2,地下

 およそ人里に向かっているとは思えない道を抜け、唐突に現れたのはごく普通の田舎の風景だった。緩やかに起伏する土地には、昭和を感じさせるトタン壁の家が点在し、畑のそばには半ば廃墟じみた納屋が建っている。

「こんなに、その……田舎だと、色々と大変そうだね。買い物とか、病気したときとか」

「そんなことないよ。この村にはがいるから」

「え?」

「ほら、ここが私の実家だよ」

 車が止められ、亜実の実家の大きさに直樹は息をのんだ。まるで旅館だ。段々になっている土地の頂点に位置する、一際大きな木造建築。村を俯瞰するそれが特別を象徴していることは、一目瞭然だった。

 現に、亜実はクスクスッとイタズラっぽく笑って、直樹に耳打ちした。

「うちのお父さんはここの代表みたいなものでね、だから、ちょっとしたワガママも聞いてもらえるんだよ」


 その父親の後について、長い廊下を二人は歩いている。

 両親との顔合わせはつつがく済んだ。直樹と亜実はまだ学生の身。将来について語り合う真剣な交際をしてはいるが、結婚挨拶というわけではない。

 その結婚挨拶の前にも一度実家を訪れて欲しい。というのは、かねてより亜実が希望していたことだった。そのことを直樹は不思議に思っていたが、実際に来てみて腑に落ちた。ここまで僻地なのは完全に想定外だ。結婚してから帰省が、介護が、こんなはずじゃなかった、と揉めるのは良くない。

 田舎独特のルールや雰囲気もあるのかもしれない。直樹は思った。その想像を裏付けるように、廊下に隣接した座敷の障子はすべて開け放たれ、中にはたくさんの人がいた。どう見ても亜実の家族や親戚というふうではない。和気藹々と、何か作業をしに集まっているようだった。

 その空気が、直樹の姿を認めた途端、水を打ったように静まり返る。

 廊下を行く足音。衣擦れ。

 それ以外の音が、無い。

 直樹は軽く会釈をするのが精一杯で、あとはひたすら廊下の板目を見つめることしかできなかった。無遠慮な視線が頭から爪先まで纏わりつく。

 やっとの思いでその場を通り過ぎると、まるで羽虫がわき出すかのように、囁きが背後で膨らんだ。

 こん――じな時期に――よそ者を――

 ――ちゃんのワガママかね。

 祭りは――ぶか。

 で――候補だろ? ――なきゃ困る。

 所々聞き取れた単語から、直樹は自分の来訪が歓迎されていないことを感じた。

 亜実に目配せをする。と、彼女はいつものように日溜まりみたく微笑んだ。


「これから見るものを、村の外では一切話してはいけない」

 やっと立ち止まった亜実の父親が、振り返ってそう言った。胸の位置には、食事ののった盆がある。

 屋敷の奥まった場所であるそこは、ただの突き当たりにしか見えない。しかし影の落ちている床に目を凝らせば、それは影などではなく、パックリと口を開けた闇そのものであるとわかった。

 再び背を見せた父親が、その奈落に片足を差し入れる。どうやら階段になっているらしい。その体は一歩ごとに地下へと吸い込まれていった。

 亜実、そして直樹も後に続く。

 やがて階段が終わり、ぽっかりとあいた空間が現れた。うすぼんやりとした明かりが、むき出しの壁をぬらりと照らしている。

 前を行く父親越しに木製の太い格子が見えた。更にその中にたたずむソレが見えた瞬間、直樹の全身からザッと血の気が失せた。

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