第9話 「 ならず者 」

 マナブは優子がシャワーを浴びている音をただぼんやりと聞いていた。ここは密閉されたラブホテルの一室。いつもは息苦しさを感じるこの空間が今日は妙にぽっかりとした空虚さすら湛えている。

 シャワー室からは若干の惑いが窺われる。いや、多分それは自分自身だ。マナブは思う。まさか同じ職場で働く優子とこんな事になるなんて、想像こそすれ予想はしていなかった。マナブは一旦思い返してみる。まるで落とし物を辿る時のように。確か同僚の送別会をやって、一旦お開きになった後は数名の好き者を除いてほとんどの者が帰路に着いたはず。当のマナブは順当に三次会が終わってからも独りで行きつけのバーでグラスの縁を舐めていた。そしてそこにふらりと現れたのが優子だった。

 優子は何の動揺もなくマナブの一つ離れたカウンター席に座り、バーテンに水を注文した。

「どっかで飲んでたんですか?」

「喉が渇いただけ」優子は応えた。

 それから思いつくままに話を続け、一緒に店を出たところでマナブは優子に言った。

「良かったら、この後付き合ってもらえませんか?」

 タクシーの中では優子はずっと無言だった。かと云って今更後悔している風でもなく、ただ単に普段の疲れが優子の身体に纏(まと)っている感じだった。そしてホテルに着くと、「先にシャワー浴びてきて」優子はマナブにそう言い、マナブはそれに従った。マナブがシャワーから出ると、優子はすでに全裸になっており、戸惑うマナブを気にする風でもなく入れ換わりにシャワー室へと姿を消した。

 相手はバツ一のコブつき。とは云ってもすでに子どもは家を出て働いていると聞いた。お互い四十過ぎで独身、いや、自分は長期別居中と云うのが正直なところだが…。

 マナブは自分が柄にもなく落ち着きを失くしていることを自覚する。優子に声を掛けたのは全部とまではいかないが、酒の勢いに任せてと云うのが正直なところだ。そしてそれは優子も分かっていると思う。それでなくても職場では二人共あまり会話を交わすこともなく、お互いに周りからは「生真面目」の類に評されている。そして何よりその職場とは市役所の苦情・相談係と云う、極めて公務色の強い場所なのだ。


「びっくりしてるんでしょう?」

 優子がその細い体にタオルを巻いた格好で立っていた。二人はベッドに並んで座る。

「本当にいいの?」

 マナブが言うと、

「あ、それ最低の口説き文句」

 優子はそう応えて笑った。優子の身体は年の割には若々しかったが、やはり所々には年齢相応のたるみも感じられた。マナブがその小振りな乳房に唇を這わせると、優子は「あ」と短く声を上げた。マナブは何かを確かめるかのように優子の唇を吸う。優子の舌を誘う。すると優子もそれに応える。しばし二人でキスばかりしている。

「何か十代に戻ったみたい」

「え?」

 マナブは顔を上げる。

「全部がぎこちなかった頃に」

 優子はそう言って微笑んだ。その表情がマナブの中の何かを刺激した。後はマナブが一方的に優子の身体を抱いた。


 次の日は土曜で休日だった。二人は再びタクシーで街まで帰り、それから駅まで一緒に歩いた。

「なんかナラズモノって感じがしない?」

 彼女はふと言った。

「ナラズモノ?」

「ほら、イーグルスの曲であるじゃない。デスぺラードって。あんな感じ」

 するとマナブは覚えている限りで口ずさむ。

「そうそれ。朝帰りのならず者」優子はマナブの顔を見る。「でも、楽しかった」

「そうだね」

 マナブも応える。「でも、何だか今でも信じられないな。まだ酔っぱらってるみたいだ」

「いいじゃない。いい大人が飲んだくれて、朝まではしゃいじゃった」優子は微笑みながら俯く。「そんなんでどう?」

「いいね。了解」

「女ってさ、時々意味もなく子ども作りたいって思うことあるんだ」

「え?」

「だから、時々ね。もちろんそのたんびに男を漁るわけじゃないけど、それでも女の本領を発揮したくなるのよね」

「へえ、面白いね。男はどうかな?」

「大丈夫。ちゃんと頑張ってもらえたから」

「そう?」

「なかなかに激しかったわよ。途中で頭の奥にズキーンって入ってきた」

 見ると優子は頬を少し赤らめている。

 この女が好きだ。マナブは瞬間そう思った。そして二人は駅前のロータリーで別れた。

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