第4話 「 うたた寝の時間 」

 昔々の南の島でのお話。小さな田舎の学校で仲良く遊ぶ子どもたち。やさしいが、怒ると恐い先生と毎日勉強して、一日楽しく過ごしていた。

 ある時、一人残って川で遊んでいた少年が溺れて死んでしまった。家族と学校の先生、そして子どもたちはその少年のためにお葬式をあげてやろうとするが、その頃その島では王様が変わり、お葬式はおろか死者を供養することも公にはできないことになっていた。「死んだ者は帰ってこない。済んだことは悔やんでも仕方がない。仕方がないことは役に立たない」それが発展と進歩を目指すその島の新しい掟だったからだ。

 いつの日か少年のことは忘れ去られ、子どもたちは大きくなり、そのほとんどの子が田舎から町の方へと働きに出た。子どもの数も以前より減っていたので、後に残った先生はなんだか寂しそうな様子。そして思い出されるのはあの幼くして死んだ子どものこと。先生はだんだん沈みがちになった。そうして十年以上が経ち、町へ出掛けたもう白髪が目立つ格好になった先生は、その頃激しくなっていた王様への民衆の抵抗運動に偶然出くわし、飛んできた石に頭をぶつけてその場に倒れた。その間際誰かが近づいてきた気がしたが、もう後は分からなくなってしまった。

 それからまた時は過ぎた。先生はあの頃の怪我が元で記憶が曖昧になって、家族にも訳の分からないことを口走るようになった。仕方がないので家族は先生を学校から辞めさせた。そして一日中家にいる先生はもう老人そのものだった。

 やがてあの発展と進歩の王様は民衆の力により島を追われた。後で分かったことだが、王様は民衆に隠れてたくさんのお金を持ち逃げしたらしかった。しかしもうそのことには誰も触れなかった。まるで夢から覚めたすぐの時のように、うまく心と体が動かせなかったから。そんなある朝、もうすっかり無口になっていた先生が起き出すや否や「今日は学校だ!」と騒ぎ始めた。家族はいつものことだと放っておこうとしたが、先生の目があまりに深く澄んでいたので、訳が分からぬまま言われるがまま、先生の昔の生徒たちを学校に呼ぶことにした。

 最初誰も集まらないと思われた教室にもうすっかり大人になった昔の子どもたちが次々と顔を並べていた。町で商売をしていたが王様の一件で店をたたんできた者。親が病気で島に帰ってきた者。それからあちこちを放浪して気がついたら学校の前に立っていた者まで、だけど本当には何故自分がここにいるのかを分かっている者は誰一人いなかった。

「さあ、出席を取ります!」久々に白いシャツに袖を通した先生は背筋をしゃんと伸ばし、いくらか若返ったようにさえ家族の者には思えた。そしてふと教室を見回すと不思議なことが目の前で起きていた。先生から名前を呼ばれた元生徒たちが「はい」と返事をする度、その姿が昔の子どもの姿に変わっていくのだ。そして一巡した教室にはあの頃の元気な子どもたちと若々しく逞しい先生がにこやかに立っているのだった。

「あれ、先生。一人忘れてるよ」誰かがそう言うと、途端に皆はわあと笑った。すると先生は言った。「何を言ってるんだ。ほら、お前たちの友だちはずっとそこにいるぞ」子どもたちが先生の指差す方を見ると、そこには確かにあの仲の良かった友だちがにっこり笑って立っていた。子どもたちが皆んなしてその子の名前を呼んだ。

「さあ、今日は川で魚を取るぞ」先生が言うと子どもたちは一斉に裸んぼになって教室の外に駆け出した。川に着くと友だちと競って泳ぎ出す者。川床の石に手を入れ大きな蟹に指を挟まれる者。あるいは飛び込み岩から水しぶきを上げる者。しまいには先生もその中に混じって、まるで子どものようにはしゃぎ始めた。

 気がつくともう太陽は西に傾きかけていた。「さあ、学校に戻るぞ」先生がそう言うと、子どもたちは一瞬キョトンとしてそれから我に返ったように「はーい」と返事をした。そしてみんなで歌を歌いながら教室に戻った。

「あれ?先生、あの子は?」もう影の濃くなった教室の中を見回してもあの小さな友だちの姿が見えない。辺りを探す子どもたち。すると教室の入り口で立っている友だちを見つける。

「何やってるんだよ、早く中に入れよ」ガキ大将が手を引っ張るが、その子の身体は硬く重くどうやっても動かない。すると先生が近寄ってきて優しく言葉をかける。「今日は、今日だけはいいんだよ」すると子どもは安心したかのように中に入る。

「では、さよならの会を始めます」先生がそう言うと、子どもたちは次々と今日あったことを先生と仲間たちに一言ずつ話をした。そして最後、その子の番になった時、何故か先生はその子を教壇に呼んで静かに皆に語り始めた。

「今日はみんなにお知らせがあります。彼がみんなにサヨナラをしなければならないことになりました。実は今日の学校はみんな、彼が君たちと会いたさに先生に頼ってきたことから開かれたのです。そう、もうみんなも気がついているでしょう?彼は既にあの川で死んでしまっていることを。そして君たちにももう子どもではなくて、立派な大人になっていることを」

 子どもたちはもう誰も騒いだり、友だちをつついたりする者はなかった。その代わり、壇上の小さな友だちを見て、その服がまだ濡れていることに気がついた。

「どうか、この子を責めないでほしい。彼だって、君たちだってあの時ちゃんとお別れがしたかったんだよな。それを先生たち大人ができなくさせてしまったんだ。本当にすまなかったと思う。どうか許してほしい」頭を下げた先生からはもうさっきまでの若々しさは失われていた。そしてその目からは涙が一筋流れていた。子どもたちは驚いて先生を見た。すると横にいたあの小さな子が少し湿ったハンカチで先生の頬を撫でると、今度は教室の仲間に向かって言った。

「今日君たちと久し振りに会えて本当に嬉しかった。でも本当は僕、いつも君たち一人一人のそばにいたんだ。だからちっとも寂しくはなかった。これまでも、そしてこれからも。だから…」

 その子の最後の言葉は、その姿と同じくしてだんだん透明になって、たいていの子どもたち、いや、もう大人になった同窓生たちには聞き取れなかった。

「さあ、みんなでお別れの挨拶をしよう」もうすっかり腰の曲がった先生がそう言うと、生徒たちはしゃんと背筋を伸ばし、級長の合図で口をそろえた。

「今日は一日有難う。また明日元気でね!」

 あの子の姿はもう見えなくなっていた。生徒たちは哀しかったけど、苦しくはなかった。むしろ何か胸の閊えが取れたようでほっとした気持ちになった。三々五々の帰り際、教壇脇の机で見送る先生にお礼を言いかけると、先生はもう疲れたのか本を枕にウトウトと眠っていた。「さよなら、先生。また今度ね」子どもたちがそう言うと、先生はまだ夢の中にいるのか、笑っているようにも見えた。そしてその背中には夕方の陽光が煌々と降り注いでいた。

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