カミツキ
きみどり
1,故郷訪問
行かない。
そう返せば良かったなと、直樹は早々に後悔していた。だって、こんな悪路の果てに彼女の実家があるだなんて、知らなかったのだ。
道幅イコール車幅の道は、小川と山の斜面に挟まれ、山肌からは時おり水が染み出している。道には小石や濡れた葉が積もっている所もあり、そこを通るたびに直樹は祈るような気持ちになった。ガタガタ揺れる車体が間違って小川に落ちたら――
レンタカーのハンドルを握っているのが亜実であることに、直樹は心底ホッとした。ここまで交代しながら運転してきたが、こんな見るからに限界集落へと続く道、地元民以外には無理だ。精神的に。
一方の亜実は、片手運転でパワーウィンドウスイッチを押し、「直樹くん、ほら、良い空気でしょ?」なんて朗らかに言う。確かに、爽やかな森林の匂いや小川のせせらぎが車内に流れ込んでくるが、そのヒーリング効果を享受する余裕は今の直樹には、ない。
しかし、今回の故郷訪問は
ある日の大学大講義室。欠席してしまった講義のレジュメと亜実お手製のノートをいつものように受け取り、直樹は嘆いた。
「こんなに頻繁に体調崩して、俺、社会人になれる気がしない……」
夜、直樹は急に咳が止まらなくなって、横になることすらできなかったのだ。発作が比較的マシになる座った姿勢でやり過ごしているうちに、いつの間にか寝落ちて、気づいたときには昼過ぎだった。
履修する講義を工夫したりして、なんとか単位がとれるよう頑張ってはいるが、それが通用するのは今だけだ。
埃、季節の変わり目、ストレス。些細なものが引き金となり、直樹の人生は壊れていく。
「じゃあ、良かったらうちの実家に来ない?」
そこで出たのが亜実の提案だ。
「うちは田舎だから空気が綺麗だよ。身体にも良いし、気分転換にもなるんじゃないかな?」
亜実は直樹の手に自分の手を重ね、「それに」と続ける。
「そろそろ実家がどんな所なのか知っておいてほしいし、一度お父さんとお母さんにも会ってみてほしいな」
窺うように瞳を覗き込まれ、直樹は重ねられていた手に指を絡めた。そっと握ると、彼女もはにかむように微笑んで握り返してくれる。
「しかもね!」
俄然身を乗り出し、亜実の目が弾けるように輝いた。
「もうすぐお祭りがあるの。邪気を払ってくれるお祭り。無病息災、直樹くんの病気もきっと追い払ってくれるよ!」
だから余計に今、行きたいのだ。
亜実の気持ちを察して、直樹の顔は自然とほころんだ。
斯くして、二人の故郷訪問は決まった。
直樹は車外の空気をスーと胸いっぱいに吸い込み、
近づくにつれて、道の両側に生えている木に注連縄が渡されているのだとわかった。それには何やら藁でできた奇妙なものがいくつもぶら下がっている。どれも不格好で、中途半端だ。
気味悪げに直樹が見上げる中、車はそこを潜り抜けていく。ゆらゆら揺れるオブジェは、身体の一部を欠損した人形のようにも見えた。
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