第79話 とある令息の察し

「ぷっ……あはは……!」


 レクンガ公爵家の屋敷に、笑い声が響く。

 まだ幼い少年の上げる珍しいそれに、彼の父親がひょっこりと顔を覗かせた。


「随分と楽しそうだな、ガレル」


「あ、父上。すみません、騒がしかったでしょうか?」


「構わんよ。それで、どうしたのだ?」


「実は、リリア王女から手紙が届いたので、それを読んでおりました」


 そう言って、ガレルは手に持った手紙を父のドノバン宰相へと渡す。


 それを見て、ドノバンは首を傾げた。


「よくある、はぐらかしの手紙に見えるが?」


 手紙の内容を要約すれば、ガレルからのデートのお誘いに対し、今はまだ亡国のショックが抜けきらないので時間が欲しい、という具合だ。


 状況を考えれば失礼というほどでもなく、上手い返し方だという以上の感想は湧いてこない。


 だが、ガレルにとっては違ったのだろう。

 よく見てください、と手紙の文面を指さした。


「確かに当たり障りない文章ですが、前半と後半で少し文意が変わっていると思いませんか? 完全拒否の姿勢から、少し友好的な雰囲気に」


「ふむ、確かに……」


「緩やかに変わっていくのならまだしも、この行からの急な転換を感じます。恐らく、内容を考える人物が変わったのでしょう」


「なるほど。つまりガレルは、この手紙は誰かの代筆だと考えているわけだな?」


 手紙の文面から微かな心の変化さえも読み取ってみせるガレルに、ドノバンは感心する。


 しかしそれでも、彼にはまだガレルがそこまで楽しそうな理由が分からなかった。


 代筆というだけなら、それほど珍しい話でもないからだ。


「ええ。しかし、普通は代筆を頼むとしても一人でしょう。このように、複数人に頼んでそれぞれ意図の異なる文章を混ぜたりはしません」


 つまり、とガレルは笑いながら自らの考えを披露する。


「この手紙を書くにあたって、傭兵団の面々があれこれと知恵を出し合って書き上げたのでしょうね。最低でも二人……絶対に婚約などさせてたまるかと叫ぶ父親に、好きにさせてやればいいじゃないかと宥める母親、そんなイメージです」


 実際の性別は分かりませんが、とガレルは締めくくる。


 彼の暮らすレクンガ公爵家は、高い地位に見合った英才教育によって、幼い身でも大人と変わらない厳しさで自らを律することを求められる。


 両親からの愛はもちろんあるし、今の生活に不満を覚えている訳でもない。


 ただそれでも、こうして子に寄り添うかのように身近な存在として誰かがいるというのは、少し羨ましく感じてしまったのだ。


「傭兵団は家族だと……は、そう言っていたな……」


 ガレルの方から、何となく感じたことを口にした結果ではあるが、“あの子”はそれこそが真であると初めて気がついたかのように笑っていた。


 そんな記憶を振り返り、ガレルの顔がほんのりと朱色を帯びる。


「父上、僕はこのまま文通を続けても構いませんか? 僕個人としても、リリア王女とは仲良くなりたいのです」


「ああ、構わないぞ。彼女の存在はサーシエの……引いては、その向こうにいる帝国に対する重要な切り札カードだ、何としても手に入れたい」


 サーシエは、アルバート王国とカテドラル帝国の戦争によって滅びた地。すなわち、両国にとって重要な位置にある土地であり、そこを抑えられるかどうかで、今後の趨勢が大きく変わるのだ。


 特に今は、サーシエの地からアンデッドが綺麗さっぱり姿を消してしまっている。


 “鮮血”へ依頼したサーシエの浄化作戦は、本来なら成功させるつもりで依頼されたものではなかった。王国は、サーシエへの興味を失っていないというポーズを取る為に、相応の戦力を定期的に送った方がいいのではないか──そんな建前を押し出した“誰か”の案が、やけにすんなりと通ったという、それだけのものだった。


 そんな作戦が、何を間違ったかこの短期間で成功してしまったのだ。

 誰にとっても予想外のこの事態を上手く活用するため、ドノバンも形振り構っていられない。


 ……そんな父の状況をよく理解しているからこそ、ガレルは手紙の内容に関して、ほんの少しだけ嘘を吐いた。


 否、嘘というよりは、あえて一つだけ、気付いていながら伏せた情報がある。


 手紙の最後に一行だけ書かれたその内容。それまでの美麗字句によって飾り立てられた言葉とはまるで違う、無垢で真摯な願いの籠ったその文字列──もしこの先何があっても、リリア・フィア・サーシエと仲良くしてください。という、その一文に込められた意味を。


(この文章は恐らく、この手紙を書いた人物が書き添えたものだろう。“私”ではなく“リリア”とされているのは、手紙を書いたのがリリア王女当人でないことを示している。そして、僕がリリア王女を嫌いかねない“何か”があると、言外に示すこの内容)


 本人に自覚があるかどうかは知らないけど、とガレルは一人心の中で呟く。


 思い出すのは、父の案内で訪れた店で出会った、可愛らしい少女の姿。


 亡国の姫君にしてはやけに付け焼き刃感のある礼儀作法と、ある日突然故郷を失ったにしては光に満ちたその瞳。


 そして──数ヶ月前に紅蓮の鮮血に保護されたという、ちょうどリリア王女と同じ年頃の少女の存在。


 影武者の存在を察するのは、ガレルにとってあまりにも簡単過ぎた。


「なんて言う名前なんだったかな……ああ、そうだ、思い出した」


 話が終わり、父が去っていった部屋の中で、ガレルは一人呟く。


 公爵家の息子としてではなく、一人の男の子としての、些細な願いを。


「ミルク……また会いたいな」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る