ブラックにする? ホワイトにする? それとも───カフェオレ? 2




 ロアが「それではの資料をご覧くださいー!」と言うなり、突如として████の眼前に〝資料〟が現れた。右上部をクリップ留めされているそれは目先でピタリと固定され、宙に浮く形となる。まるで魔法だ。

 自動で捲ってくれるつもりらしく、浮いたままの紙束の表紙がぺろりと捲れた。心なしかはやく読めと圧を感じる。

 はい、読みます。

 心中で返事をしながら、背中をつつかれている心地で目を通し────、


 〈───……っ、な、これ……なんで、すか、これ〉


 驚愕のあまり声を上げた。しかし、知らずのうちに口の中の水分は失われていて、枯葉のように乾いた音が切れ切れに発せられるだけで終わる。きちんと言葉になっていたかも怪しいそれはくぐもっていて、ひどく聞き取りづらい。先程のように鳴音が生じることはなかった。

 ████が目を通せたのは実質1ページのみだ。次ページを読むことを脳が拒否し、その心境を察したようにページが捲られることもまた、なかった。

 その1ページに書かれていた内容は極めて非現実的で、現実との乖離が激しい。

 

 株式会社異世界転生商社って、なんだ。

 おばかでも大体理解できる簡易説明版、などと人を揶揄からかっているのか、それとも小馬鹿こばかにでもしているのかと噛みつきたくなる文言に始まり、そこにつらつらと書き連ねてある内容はやはり受け入れがたいものばかり。

 だが、内容はともかくとして、ところどころに点在するワードは馴染み深くもある。何遍なんべんブラウザ検索をかけたかわからない。何度そういう小説を読んだかわからない。そうして───どれだけ異世界にがれたか、これほどまでに人生に疲れ切っていたのかも、わからない。

 

 〈かぶしきがいしゃ、いせかいてんせい、しょうしゃ……〉

 「はい! 株式会社異世界転生商社です! ついでにいうと、ここは日本支部!」


 恐々と呟く████の言葉を肯定するようにロアが頷く。

 

 〈え……あの……ひとつよろしいでしょうか?〉


 何度も舌先で転がして、ひとまずここが何処なのかを理解した████が挙手する。


 「もちろん! どうぞ!」

 〈いましがた俺が貰った内定って……異世界転生商社の、じゃないですよね……?〉


 ぴしりと音が聞こえた。


 〈え、ちがいますよね……?〉


 ちがうと言ってほしい。そう願いながら念を押すように言葉を重ねてみせると、とうとうロアが石化した。

 空気が凍る。


 〈……〉

 「……」

 〈…………〉

 「…………」

 〈………………〉

 「………………ぅ、」


 沈黙に耐えきれなくなったのか、小さく呻いたロアは頭を抱えると「あー」や「うー」といった赤子同然の単音を発しはじめた。唸るロアの動向を見守り続ける。

 しばらくそうしていると、抱えていた頭を勢いよく上げたロアがものすごい剣幕で身を乗り出してきた。パイプ椅子が悲鳴を上げる。


 「言い訳……ちがうっ、弁明させてください!」

 〈弁明……〉

 「はいっ、弁明! あのですね! 我々は当初、あなたに異世界転生をしてもらう算段をつけておりました! 生前は大変苦労なさっていたことは調書で確認済みですし、こんなクソ……うんこ……うんち……えーと……やっぱりクソでいいや、クソみたいな世の中で必死に頑張って生きていたひとには面白おかしい人生を送ってほしいなぁって」

〈はぁ……〉

「思ってたんです! けども! いやぁ……ちょっとした手違いが生じまして!」


 そう言って、揉み手をするロア。


 〈それは……時期早々に殺された、とか?〉


 それだったらやるせないと非難を声に滲ませるも、それはないと勢いよく返される。


 「あなたが死ぬのはライプニッツ式といいますか、決定事項でしたので寸分の狂いもなく営業部の人間に業務遂行されたわけですが!」

 〈ア、ハイ〉

 

 この場合、手違いではないことに安堵すべきか、悲観に暮れるべきか。


 「というか我々が手を下さずとも、どのみち3日後には死んでました! 死因は過労、覚えがないとは言わせません! 三食ウィダーインゼリー、睡眠時間は平均3時間、浴槽に浸かることもなく毎日シャワーのみ……それで平気なわけがないんです、さすがに人体嘗めすぎ! まあそういうことで、ニワトリが先か卵が先か的なノリで、死ぬのが先か殺されるのが先かって感じの状況だったんです、アハハ! ────……じゃ、なくてぇ……」


 ここにきて初めて、ロアの声から感嘆符が取り払われた。


 「手違いというか、もはや問題と言うべきか……ああ、はい、問題……そう、問題はここからでして……」

 

 尻すぼみになっていく語尾からは悲壮感が漂っている。肩を落として身を縮こませている姿は、まるで叱られ待ちの子供のようだ。


 〈と、いうと〉


 先を促す。たっぷり10秒の間をとったロアがおずおずと口を開いた。


 「……魂が割れちゃったんです」

 〈……魂が、割れる?〉


 曰く、事故の衝撃がからだのみならず、魂にまで響いた所為で割れた。

 程度ならば異世界転生商社の敷地内に併設している療養施設───病院とは少し違うらしい───で保養させ、欠けた部分を埋めるを施したのちに異世界転生の儀式を執り行う。だが、状態ともなると話が変わってくる、と。

 割れた状態にある魂を無理やり異世界転生させることは辺獄リンボ法で固く禁じられており、法を犯せば牢獄に収監される───とも。

 そしてロアに言わせると、████の魂はその割れた状態とやらに該当するらしい。

 だが、あなたの魂は割れているんですと言われたところで、なにひとつとしてピンとこない。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る