6,オトナイ

しも中下なかしもなか中上なかがみかみの順番だから、うちはい~っちばん最後だよ」

 椅子でくつろぐ亜実が、人差し指で空中を下から上へとなぞる。

 斜め向かいに座る直樹は何の反応も示さなかった。テーブルに肘をつき、口元で両手を組んでいる。その上から覗く眼差しはキツく、頑なに天板を睨んでいた。

「オトナイのときの言葉は覚えた?」

 それでも亜実は小首を傾げ、いつもの調子で喋り続ける。

 神輿を担ぐでもなく、露店が並ぶでもなく、神様が各戸を訪れる。それがこの村での祭りだ。人々はこの日、様々な行動を控え、神様がやって来るのを待つ。そして、邪気を払ってもらい、新たな一年を新しい身体で過ごすのだ。

 しかし、直樹はそんなこと心底どうでもよかった。座敷牢の青年を見てから、一切が茶番に感じる。亜実の言葉が、態度が、全てが白々しい。

 直樹は帰ると言っているのだ。なのに、車の鍵を隠して、何事もなかったかのように振る舞う亜実。

 地下に人を閉じ込めて平気でいられる彼女も、その家族も、ここに住む人々も、正気ではない。この村は、危ない。

 カタカタカタ……無意識の貧乏揺すりで机が揺れる。

 青年の四肢の断面。あの滑らかさが生まれつきのものであるはずがない。切断。誰が。亜実の家が。それとも、村ぐるみか。

 ガタガタガタ。貧乏揺すりが無自覚に激しくなっていく。

 もしや。自分もああなるのか。騙されたのか。だから連れてきた。帰らせない。そうだ。それしかない。これは、そういう――

 ごつごつ。

 その時、玄関から壁に何かがぶつかるような音がした。

「あ、来た」

 亜実が立ち上がる。

 ごとごと。

 大振りなものが触れる鈍い音が、なおも門扉から響く。

 亜実が善意に満ちた顔で、直樹の手首をつかんだ。

「オトナイだよ。行こう」

 しかし、直樹はすぐさまその手を振り払った。亜実の表情に悲しみが滲む。直樹の胸がつきりと痛んだ。

 ごつごつ、ごとごと。

 催促するような音を無視して、亜実は直樹の傍らに寄ると、屈んだ。

「お願い。直樹くんに元気になってもらいたいの。体調を崩しがちで困っていたでしょう? 神頼みしてみたって良いじゃない。今だけでいい。私と神様を信じて……」

 心から気遣うような言い方に、直樹の中にかろうじて残っていた彼女への愛情が脈打った。或いは、ただ現実を受け入れられなかっただけかもしれない。

 ここで見たことを無かったことにすれば――

 そんな誤魔化しにすがりたくなる。

 亜実に手を引かれ、直樹は大人しく立ち上がった。

 ごつごつ、ごとごと。玄関は今も鳴っている。その音の元に、二人は向かっている。

「オトナイは一人ずつやらなきゃいけないの。私がお手本を見せてあげるね。大丈夫。初めては怖いけど、直樹くんなら出来るよ」

 ふうわりと微笑んで、亜実が手を離した。

 外の音が止む。ガラリ。戸を開く。

 そこには、獅子舞が立っていた。

 カーン、カーン!

 獅子が亜実の目と鼻の先で歯を打ち鳴らす。

 暖簾のようなたてがみの奥から、ギョロリと覗く目玉。それは座敷牢に祀られていた獅子ししがしらに間違いなかった。

 異様に縦に長い獅子は、人ひとりにしては大きすぎ、肩車してふたり入っているにしては華奢すぎる。首にあたるであろう部分を、ぬるぬると伸ばしたりすくめたりしている様は、そういう生き物にしか見えなかった。

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