第16話 アマンダの夜
「全く、まさかこのアタイが子守りをするようになるとはね……人生ってのは分からないもんだ」
夜になり、特訓のし過ぎで疲れて眠ってしまったミルクを部屋に運ぶ途中、アタイはそんなことを呟いた。
アタイは、“鮮血”のメンバーの中でもかなりの古株だ。
“鮮血”が結成されたのは十年ちょっと前だったが、アタイが団長に拾われたのは二十年以上前だった。
魔法の研究に心血を注ぎ、その成果を積み上げることに悦びを見出だしていた若い頃。
だが、当時は今よりずっと女への風当たりが強く、アタイの研究成果は誰にも認められなかった。
それがムカついたから、誰の目にも明らかな成果をと思って派手にブチかましたら、やり過ぎて永久追放喰らっちまったけどね。まあ、最後にあのド無能なジジイどもの情けない顔が見れたから、それはいい。
ただ、研究のために女を捨てた身だ。その研究をする場を奪われちまったら、アタイには何も残ってなかった。
そんなアタイに声をかけてくれたのが、団長だった。
アタイの持つ魔法の知識に目を付けた団長に誘われて、アタイは大陸中を暴れまわった。あの頃は本当に楽しかったね。
その途中で、団長と良い仲になったりもしたんだが……困ったことに、戦場に身を置きすぎて傷付いたアタイの体は、もう子供を産める状態じゃなかったんだ。
それならそれで仕方ないかって、これまで特に気にすることもなかったんだけど……ミルクを見てると、もしあの時子供が産まれてたら、こんな感じだったのかって想像しちまう。
全く、感傷的になるのはアタイらしくないっていうのに。困ったもんだ。
「まあ、こういうのもたまには悪くないか」
「……んぅ」
「ははっ、気持ち良さそうに眠っちまってまあ……アンタの傍にいるのが、誰だと思ってるのやら」
“魔女”だなんだと呼ばれ、気を抜いたら実験材料にされると巷で噂されてるアタイの腕で、こうも無防備に眠れる子供はミルクくらいだろう。
「そんな油断してると、こうなっちまうよ」
ふと芽生えた悪戯心のままに、眠るミルクの頬をつつき回す。
ぐっすり眠ってるみたいで、何をしても全然起きる気配がないから、そのモチモチの頬っぺをこねたり引っ張ったりと、ひとしきり楽しんで……途中、ミルクの懐から伸びてきた粘性の体に阻まれ、止められてしまった。
「ふふっ、アンタもその子が気に入ったみたいだね、スライムの癖に」
ミルクがプルンと名付け世話をしているそのスライムは、時を経るごとにどんどん感情豊かな動きを見せるようになっている。
スライムはあらゆる物を捕食し、その魔力と特性を取り込むと言われているが……大抵の場合、雑多に取り込んだそれらの要素が反発し合い、力にはならない。むしろ、その反発する力を利用して分裂し、個体数を増やすとさえアタイは考えてる。
ところが、ミルクの下で育ったコイツは、いくら食べても一向に分裂の兆しを見せず、成長を続けていた。
ミルクの力が、本来反発し合うスライムの体内魔力を安定化させた結果だと思うんだが……果たして、ここからどんな成長を見せてくれるのか、コイツはコイツで目が離せない。
「本当に、良い掘り出し物をくれたもんだよ、ネイルは。今度酒でも奢ってやろうかね」
「人聞きの悪いことを言わないでください、ミルクをあなたに差し出した覚えはありませんので」
「おお、ネイルじゃないか。こんか遅くまでご苦労なことだね」
廊下の途中でバッタリ出くわした……いや、恐らくアタイがここを通るのを見越して待っていただろう男に、アタイは軽い調子で声をかける。
すると、当然のようにネイルは頭を抱えた。
「あなたがもっとしっかりしてくれれば、私もここまで苦労せずに済むのですが。“鮮血”に所属していた期間で言えば、あなたこそ副団長の立場に収まるべきでしょうに」
「ははっ、アタイに組織を纏めて運用するなんざ無理だよ。そういうのは、得意なアンタに任せる」
「私も得意なわけではないのですが……まあ、いいでしょう」
雑談は終わりだと、ネイルの目付きに真剣味が増す。
……どうやら、ふざけるのはここまでみたいだね。
「あなたに引き受けて欲しい依頼があります、アマンダ」
「アンタがアタイを動かすなんて、珍しいじゃないかい。いつもはアタイが勝手に動くくらいで、むしろアンタは止める立場だってのに」
「そうも言っていられませんよ。ここ最近は、ひっきりなしに依頼が来ますからね」
「へぇ、そりゃあまた、珍しいこともあるもんだね」
アタイら“紅蓮の鮮血”は最強だ。まともにやり合えば、この国の近衛騎士団とも正面切ってやりあえるだろう。
だが、それほどの力があってなお、依頼なんて滅多に来ない。
そりゃあそうだ、いくら強いからって、どこの誰があっちこっちで問題を起こしたバカの集まりに依頼を出す? 他にこなせる連中がいるなら、アタイだって依頼はしない。
だから、ここに舞い込む依頼なんて、月に一回もあれば良い方だ。
大陸中、魔物の脅威や人同士の諍いで傭兵の需要は高まるばかりだってのに、たったこれだけの依頼しかないのは本当に少ない。
だがネイルによれば、今週だけで既に三件の依頼が入り、ガバデ兄弟も珍しく別行動しているんだとか。
「恐らく、ミルクの影響でしょうね」
「この子のかい?」
「ええ。ミルクがラスターに懐いている姿を見て、我々に対する警戒心が少し薄らいだようです」
「へぇ……大したもんだね」
アタイらは、戦場に出れば負けない。
相手が魔物だろうが、正規の騎士だろうが、英雄だろうが、全部薙ぎ倒せる自信がある。
だが、人の評判ばっかりはどうしようもないと思ってたのに……ここに来てまだ一ヶ月と経ってないのに、その流れを変えちまうとはね。
本当に、大したもんだよ。この子は。
「同感です。もはや精霊眼など関係なく、今後もウチで預かって構わないと思えるほどですよ。ただ……そうして増えた依頼にかこつけて、怪しい案件もチラホラと見受けられます」
これもその一つです、と、ネイルから依頼書を渡される。
内容は……増えた魔物の討伐か。
このご時世だ、増えた魔物はさっさと討伐しないと手が付けられなくなっちまうし、騎士だけじゃ手が回らないなら、傭兵に頼んで始末をつけるってのもそう珍しくはない。
問題は……依頼してきたのが西部貴族、ってことか。
「西部貴族は現在、ほぼ全てがデリザイア侯爵家の走狗です。あの傭兵嫌いで有名なデリザイア家のお膝元で、傭兵の中でも特に評判が悪い我々への依頼……実に怪しい」
「けど、断ることも出来ないっていうんだろう? 分かってるさ」
アタイら“鮮血”は、社会的立場で言えば下から数えた方が圧倒的に早い。貴族相手にも無茶やらかすことは多いが、だからと言って毎度毎度真っ向から敵対してたら、この国にいられなくなっちまう。
全く、面倒なことだよ。
「分かった、この依頼はアタイが引き受けよう。何を企んでるか知らないが、精々寝首をかかれないように気を付けるさ」
「頼みましたよ、アマンダ」
ネイルとの会話を終え、アタイは今度こそミルクのために用意された部屋へ入り、幼い体をベッドの上に寝かせてやった。
ぐっすり眠るその顔をさらりと撫でたアタイは、ふっと微笑む。
「おやすみ、ミルク。いい夢を」
出掛ける前に、この子のための特訓メニューを纏めたメモを用意しておかないとね。
そんなことを考えながら、アタイは部屋を後にするのだった。
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