第6話 「 ゴーストライター 」
有名作家のゴーストライターをしている僕は、このところ何故か妻に“感じる”ことができない。妻に愛情がないわけではない。むしろ年月を経るたびに妻への思いは人並みに増し、むしろ彼女なしには僕の人生はないとさえ思うくらいだ。
僕には夢がある。いつかきっとゴーストライターを卒業して、世間に作家としての自分を認めさせるのだ。その為に僕は決して諦めるわけにはいかない。このままでは死ぬに死にきれないのだ。
チャンスとピンチはほぼ同時にやってくる。僕の哲学ではそれはほとんど同等のものだ。表裏一体。両価値性。
チャンスの方は僕の最近作がとある有名新人賞の第二次予選を通過したことだ。これは実に五年振りのこと。しかもこの作品は自分でも手ごたえを感じている自信作だから、僕の期待はよりいっそう膨らむというものだ。
ピンチの方は妻に男の影が見え隠れするということ。ここ一年、妻宛ての手紙やら、電話が増え、最近では特定の男からの連絡が絶えない。一体妻に何が起きているというのだ?
しかし、僕は慌てはしない。僕には自信がある。作家として僕が成功さえすれば、きっと妻との距離も是正されるはず。思えばこれまで妻に僕はどれだけのことをしてあげられたのだろう?本当の意味で夫婦らしい時間はほとんど送ることはなかった。代わりに僕は書斎にこもって“ゴースト”としての仕事に邁進し、妻に淋しい思いをさせてきたのだ。ひとつ屋根の下に居ながら……。
人生は過酷だ。「瀬戸際で落とし穴」とはこのことだ。新人賞の最終予選で思わぬライバルが現れた。“覆面作家”らしく情報は皆無だが、業界の予想では大半がそっちの勝利を掲げている様子。
だがこればかりは僕にもどうすることもできない。作家は作品が全て。作品が僕の全てを証明してくれる。僕はずっとそう信じてきた。だからからこそ長年ゴーストライターという不名誉な仕事にも迷うことなく精進できたのだ。待つしかない。ひたすら書き、そして天命を待つのみ。僕に今できることはそれしかないのだから。
気がつくともう早春。窓の外では小鳥がちらほらさえずりを聞かせている。おまけに今日は日差しさえ穏やかだ。遠くで何かの作業音が緩慢にも規則的にこの書斎にも聞こえてくる。その音に耳を傾けていると、これまでの僕の人生が不思議と懐かしさを以って偲ばれてくる。それが僕にはまるで、天からのノックに聞こえてくるようだ。
「本当に皮肉なものね。亡くなってから世間に認められるなんて」
「でも、ご主人らしいですよ。ただひたすら執筆を続けられて」
「自分の病気にも気がつかないなんてね。その節はあなたにもずいぶんお世話になったわ」
「そんな。そう云えば、奥さんが作家としてデビューされていること、ご主人はご存知だったんですか?」
「どうでしょう。何か怪しい、ぐらいは思っていたかも」
「正直、あの年の新人賞の最終選考、ビビりましたよ。ライバル同志が実はご夫婦。これって家庭的にはどうだったんです?」
「どうって。取り立てて何かあるわけではないけど、お互いライバルになってるわけだから…」
「言葉にならない緊張関係ですか…。そうだ、今度はご主人をモデルに書いてみられたら」
「そうねえ。思えばあの人の背中を見て作家を志したのよね、私」
「それが今や押しも押されぬ有名作家に。良いですよ、企画としてもこの上ないくらい斬新ですよ」
「ふふ。考えとくわ。だったらタイトルは…」
有名作家のゴーストライターをしている僕は…。
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