インスタント面接 ※大幅加筆修正




 ぬるま湯のような微睡まどろみのなか、突如として冷水を浴びせられたような心地だった。輪郭りんかくをぼかしていたなにかが瞬時に凝固する感覚がして、それが集合意識の波間を海月くらげのように揺蕩たゆたっていた████という個の意識をかたどり終えたのだと理解した次の瞬間に目が覚めた。

 夢見心地から覚めたはずで、けれど未だ夢幻むげんさかい彷徨さまよっているのかと思い違える程度には受け入れがたい光景を目の当たりにしている。


 ───瞼を開けて最初に映ったのは見覚えのない部屋の天井だった、という一小節ワンフレーズがある。ラブロマンスの導入としてはだいぶ昔に陳腐ちんぷ化したベターな展開。

 直前の境遇的にもそれが適用されるとはつゆほども思っていなかったが、それにしたってこれは。新手の悪夢かと目を疑った。

 気づけばミーティングテーブルと、それを挟んだ向こう側にパイプ椅子が一脚置かれただけの部屋にいた。それ以外に特筆すべきことがなく、そしてだれもいないこの空間にはどこか見覚えがあった。より正確に言い表すなら、そう───既視感きしかん。大脳皮質から抽出ちゅうしゅつした記憶映像を大雑把に再現してみせたかのようなそれ。就活生だった時分に入退室を繰り返した、どこか厳格な空気を漂わせる空間。会議室、面談室、面接室。そのいずれかの呼び方には該当するだろう空間をぐるりと見渡した████は途端、焦燥感に駆られた。

 状況が呑み込めない。どうにも受け入れられない。


 だって████は───死んだ、殺された。

 自我が死という概念で希釈きしゃくされてぼやけていく感覚を忘れてはいない。文字通り一生に一度の体験をしたのだ。不幸中の幸い、長くは苦しむことなく23歳という人生花盛りな時分に一生涯を終えた。終えて、それで───。


 「うん、それで?」

 〈それで───……え?〉


 声がした。男とも女ともつかない声が耳朶を打ち、困惑の色を濃くした自身の声がなぜか脳に直接響く。エコーが変に効いたカラオケボックスにでもいるようだ。鳴音がひどい。


 「こっちです、こっち。 ……見えてますかね?」


 誘導されるようにして声の発生源を辿れば、いつのまにかパイプ椅子に腰を下ろしている人物がいた。蛆のように湧き、煙のように唐突に現れた。勿論、音などあるはずもない。

 黒のタートルネックと同色のスキニーを身に纏っているそのひとは、細く長い足を優雅に組んでテーブルに頬杖をついている。

 驚くべきことに、その人物の顔には一切の表情がなかった。……否、表情どころでなく、あるべきパーツが存在していなかった。それらすべてを隠すように、ただ白いだけの面で顔を覆っている所為だ。

 訝し気に見すぎたか。一点を注視していた████の視線に気づいた人物は「あ、ごめんなさい。いまパチスロ起動しますねー」などと意味不明なことを、やっぱり男女どちらか判別できない声質で言って───そうして宣言どおり、パチスロとやらを起動させた。

 パッと電源が点いて、模様や装飾がないただ白いだけの面の中央に絵柄が表示された。液晶画面と化したらしい面の上で、複数の絵柄が高速で流れていく。

 なるほど、これがパチスロ……と妙に感心し、ほぅと丸っこい空気を吐いたところで「お好きなところでストップって言ってください。なんかこう、フィーリングで止めてもらえると」と指示を受けた。

 てれれれー、とどこか間抜けな音を伴って絵柄が循環していく。高速すぎてどんな絵柄の群れが流れているのかてんでわからず、ただ適当に止める他なかった。


 〈えっと───……ストップ〉


 ぞんざいに止める。てれれれー、と鳴っていた間抜けな音と、何通りあるのかもわからない絵柄がピタリと止まり、面の中央に固定される。

 黄色い球体に潤んだ目がついてる……ぴえんと呼称される絵文字だった。


 「あ、ぴえんだ。ふぅん、なるほど把握です」


 なにやら納得したらしい人物が、おもむろに手を伸ばして面に手をかけた。そうして外された面の下を見て、████は絶句した。

 ひどくうつくしいひとだった。

 この世に存在する、ありとあらゆる美の概念が、きまぐれで人間のかたちをとったならきっとこうなるのだろう。そう漠然と感じた。それほどまでにうつくしく、同時にその容姿はひと匙の恐怖を与えるのにも一役買っていた。性別を超越したとか、たゆまぬ努力ありきの美ではなく、そもそもとして生という概念の埒外にあるかのような、そんな無機物めいた造形美がどうにも恐ろしく映った。なにもかもが理想的で、けれどすべてが整いすぎていた。

 ████は怖気ついて、けれどその怖れは瞬時に吹き飛ぶことになる。息つく間もなく捲し立てられ、その勢いのすごさに圧倒されたからだ。


 「はいどうもはじめまして、採用担当係のロアって言います! エル、オー、エーでロアです! 気軽にロアって呼んでください! じゃ、こっちの身分を明かしたのでインスタント面接を始めまーす! ───……はい採用! これ内定書! というわけでいまこの瞬間から働けます! おめでとうございます、ご愁傷さまです!」


 さきほどまでの平坦な声音はどこへいったのか。語尾すべてに感嘆符がついているのかと訊ねたくなるほど怒涛の勢い。氾濫した川の水が押し寄せてくるよう。

 どこで息継ぎをしているのかもわからないほど矢継ぎ早に話す人物ロアに気圧され、███はただ口を開けて放心していた。そうして呆けている合間に───ひとつたりとも質問されてないにもかかわらず───面接が終わり、我に帰ったときにはなにかの内定を与えられていた。




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