前編
かわいくない毛の生えた愛しき我が右足とお別れして三日ほど経った頃、事態は動いた。
「大西くんだね?」
「……なんです?」
「君の名前は大西晃生だね?」
「……はい」
白衣には
歳は三十代前半といったところだろうか。
そんな男が笑みを浮かべて、血の池地獄に現れた蜘蛛の糸の如く魅惑的な言葉を吐いた。
「君の足を取り戻せると言ったらどうする」
苦しんでいたはずの幻肢痛の痛みさえ、一瞬忘れてしまうような朗報。
「ドナーがみつかったんですか!?」
提供者はは少なく、それに比べて提供を望んで待つ人は数多。
医療技術が発達したとはいえ、神経を繋ぐ手術は依然難しく、他人の体との拒絶反応も多い。
期待しない方がいいと言われたチャンスが降って湧いてきた。
「そうとも言えるし、そうでないとも言える」
「……どういうことです?」
もったいぶった言い草に、思わず眉をひそめた。
「ドナーは君自身だよ」
「……つまり、どういうことです?」
またも訳のわからないことを言い出したので同じ言葉を繰り返す。
この男の視界には、いかにも怪訝な顔が映っていることだろう。
男は何が面白いのか、ふっと笑った後、口を開いた。
「私は再生医療の専門家でね。ああ失礼、申し遅れた。私は石神。常勤してる訳ではないが、まあここの外科医だ。よろしく」
石神医師に手を差し出されて、思わず握手をする。
僕が入院しているこの病院の名前は、石神総合病院。
目の前のこの石神医師、院長だか理事長だかの身内だろうか。
「どうも。あの、再生医療ってのはあれですか? iPS細胞とかSTAP細胞とかの、身体の一部を復元する。みたいな」
「ああ、その認識で構わない。体組織を培養し、できあがったものを移植する。自らの遺伝子情報を元に体組織を生成するため、移植時に起こりうる拒絶反応の可能性を限りなく減らせるわけだ。この手術受けてみないか?」
非常に魅力的な提案だった。
ゴールがあるのならばこの鬱屈した感情を抑えて、痛みや悲しみに耐えることもできよう。
都合よくドナーが現れるのを待ち、淡い期待を抱き続けることに比べれば雲泥の差である。
しかし、嬉しいことばかりではないだろう。
医療に詳しい訳ではないが、他人の足を移植するのに比べて、一から自分の足を生成するというのはお金がかかるんじゃなかろうか。
高度な治療というのは得てして高価なものというイメージがある。
「その場合、治療費はどうなりますか?」
おそるおそる聞いてみると、石神医師は一瞬きょとんとしてから、また笑顔に戻った。
「治療費に関しては気にしなくていい。むしろ、こちらがいくらか謝礼として払おうと考えていた」
「え、謝礼? 逆に支払うって…… なぜですか」
「ふむ、これは君の治療であると同時に私の研究でもあるのだよ。簡単に言うと治験のようなものと考えてくれればいい」
「治験ですか?」
医薬品の効能を調べるやつか。
たしか、大学にも治験のバイトに行くとか言ってしばらく来なかった奴がいた。
「ああ、私は再生医療に携わってきて培養した臓器などを移植したことがある。また、外科医として事故で切断された手足を繋いだこともある。しかし、まだ培養した人の四肢を繋いだことはなくてね。君にはこの治療法の被験者第一号になってほしいのだよ」
「なるほど……」
「……この治療法が確立すれば、先ほどの君の様に暗い顔をして過ごす人も随分と減るだろう。どうかな? 悪い話ではないと思うが」
悪い話なものか。
悪い話ではないどころか、この上なく有難い話だ。
最先端の医療で僕の足を取り戻せる。
保険に入っているとはいえ、持ち出しが無いわけじゃない。父さん達に負担をかけることを申し訳なく思っていたけど、逆にこっちが貰えるなんて。
そんなうまい話があっていいのかって感じだ。
「ぜひお願いします」
「そうか良かった。では、よろしく頼むよ」
僕の二つ返事に石神医師はまたも人の良さそうな笑みで頷いた。
……。
あの後、主治医の先生にも報告したところ「また、あいつは勝手に」と嘆いていたが最終的に了承を貰えた。
こちらは
石神とだけ名乗ったあの医師は
手術に失敗した所を見たことがないと、その腕は認めているらしく、特に心配していた訳ではないがお墨付きをもらった。
さて本日は石神医師に連れられてあちこち検査を受けていた。
血液を採られ、騒音の中MRIで足のみならず全身調べられ、診察室のベッドに横たわっていると段々うとうととしてきた。
「培養にも多少時間はかかる。常に車椅子というのも不便があるだろう。義足を作っておくので歩く練習をしておくといい」
「はい……」
「ん? 眠いのか? 寝ててもいいぞ。いくつか細胞を採取するが寝てても問題はない。終わったら起こそう」
「どうも……」
話半分にしか耳に入ってこなかったがどうやら寝てても問題ないらしいことがわかり空返事を返す。
そして、なんとか抵抗していた眠気と手をとり、僕はゆっくりとまぶたを閉じた。
……。
「アンプタから行い、終わり次第、臓器の摘出に──」
どれくらい眠っていたのだろうか。
誰かの話し声に目を覚ますと、ドラマで見たことがあるような手術室にいた。
「ん?」
手術台の上で胴と手足が固定されている。
動かせる範囲で身体を動かしたところ、ある違和感を…… いや、違和感というにはあまりに馴染みのある感触を覚えた。
「足が、足が元に戻ってる! どうして、時間がかかるはずじゃ。こんなに早くっ! ああ、先生! これ、夢じゃないですよね!?」
声に驚いたのか石神医師も助手達も一斉にこちらに振り返った。
「先生…… これは夢ですか?」
「……いや、紛れもなく現実だよ」
僕の質問を一人の助手が繰り返し、石神医師が否定する。
視線をこちらに釘付けにしたまま行われたやりとり、なんとなく居心地が悪い。
「あの……なにかありました? 問題でも?」
「先生、これはいったい……何が起きてるんですか」
無視。
僕の言葉には誰も応えず、またも同じ助手が石神医師に問う。
「わからん。だが、我々は神の領域に足を踏み入れたようだ」
口元は笑っているが、その目はいつもと違って見える。
異様な瞳と目が合った。
「自分の名前が言えるかい?」
「ええ、大西晃生です」
「ふむ。今日の日付は?」
「七月十六日?」
「何年?」
「二〇四七年」
「目覚める前はどこにいた?」
「……診察室です。身体を調べてて、細胞を採るけど終わったら起こすから寝てていいって」
「なるほど」
石神医師は僕との問答を打ち切って、助手達に振り向いた。
「どうやら遺伝子を採取した時点までの記憶を引き継いでるようだ」
「記憶の複製!? そんなばかな……」
「素晴らしい。世界中見渡しても初めての事例だろう」
「どうするんです先生? オペは中止しますか?」
「ふむ。いや、続ける」
「良いんですか?」
「大西くんに足を返してやらねば。ただし臓器の摘出は中止しアンプタのみ行おう」
「収支はマイナスとなりますが」
「私の財布から補填しておこう。なに、それも一時的なものだ。この現象を解明できれば世界中から──」
またも僕のことは置いてけぼりにされる。
どういうことだろう。手術は終わったんじゃないのか。
右足は戻ってきて事故の前みたいに動かせるけど。
「あの! さっきから何の話を……」
「ああ、確かに困惑してることだろう。大西君の足を取り戻すために生体を培養するという話は覚えてるか?」
「え、はい」
「培養は成功したよ」
「ええ、だからこうして足が……」
右足に触れたかったが手も足もベルトで固定されて動かせない。
「そうじゃない。培養し生成されたのが君だ」
石神医師はあっさりとした口調でそう言った。
「は? 何を言って」
「わかりやすく言うと、君は大西晃生君のクローンなんだよ。遺伝子を採取してから約半年。ようやく目標の大きさまで成長したから移植のため足を切り取るところだ」
「待って、待ってください! 意味がわからない。クローン? 違う。僕は大西晃生だ!」
力を振り絞っても身体は手術台に固定されたまま。
「違うよ、君は大西君じゃない。名前はまだないんだ」
「これっ! 外してくださいよ!!」
「先生、麻酔の用意ができました」
「初めてくれ」
「何ですか、ちょっとっ! 触るな!」
口元にマスクをあてられる。
くっ、足に触られてるみたいだけど感覚が鈍い。
意識も少し…… 気を失ってたまるか。
「おや、意識が。まいったね」
「先生、お時間の方が」
「仕方ない、始めよう。痛みは感じないだろう」
痛みはないがごりごりと足の肉を抉られている感覚が鈍く伝わってくる。
力は抜けて首も動かせないので見ることはできないが手術が始まったのだろう。
「う、うわああ! うわああああ!」
やめろやめろ。
せっかく取り戻した足をまた失うなんてごめんだ。
「騒々しいな。口になにか詰めてくれ」
「はい」
「んんんっ! ん゙ん゙ん゙ん゙ん゙っ!」
僕がクローン? そんな訳ない!
名前がまだない? ふざけるな、よ。
「んん! ん…… んぅ……」
「ふむ。やっと静かになる」
僕の名前は大西晃生だ。
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