第83話 “血隠れ”のクロ
「さて……さっさと仕留めてミルクのところに戻らねえとな」
ミルクを逃がした後、クロは危機感と共にそう呟いた。
本当に唐突に現れた、日中の襲撃者。
姿を隠すこともせず、自らが行う悪行に衛兵が集まって来ることさえ気にしていない、堂々としたその態度。
衛兵程度、何人集まってこようが蹴散らせるという絶対の自信があるのか、それとも──
「“紅蓮の鮮血”の新人……元暗殺者のクロだな。死ね」
「ちっ、考える暇もねえか!!」
ナイフを抜いた男が迫り、躊躇なく急所目掛けて刃先を刺し込もうとしてくる。
クロもまた新たに抜き放ったナイフでそれを弾き、素早く距離をとって魔法を放つ。
(《
漆黒の魔力を刃として飛ばす、闇属性の魔法。
空間に干渉し、あらゆるものを引き裂くその魔法は、見た目よりよほど強力だが……どんなものでも、間に“盾”を置かれるとそれ一つにしか効果を発揮しないという欠点も持つ。
だからこそだろう。対峙する男は懐から一本の投げナイフを放つことで、あっさりとそれを無効化してみせた。
こういった魔法攻撃に対しては、よほど実力差があると断定出来るまでは同じく魔法で対処するのが基本とされている中でそれだ。
完全に“知っている”ヤツの動きだと、クロは警戒心を引き上げる。
(闇魔法への造詣も深い、獲物もナイフ、暗殺者系統っぽいが……俺がいた組織の連中とはどうも雰囲気が違うな)
アウラ・デリザイアの手引きで暗殺者ギルドに入り、そこで鍛えられた過去を持つクロは、様々なタイプの暗殺者を見てきたが……やはりというか、同じ組織である程度腕の立つ者達は、ある種同じ“空気”を纏うものだ。
目の前の男には、それがない。
何なら、纏う外套も、投げ付けられたナイフも、この国ではあまり馴染みのない作りをしている。
つまり──目の前の男は、国内の犯罪組織の人間ではない。外国から招き入れられた刺客だ。
「戦闘中に考え事とは余裕だな」
「っ……!!」
油断していたわけではない。
考え事はしていたが、しっかり男の姿は視界に捉えていたはずだ。
それなのに、予備動作もなく一瞬で目の前に詰め寄られていた。
(魔法か!? だがどうやって……!! くっ!!)
振り抜かれたナイフに、どうにか己のナイフを合わせようとして……即座に間に合わないと判断、身を捻って致命傷だけは避ける。
飛び散る鮮血。周囲から上がる悲鳴。
うるせえな、と感想を抱きながら、クロは再び距離を取った。
「情報通り、“紅蓮の鮮血”の中でも新入りのお前は特に弱い。俺でも十分に排除可能と判断する」
またしても、男の姿が掻き消えたかと思えば、即座に目の前に現れる。
先程と違い、ある程度来ることも予測出来ていたためにいち早く回避行動に移ることが出来たが、それでもナイフの刃先が腕を掠めた。
(弱い? ハハッ、そうだな。俺はミルクより弱かった)
男の言葉を、クロは否定しない。
以前、まだ敵同士だった頃にミルクと対峙し、一度は敗北しているのだ。炎龍の介入がなければ、クロはあそこで終わっていただろう。
(だがよ……)
「ここまでだ、死ね」
フラついたクロの背後に男が現れ、心臓を狙ってナイフを突き刺す。
勝ったと、男が間違いなく確信を抱いたその瞬間……クロの体は、黒い塵となって消え失せた。
「なにっ!?」
(今も弱いまんまだと思われんのは、癪だな)
闇魔法、《
異空間を渡って移動するその魔法で不意を突いたクロは、男の背中をナイフで斬り付けるが……男の体もまた、霧のように消え失せる。
少々離れた場所に再び出現した男は、驚いた様子でナイフを構え直した。
「まさか反撃されるとは。だが、想定の範囲内。今度こそ殺す」
(……よく喋るヤツだ)
戦闘中に喋るのは悪手だ、というのがクロの考えだった。
言葉で惑わすというのも一つの
自身の声色で、言葉遣いで、相手に情報を抜かれることこそを恐れるべきであり、本気の戦闘であればあるほど無口になるのがクロだった。
正しい情報がなければ、正しい立ち回りなど出来ない。
正しくない立ち回りは、本来の実力差を容易くひっくり返し、
例えば、そう。
目の前の男が、クロの実力を“鮮血”入団前の基準で考えていたり。
何度も斬り裂かれたクロが既に満身創痍であり、無傷の自分に余裕があると僅かな油断を胸に抱いていたり。
「死ね」
既に四度目となる同じく技を、魔法を──とっくに見破られているとも知らずに、何の工夫もなくもう一度使用したり。
「──は?」
男は、最後まで自分に何が起きたのか理解出来なかったのだろう。
その顔には困惑が浮かび、どうして自分が倒れているのか理解出来ないと、これ以上ないほど分かりやすく描かれている。
「何が……起きた……?」
これまでと同じように、魔法を使ってクロの懐に飛び込んで、体の側面からナイフを突き立てたはず。
しかし、踏み込んだ先でクロの姿を見失い、逆に自らの胸にナイフが突き立っていたのだ。
「俺の、《
男の魔法は、瞬間移動でもなければ高速移動でもなく、ましてや空間移動でもない。
ただ、常に霧の水魔法で自身の分身を作り出し、自身の姿だけは隠し通し、まるで高速移動の魔法を使っているかのように見せ掛けていただけ。
先程、ギリギリの所で躱されたように見えたナイフの刃先に、僅かに魔力が籠った水分が付着していたことから、クロはそれを看破していた。
看破してしまえば、後は容易いことだ。
見えているそれは無視して、敢えて自分から隙を晒すことで攻撃方向を誘導。油断している男の攻撃タイミングに合わせ、ナイフを振るうだけ。
しかしクロは、それを殊更得意気に解説するつもりはなかった。
勝った負けたに興味はなく、目の前の男の生死すらどうでもいいというのはもちろんある。だが、それ以上に。
(どうせコイツ一人ってことはねえだろ。他の連中が騒ぎに気付いてくれてりゃいいが……早くミルクのところに行かねえとな)
ただ、ミルクのことが心配だっただけだ。
そんな、自身のことを一切眼中に入れていない、無口な元暗殺者を見て、男は小さく呟いていた。
この化け物め、と。
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