第90話 迫る軍勢

 王都が散発的な襲撃による混乱から少しづつ立ち直りつつある頃──サーシエの跡地にやって来たクロとコーリオの二人は、その光景に戦慄していた。


 つい先日まで、アンデッド蠢く死の国だったその場所には、統一された鎧に身を包む騎士団が、無数のテントを張って野営している。


 明らかな戦装束。これから戦地に赴く途中といった様子に、クロは舌打ちを漏らした。


「こりゃあ、思ったよりやべえ状況だな……なあコーリオ、てめえ元国王なんだろ? コイツら、ここで大人しくしてると思うか?」


「思いませんね。今は改善したとはいえ、サーシエは一度完全に瘴気に浸された土地です、資源地帯としては向こう数十年は利用価値がない。あるとすれば……侵略のための足掛かりでしょう」


 プルンの分裂体によって全盛期の肉体を取り戻したコーリオが、王らしい貫禄を見せながら告げる。


 骸骨だった時にはあまり分からなかった表情の変化もしっかりと現れ、口調とは裏腹に腸が煮えくり返っているのがしっかりと伝わっていた。


 まあ無理もねえ、とクロは内心で呟く。


 既に滅びた国だと言ったところで、自分が治めていた土地を軍靴で踏み荒らされているのを見るのは、忸怩たる思いがあるはずだ。


 もっとも、それで感情のままに行動するほど、コーリオは浅慮ではないが。


「すぐにでも情報を持ち帰った方がいいでしょう。この様子では、いつアルバート王国へ侵攻してくるか分かりません」


「傭兵の稼ぎ時ってヤツだな。まあ、俺の出番はそうねえだろうが」


 クロも多少は強くなった自覚はあるが、それでも戦争のような派手な戦いに参加するタイプではない。あっても留守番か、精々連絡要員だろう。


 そう考えたクロに、コーリオは意外そうな顔をした。


「……どうしたよ?」


「いえ、あなたならもっと焦ると思っていたので……もし彼らが侵攻してくるとなれば、王国西部地方。特に、政変で守りが薄くなっているであろうデリザイア侯爵領が最初の標的でしょうから」


 デリザイア侯爵家は、王国西部を事実上私物化し、好き放題支配していたが……本来の役割は、帝国を含む他国勢力から王国を守るための護国の盾だ。


 当然、その領地は戦略上重要な位置にあり、万が一占領されようものなら王国の半分が陥落したに等しい。


 そんな地域が、現在政変でズタズタなのだ。狙われないはずがないとコーラスは指摘する。


「確か、クロ殿はデリザイア領にご家族がいると伺っておりましたので」


「……関係ねえよ、そんなの」


 素っ気ない態度で、クロはそう返す。


 しかし言葉とは裏腹に、その表情はどこか思い詰めていた。


「ちなみに、一応聞いておくが……今すぐ俺らが帰ってネイルのヤツに報告入れたとして、実際に国が対処に動くまで、どれくらいかかると思う?」


「王都の襲撃もありましたから、すぐにとは行かないでしょう。そうでなくとも、戦時体制への移行というのは時間がかかるものですし……早くとも半月ほどは見ておいた方がいいかと」


「コイツらが動き出すとしたら、デリザイア領に着くまでどれくらいだ」


「最短で一週間でしょうか」


「…………」


 帝国の狙いは、王都襲撃の混乱に乗じて、最速最短で攻め込み有利な状況を作り上げることだ。


 今の所、見事に帝国の術中に嵌っている王国側は、どうしても後手に回らざるを得ない。


 コーリオはハッキリとは口にしなかったが……デリザイア領陥落の可能性も、十分にある。


 最低でも、あの地が戦場になることは避けられない。


 このまま、何もせずに行けば。


「コーリオ、一つ頼まれてくれねえか」


「何をでしょう?」


「俺の代わりに、王都まで戻って報告してきてくれ」


「構いませんが……あなたは?」


「ちょっと寄り道だ」


 誤魔化すようなことを口にしているが、明らかに何かを仕掛けるつもりだろう。


 普通に考えれば止めるべきだと、コーラスは考える。

 だが……家族のために命を賭けようとしている男を止めることは、コーリオには出来なかった。


 他ならぬ彼自身が、そのためにアンデッドへと身を堕としてまで生き延びたのだから。


「分かりました。ですが一つだけ、あまり無茶はしないように。死んでは元も子もありませんから」


「ハッ、アンデッドに言われちゃ世話ねえな。……まあ、心配すんな」


 己の内に激情を秘めながら、それを一切表に出さず。その表情と気配を消し去って、クロは呟く。


「俺一人でどうこう出来るなんざ思ってねえ。少し、をして帰るだけだ」

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