第26話 とある暗殺者の戦い
暗殺者の男──“クロ”と名乗っている彼は、当初今回の任務を楽な仕事だと思っていた。
何せ、最初に受けた依頼はミルクへの襲撃。たかが十歳そこそこの少女を誘拐し、“紅蓮の鮮血”がどれほど本気で対処に動くか調べろというものだ。
ところが、ミルクが“鮮血”の拠点に籠ったまま動かず、なかなか一人にならないため、やむなく直接攻撃という手段に訴え──危うく仲間共々全滅する寸前まで追い込まれた。
舐めていたわけではないが、それでも想像を遥かに越える“死霊”の実力を恐れたクロは、任務の失敗と彼らの実力のほどを依頼主たるアウラ・デリザイア侯爵に訴え、作戦の中止を願い出たのだが、それは受け入れられず……むしろ、彼の興味をより掻き立てる結果に終わる。
龍笛を使って状況をかき乱し、何としても少女の身柄を奪い取れと命じられたのだ。
龍笛を使うなど正気かと、クロは自らの主を呪った。
暗殺者たる自分達の命が軽く扱われるのは理解出来るが、自らの手勢でもある西部貴族の領都を吹き飛ばすことに何の躊躇いも感じていないその様は、暗殺者として少なくない年月を生きてきたクロをして、異常と言わざるを得ない。
(あんな男に狙われて、コイツも不憫なことだな。だが、こっちも仕事だ、悪く思うなよ)
奇妙なブレスレットで身を守ったミルクに対し、クロは素早く作戦を組み立てる。
変幻自在に形を変え、岩の壁と化して所有者を守る魔道具など聞いたことがないが、それだけなら対処法はいくらでもあった。
(《
影に潜り、姿と気配を殺しながら奇襲を仕掛ける、暗殺者にとってはこの上ないほど便利な闇魔法だ。
影のあるところからしか出入り出来ず、この魔法を使用している間は他の魔法を使えず、光がないため目も見えず、空気もないため呼吸が出来ないなど制限が多いが、それを補って余りある性能だ。
(殺しはしねえ、ゼロ距離で組み付いて睡眠の魔法を……!?)
ミルクの足下にある小さな影から飛び出したクロは、戻ったばかりの視界いっぱいに広がる青い塊にギョッと目を剥いた。
ミルクのブレスレット──スライムのプルンがその体を肥大化させ、上から覆い被さったのだ。
「プルン、ビリビリ!」
瞬間、プルンの体が雷属性に変異し、クロを焼き焦がさんと帯電する。
これは不味いと、クロはすぐさま影に潜り直し、咄嗟に距離を取った。
「あ……逃がしちゃった。タイミング、難しい」
「…………」
プルンを元のブレスレットに戻し、ぼんやりと呟くミルクを前に、クロは自身の焦りと乱れた呼吸を悟られないよう必死だった。
まさか、ブレスレットが魔道具ではなく、スライムの擬態した姿だったというのも驚きなら、魔物を意のままに操っているというのもまた異常。
そして何より、自慢の《影潜り》があっさりと見破られた衝撃が大きい。
(これが、報告を受けていた精霊眼の力か……厄介だな、クソッ)
「来ないなら……こっちから……!」
ミルクが腕を突き出すと、ブレスレットから形状を変えたプルンが無数の槍となって飛来した。
一つ一つが雷属性を帯びたそれは、掠るだけでも全身を痺れさせ、動きを鈍らせる効果がある。
必要以上に大きく動きながら回避を重ね、せめて牽制をとばかりに闇魔法で漆黒の刃を飛ばす。
攻撃のためにスライムを使っている今なら、あるいは効果があるかと期待しての物だったが……それはクロにとって、あまりにも予想外の結果をもたらした。
「帰って」
ミルクがそう告げた瞬間、その瞳が神秘的な輝きを灯す。
全ての魔力を知覚し、従える。
精霊眼の真骨頂とも言える、その力の影響を受けた魔法の全てがクロの制御を離れ、発動者であるはずの彼に返ってきたのだ。
「バカな……!?」
他人の魔法の制御を乗っ取るなど、とても人間業とは思えない。
予想外の展開に動きが鈍り、跳ね返された魔法を回避するだけで体勢を崩してしまったクロには、もはや続く攻撃を回避する余地はなかった。
「プルン、思いっきりやっちゃって」
周囲に残る、無数のスライム槍。それら一つ一つがプルンの分裂体であり、それぞれが本体の命令を受けて動き出す。
それによって、いつの間にかクロを取り囲むように配置されていたスライム達が、一斉に放電し──中央にいるクロを一気に焼き焦がす。
「ぐあぁぁぁ!?」
激しい痛みにのたうちながら、その場に崩れ落ちる。
プスプスと煙を上げながら倒れ込んだ彼は、既に全身の痺れで一歩も動けなくなっていた。
(くそっ……いくらガキでも、“鮮血”の一員には違いないってことかよ)
油断していたわけではないが、侮る心がなかったと言えば嘘になる。
ほんの一ヶ月ほど前はただ守られるばかりだった少女が、今や侯爵家付きの暗殺者すら打ち倒す実力を持っているなど、全く想像していなかったのだ。
(ここまで、だな)
任務に失敗するだけならまだしも、完全に無力化されてしまった。
こうなれば、後はこの場で殺されるか、情報を吐かされた末に殺されるかの二択しかない。
せめて、魔法によって自爆することで一矢報いようかとも思ったが……止めた。
依頼内容はミルクの誘拐であって、殺害ではないのだ。道連れに意味がないのなら、やる必要はない。
殺さないで済むのなら、それが一番だ。
そうでなければ、“家族”にも顔向け出来ない。
「…………」
「どうした……早く、トドメを刺せ」
なぜか不思議そうな目でこちらを見るミルクを、クロは訝しむ。
そんな彼に、ミルクは何事かを呟こうとして……すぐに、驚愕の眼差しで上空を見上げた。
「ダメ、危ない……!!」
釣られて顔を上げれば、町から少々離れた場所に戦場を移していた炎龍の放つ極炎の流れ弾が、こちらに向かって飛んできている。
間違いなく、死ぬ。
こんな形での最期は予想外だったが、“龍笛”を使った者の末路としては妥当かとクロは納得しようとして……続く展開によって、更なる驚愕に襲われた。
「てめえ、何をしてやがる……!?」
ミルクが、クロを庇うように極炎の前に身を晒していたのだ。
決死の覚悟を背中で語る幼い少女は、先ほどクロの魔法にしたのと同じように、精霊眼の力で迫る炎へと干渉する。
「来ないで……!!」
だが、いくら精霊眼によって他者の魔力に干渉出来ると言っても、制御しきれる魔力量は本人の技量と比例する。
まだまだ特訓を始めて間もないミルクでは、クロの魔法はまだしも、炎龍の魔法を御しきることなど出来るはずがない。
それでも、引かなかった。
「うぅぅ……!!」
歯を食い縛り、眼に感じる途方もない激痛の耐えながら、ミルクはその魔法を必死に抑え込む。
小さな両腕を掲げ、絶大な威力のそれをどうにか押し留めて……思い切り、上空へと投げた。
「あっち……いって!!」
僅かに軌道を逸らした極炎が、空の彼方へ消えていく。
だが、それで全ての気力を使い果たしたのだろう。幼い少女はその場に崩れ落ちる。
「だい、じょうぶ……だから……プルンは……じっと、して……て……もし、危なく、なったら……逃げ……」
どこか心配そうに蠢くプルンを軽く撫でると、限界を迎えたかのようにそのままミルクは意識を失った。
「……なんでだ」
倒れたミルクと入れ替わるようにして、クロはフラフラと体を起こす。
ミルク一人なら、炎龍の流れ弾を避けることなど容易だったはずだ。
多少町に被害は出るだろうが、既に避難は完了している上、これまでの戦いでとっくにボロボロになっている。流れ弾の一発程度、誤差に過ぎない。
つまり……この子は自分を庇ってくれたのだと、クロは嫌でも理解させられた。
「なんでだよ、クソがッ……!!」
答えは、ない。
それでも、自分は今こうして立ち上がり、ミルクは倒れている。ならば、暗殺者として彼女の誘拐を依頼された以上、彼が取るべき行動もまた決まっている。
「ちくしょうッ……」
舌打ちを漏らしながらも、クロはミルクの体を抱え上げ、走り出す。
自らに課せられた仕事の達成に、かつてないほどの後味の悪さを感じながら。
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