第65話 大暴走

 ミルクがさらりと本来致命傷になるはずだった怪我から回復している頃、その元凶となった暗殺者ギルドの元締め──カイゼルは、グルージオと相対していた。


 最悪、のだからそれで十分と、このまま撤退することも視野に入れていたのだ。


 しかし、それは早々に不可能だと判断せざるを得なかった。


(この猛獣、速すぎる上に鼻が利きすぎる!!)


 カイゼルが得意とするのは幻影魔法。敵を欺き、暗殺するための魔法だ。


 不意を突くにも、撤退するにも頼りになる力……だったのだが、グルージオ相手にはほとんど効果がない。


 何の魔法防御も施していない、生身の人間であるはずなのに、だ。


「ウオォォォォ!!!!」


「ちっ……!!」


 今もそうだ。

 閃光によって視覚を潰し、回復するまでの一瞬の間に無数の幻影をばら蒔いた。


 どんな相手だろうと、その全てが偽物だと看破し、更に本物が透明化して距離を取っていると気付くには相応の時間がかかるはずだというのに……グルージオは、一瞬の停滞すらなくカイゼルのいる場所目掛けて猛進し、拳を振り下ろしたのだ。


 咄嗟に、地面を転がって直撃を避ける。

 衝撃が周囲にある幻影全てを消失させ、カイゼル本人が纏っていた透明化の魔法すら吹き飛ばす。


 自慢の魔法が何の足止めにもなっていない事実に、カイゼルは歯噛みする。


(これが、“血喰いの猛獣”の本気か……理不尽過ぎる力だ)


 最大限、警戒していたつもりだった。

 実質一人で王国西部の暗殺者を全滅させたというその実力は決して侮れないと考え、自分一人で勝つことは出来ないのだろうと諦めてもいた。


 だが、まさか逃げることすら出来ないとは、つくづく狂った連中だと吐き捨てたい気分だ。


(それでも、最後に勝つのは俺だ!!)


 認めよう、“紅蓮の鮮血”は強い。その団員一人でさえ、まともに戦えば勝ち目はどこにもない。


 しかし、まともに戦わないからこその暗殺者である。


「今だ!!」


 カイゼルの叫びと同時に、どこからともなく現れた十数人の男達が、一斉にグルージオへと魔法を放つ。


 まず最初に発生したのは、グルージオの足場の崩落。

 全てを飲み込む流砂の蟻地獄が彼の体を呑み込み、身動きが取れなくなる。

 追い討ちをかけるように、光の鎖がグルージオを縛り上げ、闇の呪いが動きそのものを鈍らせていく。


 そこへ殺到する、無数の攻撃魔法。


 紅蓮の炎が、凍結の息吹が、千刃の嵐が飛び交い、グルージオを殺すべく容赦なく叩き付けられていった。


 いくらなんでも、魔法も使えず防具も武器も持たないグルージオが、これほどの弾幕の中で生存出来るはずが──


「グオォォォ!!」


「ぐはっ!?」

「ぎゃあぁ!?」


 否、生きていた。血を流し、ボロボロになりながら、それでも全く衰えることのない殺意で以て手近な暗殺者に襲いかかっている。


 その恐るべき生命力に、誰もが心に恐怖を灯す。


 それを、ギリギリのところでカイゼルが繋ぎ止めた。


「落ち着け馬鹿ども!! よく見ろ、そいつはちゃんと血を流し、負傷している!! お前達の攻撃は効いているんだ、決して不死身の怪物なんかじゃあない、殴り続ければいつかは死ぬ!!」


 そう、グルージオは負傷しているのだ。


 全くの無傷ならどうしようもないが、ダメージが通っているのであればやりようはある。


 治癒魔法があってすら、血を流しすぎればすぐに限界が来て死ぬのだ。治癒すら出来ないグルージオであれば、それも早々に訪れるはず。


「ただ暴れるしか能がない獣に、人の戦いってものを教えてやれ!!」


 勇ましいそのセリフと共に、カイゼルは幻影を撒いて仲間達の支援を行う。


 そう、いくら化け物染みて強かろうが、人間である以上限界はあるはずなのだ。


 このまま攻撃を続ければ、被害は大きいだろうが確実に殺せるはずだと、カイゼルは確信する。


 ──それが、彼にとっての地獄の始まりだとも知らずに。





 カイゼルの策略で次々と攻撃を浴び続ける中で、グルージオの体はより一層激しく暴走を続け……心は、それと正反対に悲しみに暮れ、内面に深く沈み込んでいた。


(ミルクを守れなかった……あんなに、良い子だったのに)


 目の前で刃に貫かれて倒れたミルクを見て、グルージオか思い出したのは昔のこと。彼の原点とも言える記憶だ。


 グルージオは、辺境にある小さな町出身の、どこにでもいる農家の子供だった。


 生まれつき体が大きく、不思議なまでに力が強かったことで、十歳になる頃にはその怪力を買われ誰からも頼りにされていたのだ。


 優しい両親。初恋だった近所のお姉さん。他にも親切な人々に囲まれ、それなりに幸せに暮らしていた。


 事件が起きたのは、彼が十二歳の時。

 町に、魔物が現れたのだ。


 小さな町だ、正規の騎士もいなければ、傭兵だっていない。町民一丸となって、それまで何度も魔物を撃退してきた。


 しかし、その時は相手が悪かった。


 素早い動きによってこちらの動きを翻弄することで有名なブレイドタイガーというその魔物は、素人に毛が生えた程度の町民達では対処のしようがなかったのだ。


 粗末な槍は掠りもせず、必死に作ったバリケードは軽々と飛び越えられ、陣形も何もあったものではない乱戦に持ち込まれる。しかも、そんなブレイドタイガーが一体ではなく、複数の群れでやって来た。


 為す術もなく、次々と噛み殺されていく仲間達を見て──グルージオの中で、何かが弾けた。


 それが、彼の生まれて初めての暴走。

 次に彼が意識を取り戻したのは、全てが終わった後……町が完全に滅び、血の海に沈んだ後。


 家族も、友人も、大切な人も、誰も彼もが死体となって積み上がり──事態に気付いた近隣の町の兵が駆け付け、彼らに取り囲まれた時だった。


(もう二度と、あんな想いはしたくないと……そう思ったのに)


 暴走している間の記憶は、酷く曖昧だった。


 ただ、集まった兵達によれば、グルージオはもう既に魔物もいなくなった町でひたすら破壊行為を続けていたらしい。


 生き残りはゼロ。魔物の特徴からしても、一人の生き残りも出ないのは不自然だということで、グルージオが殺したものと断定。死刑囚として囚われることになった。


 それが、グルージオの全て。忌むべき己の罪だ。


(俺は……俺は……!!)


 暴走に巻き込んでミルクを死なせたくないという思いが、いつの間にかミルクからの物理的な距離を作ってしまった。


 その物理的な距離のせいで、暗殺者の介入を許してしまった。


 どうすれば良かったのか、何が正解だったのか、悩む心とは裏腹に、体はただただ怒りの衝動のままに暴れている。


 その力を解き放てと。


 目の前の仇を、叩き潰せと。


「何なんだ……何なんだてめえは!! この化け物がぁぁぁ!!」


 曖昧な意識の中で、カイゼルが叫ぶ声がグルージオに届いた……気がした。


 周囲には血の匂いが漂っている。


 他人の血か、自分の血か、それすらも今のグルージオには分からなかったが、目の前にいるのが最後だということはぼんやり分かっていた。


「おかしいだろ、あれだけ散々魔法を受けて、直撃して!! 普通の人間が生きていられるわけがねえ!! それなのに、どうして当たり前みたいに動いてやがる!?」


 どうしてという疑問を聞いて、グルージオが思い出すのはアマンダの言葉だった。


 グルージオに、魔法の素質はない。

 しかしその分、体と魔力が深く結び付き、特異な変化を遂げている。


 その結果……絶大な筋力をその身に宿すと同時に、絶大な自己回復能力さえも獲得している。


 魔力さえあれば無限に再生する、筋肉の塊。

 ガバデ兄弟のように気合いで耐えているわけではない。文字通りの永久機関にして不死身の怪物。


 それが、グルージオという男なのだ。


「くたばれ、人間のなり損ないがぁぁぁぁ!!」


 とっくに先程までの余裕を失ったカイゼルが、剣の切っ先をグルージオの心臓へと向ける。


 魔力の籠った刃は、鋼のごときその肉体を易々と貫き、心臓を穿つ。


 勝ったと、そう確信するカイゼルの前で、グルージオは何事もなかったかのように動き出す。


 心臓を貫かれても関係ないとばかりに、拳を振り上げ、握り締める。


「は、はは……本当に、化け物じゃねえか……アンデッドの方が、まだ可愛げがあるくらいだぞ……くそったれめ……」


「…………」


 その通りだと、グルージオは思った。


 あのアンデッドの姫君は、まだいくらでもやり直せる。だが自分は違う、正真正銘の化け物で、討伐されるべき殺人鬼だ。


 だからこそ。


「オマエ、だけは……殺ス!!」


 ミルクを殺したこいつだけは道連れにしてやると、グルージオが拳を振り下ろす。


 しかし、


「待って……グルージオ!!」


 聞こえるはずのないその声が、消えかかっていたグルージオの意識を繋ぎ止めた。


「グルージオは、それ以上殺しちゃダメ!! どうしても、止まれないなら……!」


 空を高速で飛翔する炎龍の背から、小さな影が飛び降りる。


 スライムに包まれた幼い少女が、ぽよんと地面に降り立って、グルージオの前に堂々と立ち塞がる。


「私が、グルージオを止めてあげる……!!」

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