第21話 男爵の悪巧み
アルフレッド男爵家当主、ゴーラン・アルフレッドは困り果てていた。
アウラ・デリザイアから託された役目──炎龍をけしかけ、“魔女”を殺害、ないし負傷させ、別命あるまでその身柄を確保する。仲間が来た場合、それの足止め。
そのような内容なのだが……当初想定していたものとは、まるで異なる状況に直面したのだ。
(こいつ、炎龍と戦った癖になぜこうも元気なのだ!?)
龍という存在は、文字通りの生きる災害だ。“龍笛”というアイテムも、元は決して抗うことが叶わない龍の被害を少しでも抑えるため、その行動をコントロールしようと生み出されたものだ。
使用者は確実に死に、周辺地域もただでは済まないが、主要都市だけは守られる──そんな非情な目的で開発されたものを使われ、実際に村が一つ地図から消えたにも関わらず、死傷者はゼロ。炎龍もそれ以上深追いはせず、本来の棲み処へ帰っていった。
あまつさえ、それを為した当人は生きているどころか、数日寝ただけで怪我のほとんどを癒し、元気に動き回っている。本当に意味が分からない。
「男爵様、如何なさいましょう……」
腹心である執事長にそう問われ、ゴーランは迷う。
まだ、侯爵からの別命はその内容すら聞かされていない。このままでは、ただの足止めすら出来ない無能として、西部地域における立場が一気に悪くなってしまう。
ただでさえ立場の弱い男爵家である彼にとって、それは致命傷だった。
「やむを得ん、やつの食べる食事に毒を混ぜろ」
「毒ですか? しかし……」
「殺せと言っているわけではない。だが、毒で寝込んでさえくれれば、傷が化膿したとかなんとか言って、連中の滞在を伸ばすことが出来るだろう。なに、いくら強くとも、所詮は傭兵……こちらの言い分を疑ったりはせんよ」
ゴーランは、彼の部下が使用した“龍笛”について、何者かが自分の名を騙ってハメようとしたとアマンダに説明している。その際、アマンダはそれ以上の追及を一切せず、あっさりと引き下がった。
あまつさえ、男爵をハメようとした者に対して、怒りの感情すら露わにしていたのだ。
あれは完璧に騙されていると、ゴーランは判断していた。
「どちらにせよ、我々には選択肢がない。侯爵様の不興を買うわけにはいかないのだ……いいから、やれ」
「……畏まりました」
「それでいい。これで、少しは肩の荷が降りる……」
一度決めてしまえば、多少は悩みから解放されるというもの。
晴れ晴れとした気持ちで、自らの作戦の成功を確信していたゴーランだったが……。
「……なぜ、ヤツは今日もピンピンしているのだ?」
毒を盛れと指示を出した翌日、変わらず元気に贅沢三昧しているアマンダの姿に、ゴーランは顔を引き攣らせていた。
執事長も、理解出来ないとばかりに頭を抱えている。
「毒は確実に盛ったはずです。しっかりと毒入りの食事を口にするところも、メイドが確認しております。その結果がこれですので……恐らく、毒が効かなかったのかと……」
「ええいっ、化け物め! ならばもっと盛れ! せめてヤツが寝込むくらいの状態にせねば、本当に足止めすら出来ん!!」
「か、畏まりました……」
「……ちゃんと、盛ったのだよな? 毒は」
「は、はい……まともな人間なら、その場で即死していてもおかしくない量の毒だったのですが……」
「ならばなぜ……あいつはあんなにも元気なのだ……」
更に一日が経過し、アマンダは「いい加減食って寝ても飽きた」などと言い、男爵家の屋敷に併設された練兵場を占拠していた。
否、正確には占拠ではない。一緒に訓練したいやつは来いと、堂々と口にしている。
だが、彼女が見せるあまりの強さに、男爵家の騎士は誰一人としてついて行けず、早々にリタイアしたのだ。
まさか、自慢の騎士達が剣を使って、無手の魔法使いに格闘戦でボコボコにされる光景を目にすることになるとは思わなかったというのが、ゴーランの正直な感想だった。
「どうすればいいのだ……これ以上、打てる手が……」
アマンダを引き留めておかなければならないのに、何をしても彼女はビクともしない。
あの暴れっぷりを見る限り、いい加減適当な理由を付けて引き留めるのも限界だろう。
悩み抜いた末、男爵は一つの閃きを得る。
「……作戦変更だ。狙う相手を変える」
「狙う相手を……? それは、どういう?」
「あの“魔女”を引き留めることが不可能なら、他の者を狙えばいい。あの獣人の小娘とかな」
アマンダの迎えに来たのは、顔半分が焼け爛れた“死霊”の男と、明らかに“鮮血”に所属するには不釣り合いな幼い獣人の少女だ。
二人はここを訪れて以来、毎日屋敷に通い詰めて、アマンダの様子を見ている。
その際、こちらに警戒心を抱かせないために菓子を持たせているのだが……そこに毒を仕込めば、あの子供を寝込ませることは出来るのではないかと考えたのだ。
「早速手配しろ、連中もそろそろ来るはず……」
「へえ、面白い話をしてるね、男爵?」
聞こえて来るはずのない声に、ゴーランは息を詰まらせた。
彼が今いるのは、いつも仕事をしている執務室。
そして、アマンダは直前まで、練兵場で訓練をしていたはずなのだ。
それなのになぜ、ここにいる?
なぜ……今の今まで目の前で共に会話をしていたはずの執事長が、練兵場で戸惑うように立ち尽くしている?
「何が……起きたのだ……」
「何って、場所を入れ換えただけさ。アタイの魔法がこの程度の空間を越えられないわけがないだろう?」
何を言っているのか、男爵にはさっぱり分からない。
だが、アマンダはそんなことは知ったことかとばかりに、「それより」と言葉を重ねる。
「アタイにも聞かせておくれよ。ウチの可愛いミルクに、何をするって?」
「ま、まさか……全部、聞こえて……?」
「当然じゃないか。何なら、アタイがここに運び込まれてからずっと、アンタらがペラペラ喋ってた内容は全部聞いてたし……記録も取ってある」
コロン、と、机の上に水晶を転がされる。
そこに込められた魔力によって、ゴーランの会話が──アマンダに毒を仕込んだこと、そして彼の背後にデリザイア侯爵家の指示があるということも、全て再生されていく。
あまりにも致命的な内容に、ゴーランの顔は一気に青ざめる。
──今すぐ、これを破壊しなければ……!
「ちなみにこれはコピーだ。本物はこれと別にあるから、仮にそれを叩き割っても無駄だよ」
「っ……!」
心を見透かされ、握り締めた拳は行き場を失う。
そんな彼に、アマンダは優しく囁いた。
「別にね、アタイはあの程度の毒をいくら食っても問題ないくらい耐性があるから、微笑ましい努力だって笑い飛ばしてやれる。だけどね……ミルクに手を出そうってんなら話は別だ。アンタ……」
スッと、ゴーランの首筋に指先が添えられる。
「死ぬ覚悟は出来てんだろうね?」
「ま、待て、待ってくれ!! 話せば分かる!!」
「へえ? それはつまり、アンタと侯爵家との繋がりについても、全部喋ってくれるってことかい?」
「そ、それは……」
思わず口ごもるゴーランを見て、アマンダは指先に魔力を込める。
殺意の籠った魔法の発露に、ゴーランは「ひいっ」と情けない声をあげた。
「話す! 全部話すから、離してくれ!!」
「ははっ、いい子だ。それじゃあ早速──」
アマンダの声が途切れ、突如窓の外に向かって魔法が放たれる。
極光が窓を貫き、周囲の壁ごと打ち砕く衝撃に、ゴーランはたまらず「ひいぃぃぃ!?」と身を伏せた。
「ちっ……逃がしたか。流石に侯爵家の手勢は厄介だ」
「こ、侯爵家の手勢……? どういう意味だ?」
「そのままだよ。どうやら、アンタの裏切りを知られちまったみたいだね」
「なぁ……!? そ、そんな、私はこれからどうすれば……」
「さて……これからを考える暇があればいいけどね……」
絶望に暮れるゴーランに、アマンダは冷や汗と共にそう告げる。
その頃、屋敷からやや離れた路地の一角で、一人の男……以前、ラスターとミルクを襲撃して唯一生き延びた暗殺者が、溜め息と共にある物を取り出した。
「まさか、本当に使うことになるとはなぁ……恨むなよ、てめえら“鮮血”が強すぎたのが悪いんだからな」
不気味な魔力を秘めた、特殊な水晶。それを、暗殺者の男は振り上げて……僅かに、躊躇う。
「……チッ」
しかし、そんな己の内にある罪悪感を振り切って、男は水晶を地面に叩き付け、粉々に砕く。
途端に湧き上がる、不気味な魔力。それを無視して、男は素早くそこから退避する。
“龍笛”の魔道具が、先日の村よりも遥かに多くの人が住む男爵領のど真ん中で、起動した。
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