3,座敷牢

 トルソーだと思った。或いは見間違い。

 しかし、ソレには首から上があった。キョロッと動いた眼球が、格子に近づく三人に向けられる。その目がピトリと自分の視線に重ねられ、直樹はヒッと喉を震わせた。

 心臓が暴れ始める。

 薄い闇に浮かぶ、青白い身体。一糸纏わぬソレは、格子の向こうにある三畳ほどの座敷にあった。

 手足が無いのだ。腕も脚も付け根から綺麗サッパリ消え失せ、その断面はまるでヤスリがけしたかのように滑らかだ。

 ゴトリ、ガチャ……音が響く。直樹は「まさか」と思った。父親が格子にぶら下がる南京錠をいじっている。

 やがて、か細い音を立てて格子の一部が開いた。父親が盆を両手で持ち直し、深く一礼する。そして戸を潜り抜け、座敷へとあがった。

 亜実もごく自然な動作で最敬礼をして、格子の内側に入ろうとする。が、はたと気づいて直樹を振り返った。

「なほるゐ様」

 小さな声でそう告げる。

「お辞儀をしてから入ってね」

 まるで、食事の前は手を洗ってね、というような気軽さで言うと、亜実は小さく笑んで、またすぐに前を向いた。

 たった数十センチ先の背中が、途方もなく遠く感じる。

 直樹は混乱した。自分は彼女の実家に来たはずで。田舎の空気と祭りの清浄さに癒され、緊張するのは唯一、彼女の両親との顔合わせくらいのはずだったのに。何故。いま目の前にあるものは、そして、その中には――

 時代錯誤、ホラー、犯罪。いくつもの不穏が脳裏を過る。

 でも亜実とその父親は何ともない顔をしている。座敷牢を隠さない、むしろわざわざここに連れてきた二人に、直樹はチグハグさを覚えた。

 自然と腰が折れる。こうべを深々と垂れ、足元の境界を見つめる。小刻みに揺れる視界で、直樹は自分がカタカタ震えていることに気づいた。

 恐る恐る姿勢を戻す。変わらず悪夢はそこにある。に視線を注がれ、ぐにゃりと景色がひしゃげるような心地の中、直樹は境界を跨いだ。


 ソレは青年だった。亜実と直樹よりも二、三歳ほど下に見え、あどけなさの残る顔をしていた。真っ白なクッションに胴体を支えられ、座位を保っている。

 その真ん丸な目は、直樹をジーッと見ていた。直樹が三人の元に寄り、促されて青年の傍らに座る間も、ずっと見つめている。

 牢は狭いので、直樹と青年の距離は、自然と互いの体温を感じるほどに近くなった。仰け反りたいのを我慢しながら正座する直樹を、青年は瞬きもせずに凝視し続ける。

 直樹も目だけを動かし、青年を見た。半開きの口から、とろとろと涎が垂れている。

 彼の頭上には、狭い牢には不釣り合いなひさしのようなものが張り出していた。そこには神棚が設けられ、がしらが祀られている。

 その垂れ下がるたてがみの間から覗く、ギョロリとした目玉。直樹は、どうにもそれが自分を睨み下ろしているように感じてならなかった。

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