第1話 スカウト 2
どうやら私が目覚めたことに気がついたらしい。ぼんやりと天井を見つめる私の顔を、目にたっぷりの涙を浮かべた母が覗き込んだ。
「目が覚めたのね! もう一日中気を失っていたのよ」
「ここは……?」
「ここは病院よ。あなた、何があったか覚えていないの?」
首を横に振ると、母は私が病院に運ばれるまでの経緯を教えてくれた。どうやら残業をしていたあの晩、私は疲労が祟って会社で倒れていたらしい。派手に倒れた音を聞いて駆けつけた警備員に私は助けられたのだという。
しかし、私はそれが嘘だと知っている。警備員の差し出したスマートフォン。そこに映っていた起爆ボタンの画像。それを私は押し、そして気を失った。つまり、あれで本当に爆発したのではないか……?
青ざめる私の様子を見て慌てた母がナースコールを押した。すぐに看護師が駆けつけてくる。そして検査を受けた。頭を打った形跡もなく、倒れた際にぶつけたのか背中が痛かったが、それもすぐに治るだろうとのことだった。
「今日はこのまま様子を見て、何事もなければ明日には退院できますよ」
そう医者に言われて母は安堵し、それならまた明日迎えに来ると行って席を立とうとした。
そこに一人の男が入ってきた。日に焼けた肌に黒い髪、黒いシャツに黒いスラックスという黒ずくめの姿をしている。直視するのが恐ろしく感じるほどに整った顔立ちからは年齢を推し量るのは難しい。いったい誰だっただろうかと思っていると母が喜びの声を上げた。
「あらまあ! 来てくださったのね。この方はね、あなたを助けてくれた方なのよ」
そう紹介されて、私はハッとした。彼があの怪しい警備員だと気づいたのだ。制帽の下にこんな顔が隠されていたのかと思わずまじまじと見てしまう。そんな私の様子に気づかず、母はことの次第も全て彼から聞いたのだと教えてくれた。男も見舞いの花束を持って人当たりのいい笑みを浮かべている。
母はすっかりこの男のことを信用しているようで、喜んで花束を受け取ると花瓶を借りてくるために病室を出ていった。母の背中を見送ってから、私は警戒しながら男と向き合った。変わらず男はニコニコと笑っている。
「……いったいあれはなんだったんですか」
「あれ、とは?」
「あのボタンの画像ですよ! あれを押したせいでこうなったんでしょう⁉︎」
「ああ、これですか」
そう言って男はポケットからスマートフォンを取り出した。あの起爆ボタンの画像を私に向けて見せ、おもむろにそれを押す。ぼかあん、病室に間の抜けた爆発音が小さく響いた。
「ただのジョークアプリですよ。ちょっとしたイタズラのつもりだったんですがね、まさか気を失うとは思わなかった」
「う、嘘……」
とても男の言うことが信じられなかった。そもそも彼はすでに母に嘘をついているのだ。目的もわからず、次第に不信感が恐怖心に変わっていく。
「さて、実は今日はあなたをスカウトしに来たんです」
「スカウト?」
「言ったでしょう? あなたに決めたって」
そういえばそんなことを言っていたような気がする。
「実はわたし色々な仕事をしていましてね。警備員もその一つなんですが、最近アパートの大家を始めたんですよ。ですが先ほども言ったとおり色々な仕事をしているものですからわたし一人ではアパートの面倒を見きれなくって……。管理人として働いてくれる人を探していたんです」
「それでなんで私なんですか。すでに私は会社員として働いているんですよ」
「でもあなた、刺激のある人生送りたいんでしょう? 私のアパートの管理人の仕事は刺激的ですよ。今まで関わってこなかったような人達が住人になりますし、全く違う業種に就くわけですから新しい体験ができます。非日常なイベントが起こることも保証しましょう!」
あまりにも怪しすぎる誘いだ。ところが甘く響く男の声に心惹かれる自分がいる。僅かに残る理性が断るべきだと訴えていたが、続く言葉に完全に屈してしまった。
「なにより、このまま会社に戻っても今までと同じ退屈な日々に戻るだけですよ。それでいいんですか?」
気づけば私は男の手を取っていた。
「決まりですね。そうそう自己紹介がまだでした。わたしは
以後よろしく、そう笑う瞳の奥が怪しく光ったような気がした。
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