第3話 盗み聞き

 私は暗い洞窟の中にいた。

 どうすればいいかわからず、私はとりあえず唯一明かりが見える奥に向かうことにした。ゴツゴツとした岩肌はひんやりと湿っており、足元は何か大きな石のようなものが散らばっていて歩きにくい。

 だんだん灯りに近づいていく。ふと、壁に影が映っていることに気がついた。影は二つある。一つは熊のような、でも頭の形はコウモリに似ている気もする、実在する生き物にもしない生き物にも見える、そんなシルエットだ。

 もう一つは最初は植物だと思った。違うと気がついたのは枝かと思っていたものがウネウネと蠢いていたからだ。その様子はイカやタコといった軟体動物を想像させる。

 何にせよ、うかつに近づいていいものではないと判断して私は足を止めた。

 ふと、ボソボソと話し声が聞こえてきた。

(もしかして人もいるのかしら?)

 恐怖心か好奇心か、私は耳をそばだてた……。


「駄目じゃないかツァトグァ君、君が信者から貰った生贄をお裾分けしちゃあ。彼女はただの人間なんだから」

「ごめんよぉ、てっきり君を信奉しているどっかの奉仕種族でも連れてきたんだと思ったんだよぉ」

「まったく、気を失った隙にすり替えたからよかったものの……」

「そういうニャルくんだってイタズラしてたじゃない。ウフフフフ」

 ツァトグァが腹を抱えて笑う。ニャルくんと呼ばれたモノ、つまりニャルラトホテプも愉快そうにユラユラと揺れた。

 彼らはいわゆる邪神である。この地球に人類が誕生する前から存在し、ある神は宇宙の星々に、またある神は地球の何処かに封じられているとされていた。

 が、それは悍ましき神々の存在を正気のまま受け入れることの出来ない人間達が本能に従い無意識に目を逸らし続けているだけにすぎない。

 彼らは常にあらゆる姿形で人類の側にある。例えばの話、とある地方都市のとある場所にある小さなアパートで人間になりすました冒涜的な邪神達が住んでいても、それはなんら可笑しなことではないのだ。

 しかし、もしそんなアパートの管理人に一人の人間が就任したとしても、正気であり続ける限り正体に気づくことはできないだろう。あるいは、静かに少しずつ狂気に落ちていくうちに邪神の存在を受け入れてしまうのかもしれない。

 彼らを理解するのに人間の常識を当てはめようとするのは無駄である。

 ツァトグァの場合、彼は他の邪神に比べれば人間に対して友好的な存在と言えた。かつてツァトグァは己を信奉するある人間に危機が訪れたとき、彼に危険を知らせ遠い故郷の星へと逃してやったことがある。

 しかしその一方で、信者から生贄として捧げられる人間を彼は躊躇いなく喜んで食べるのだ。

 もしもどうしてそんな相反する真似ができるのかと問うことができたのなら、きっとこう答えるだろう。

「人間だって、動物をペットにして可愛がりながらハムやハンバーグなんかを食べるじゃない。いったいなにが違うっていうのぉ?」


 ……影の話し声はあまりよく聞こえなかった。というよりも、私の知らない言語で話しているようだ。楽しそうにしているのがなんとなくわかるくらいである。

 もっとよく聞こうと身を乗り出したとき、足元にある何かを蹴ってしまった。幸い音は響かなかったものの、ギョッとして足元に視線を落とした。

 そこにあったのは人間の頭蓋骨だった。他にも人間のものかどうかはわからないがたくさんの骨が転がっている。今まで踏み越えてきた石のようなものも骨だったのだろう。なぜ今まで気づかなかったのか。

 私はその場から逃げ出した。影の正体に見つかったら自分もこうなると思った。

 明かりが遠ざかっていく。追いかけてくる様子はない。それでも足は止まらなかった。悲鳴すら上げられなかった。


 目覚まし時計のアラーム音で目が覚めた。全て夢だったとわかって思わず安堵の息をつく。寝汗が酷い。最悪の目覚めだ。

 とりあえず頭をスッキリさせるために顔を洗うと、コンビニに朝ごはんを買いに行こうと外に出た。

「管理人さんおはよぉ」

「あ、津浦さんおはようございます」

 両手にゴミ袋を持った津浦がいた。反射的に挨拶を返したが、彼の顔を見て私は言いようのない不安を感じた。なぜか夢に見た影を思い出したからだ。

 コンビニに向かうまでの道のりにゴミ捨て場がある。なんとなく一緒に歩いた。

「悪い夢でも見たのぉ?」

「えっ?」

 ゴミ捨て場に着いて、ゴミ袋を投げ入れながら津浦が言った。

「よくわかりましたね。実はそうなんですよ」

 私は薄れはじめていた夢の記憶を津浦に話した。津浦はうんうんと頷きながら聞いてくれた。

「それは大変だったねぇ。……見逃してもらえてよかったねぇ」

 津浦の言葉に含みを感じて見上げると、彼は私を見下ろしてニコニコと笑っていた。

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