第2話 就任挨拶
荷物を運び終えた引越し業者を見送って、私は新たな職場兼住居となるアパートを見上げた。
新谷が大家をしているアパートは田舎と呼ぶほど不便ではなく、かといって都会と呼べるほど発展しているわけでもない、いわゆる地方都市にあった。
新谷曰く、
「これぐらいが都合いいんですよ」
とのことだったが、つい最近まで都会で働いていた身としてはどうしても物足りなさを感じてしまう。しかし来る途中ざっと周りを調べてみたところ、病院も、ドラッグストアも、スーパーも、コンビニも、コインランドリーもアパートの近くにあった。隣の市には大型ショッピングモールもあるようだし、電車に乗ればすぐに東京へ行けるくらいには交通の便もいい。なるほど普通に生活をする分には充分な立地かもしれない。
「でも、非日常なイベントが期待できるかっていうと、ねえ?」
アパートから視線をそらし、公園に向かって犬を連れてのんびりと歩く老人を見送りながらぼやいた。
アパートは三階建てで、全部で九部屋ある。このアパートに住み込みで働いてほしいというのが新谷からの依頼だった。家賃は給料から差し引かれると言われたが、提示された額は相場を知らない私でもこれは貰いすぎなのではないかと思うほどの額だったので気にしていない。さすがに光熱費や水道代などは自腹だが充分やりくりしていけるだろう。
私に与えられた部屋は一〇二号室だ。新谷は一〇一号室に住んでいる。その一〇一号室から当人が出てきた。
「お待ちしてましたよ。ささ、住人に挨拶に行きましょう」
新谷は私の手を引っ張ると一〇三号室に向かう。チャイムを鳴らすと、中から巨漢の男が出てきた。あまりの大きさに私はポカンと口を開けて見上げてしまった。
「あれぇ、どうしたのぉ?」
のんびりとした口調の彼は穏やかな表情をしているが、その顔のつくりはどこかカエルに似ている気がする。悪い人ではなさそうだが、どこか不気味さも感じてしまって、私は内心で自身を責めた。
「管理人を雇ったんでね、紹介しようと思って」
「はっ初めまして!」
「ああ! 君が新谷くんが言ってた管理人さんだねえ。ぼくは
握手を求められ、その手を握り返す。すっぽりと私の手を包み込んでしまうほど津浦の手は大きい。確かに新鮮な出会いだと感心していると、そうだ! と津浦が声をあげた。
「貰ったはいいんだけどさぁ、ちょっと食べきれないからお裾分けしようと思ってたんだぁ。持っていってよぉ」
そう言って津浦は一度部屋に戻ると、大きなビニール袋を持って再び出てきた。どちゃり、と音を立ててビニール袋を床に下ろす。
……その中には赤黒い肉の塊が詰まっていた。ツンとした臭いが鼻につく。ろくに血抜きもされていないぐちゃぐちゃの肉塊に混じる長い毛の様なものがまるで髪の毛のようだと思ったところで、脳がコレが何なのか考えることを止め、結果私はその場で卒倒してしまった。
「大丈夫ですか?」
目覚めた私を新谷が覗き込む。
「ここは……」
「あなたの部屋ですよ。急に気を失ってしまったので運び込ませてもらいました」
「そうだ! あのビニール袋は⁉︎」
「ビニール袋? ああ、これですか」
新谷が横に置いた袋を叩く。中には色々な贈答用の菓子が詰まっていた。
「あ、あれ?」
「どうかしました?」
「……いえ、なんでもないです」
あれは見間違いだったのだろうか。いくらなんでもあんなグロテスクなものと菓子類を間違えるなんてことはない気もするが、見間違いだったほうがいいと考えた私はそれ以上追求するのを止めた。
「もう大丈夫です。さあ行きましょう新谷さん」
「行くってどこに?」
「他の住人の方々への挨拶ですよ。まだ津浦さんとしかしてないじゃないですか」
私がそう言うと、新谷の目が露骨に泳いだ。
「どうしました?」
「いや、そのー、あれ? 言ってなかったかなー?」
ごまかそうとする態度が気に食わない。ついつい語気が強くなる。
「だからなにを?」
「……今住人って三人しかいないんですよね」
「……はあ?」
「正確には一人かな。大家のわたしと管理人のあなたを除けば、アパートを借りて住んでいるのは津浦さんだけだから」
開き直ったのか、そう言って新谷はニンマリと笑った。
「さ、詐欺だー!」
とことんこの男は嘘つきなのだとやっと理解した。新谷は嘘じゃないだの、これからもっと住人が増える予定だのと言っていたがもう信じられない。
私が本気で怒っていると気付いたのか、新谷はそそくさと立ち上がると玄関に向かっていく。立ち上がり、追いかけようとする私に振り向いた。
「でも、刺激的な体験はできたでしょ?」
ツン、とまたあの不愉快な臭いを感じた。ビニール袋を見下ろす。菓子類が入っているだけのはずなのにガサリと音を立てて揺れた。ころりと白くて丸いものが飛び出す。私の足にぶつかって止まったそれは私を見上げた。
それは眼球だった。
「キャアアアア⁉︎」
悲鳴をあげながら腰を抜かす私を見て新谷は大笑いしながら出ていった。
新谷を気にする余裕などなく、落ち着くまでひとしきり騒いだ。それから恐る恐る眼球を摘み上げてみる。すっかり本物だと思い込んでしまっていたが、よく見てみるとそれは眼球そっくりの見た目をしたグミだった。
どっと力が抜けて私は再び寝転んだ。クリーム色の天井と、荷解きされるのを待っている段ボールの山を見回す。
「……私、早まったかもしれない」
新居にため息が響いた。
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