第4話 交流 1

 ここしばらく新谷の姿が見えない。色々な仕事をしていると言っていたから忙しい身なのだろう。

 それに比べて自分はどうだ。毎日アパートの廊下を掃除するくらいしかすることがない。私は早くも転職活動を検討していた。

「今度コンビニ行ったときにでも求人情報誌貰ってこようかな……」

 遠い目で空を見上げていたときだ。

「ねえ」

「はい?」

 振り向くと、道路側に面した小窓から窮屈そうに津浦が顔を覗かせていた。こっちこっちと手招きしている。

 誘われるままに近づいていくと、津浦はニコニコと笑って私に一枚のチラシを見せた。

「ケーキの移動販売?」

「そうなんだよぉ。すぐそこの公園でねぇ、たまにやってるんだぁ。今日がその日だから管理人さんにも教えてあげようと思ってぇ」

「ありがとうございます」

 広告に載っているケーキの写真はなるほどとても美味しそうだった。ショートケーキの上に乗っている苺が宝石のように輝いて見える。

「よかったらさぁ、一緒に買いに行かない?」

「えっ?」

「もしかして予定あるぅ?」

 へにょり、と津浦は眉を下げた。

「いえ、ないですよ。ぜひ行きたいです!」

 どうも私は他人のこういう表情に弱い。そのせいで前職でもよく仕事を抱える羽目になったことを思い出してしまって少し胃が痛くなった。しかしそんなことよりもケーキだ。私は過去から目を逸らした。

 津浦はそれなら準備をするねと言って嬉しそうに引っ込んだ。

 私が部屋から財布を取って戻ると、津浦が外で待っていた。フェルト生地の中折れ帽子を被り、ロングコートでその巨体をすっぽりと覆っている。いつも見かけるスウェット姿とは大違いだ。

「さあ行こうねぇ。こっちだよぉ」

 のんびりとした足取りで歩き出す津浦の後を追う。近くにある大きな公園沿いの緩やかな坂を登って行く。そこにもいくつか遊具が設置された小さな公園があった。ここが販売会場らしい。

 そこにはもう先客が何人か来ていた。友人同士らしい老婦人達から小さな子供を連れた若い母親達まで、年齢は様々だ。皆津浦に気づくと揃って挨拶をする。彼も挨拶を返すその様子を私は意外に思いながら見ていた。私も挨拶をされたので返す。

 そうこうしていると軽快な音楽を流しながら軽バンがやってきた。路肩に止まったと思うと折りたたみ机を出し、箱を並べ始める。ワッと子供達が駆け寄った。ケーキの移動販売が始まったのだ。

 津浦は彼女達の後ろで見ていた。

「行かないんですか?」

「最後に買うからいいんだぁ。管理人さんもお先にどうぞぉ」

「じゃあ、お言葉に甘えて……」

 私も机の前に立った。初めから目をつけていたショートケーキは外せない。チョコレートケーキも美味しそうだ。モンブランも捨てがたいが、ミルクレープも心惹かれる。シュークリームまであるのか。

 厳選に厳選を重ね、ショートケーキとミルクレープ、それからシュークリームを二個買った。

 津浦の番がきた。何を買うのか気になって覗いていると、彼は机の端から端までを指差して言った。

「じゃあ残り全部ねぇ」

「えぇっ⁉︎」

 驚く私を一人置いて、店主は苦笑しながらケーキを手提げ箱に詰めて行く。どうやらいつものことだったらしい、他の客達も店主と同じような顔をしていた。子供達はその豪快な買い方にすごいすごいとはしゃいでいる。

「全部って、食べきれるんですか⁉︎」

「余裕余裕、むしろ足りないくらいだよぉ」

「だとしても、買い占めるのはよくないですよ!」

「なんでぇ?」

 目眩がした。津浦も大概問題のある人物だったのだ。遅れて駆けつけてきた客だろう人物が「間に合わなかった」という悲鳴と共に膝から崩れ落ちる様を見て、私は心から同情した。

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