない。許せなくなるんです」

母親「私はあの子の親であろうとしてその大変さにくじけかけていました。あの子は私を親にする為に生まれてきてくれたのかも知れません」


 やがて二人は別れを告げ合う。

母親「これからどうされるんですか?」

男「分かりません。しばらく自分の人生なんて生きてませんでしたから。でもあなたに会えて良かった」

母親「私は、…家族が待ってますので」

男「まだ、間に合うでしょうか?」

母親「何がですか?」

男「私たちのこれからです」

母親「さあ、どうでしょう。正直自分のこれからがそう沢山残されているとも思えませんし」

男「ウカウカとはしていられないわけですな」

母親「ええ。そのうち、あの子にまで追いつかれてしまいますわ」

 二人は川べりで石を蹴って遊ぶ少年を見た。少年は二人の視線に気づくと、少し照れたように手を振った。

母親「いえ、私なんてもうとっくにあの子に追い越されているのかも知れませんね。そんなことにも気がつかなかったなんて」

男「お元気で。またお会いできますかね」

母親「生きていれば、なんとか、そのうち」

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