第5話

手斧や板切れで時間が許す限り穴を広げた。中で立ち上がるのは無理だが中腰程度は大丈夫になった。穴が崩れないように支えも作り、入口にも一本だけ柱を立てた。翼のない人間なら出入りは簡単だが、ハーピーが飛びながら突撃してくるのは無理な造りだ。

掘る場所はサンとランスの互いの入口をカバーできる位置関係にしていた。

サンは疲れていた。食料を口に運び、水を飲み、多少の休憩は挟んだが、やることは多かった。

木を引っ張ってしならせて罠を仕掛けた。材料のための干し草や蔦、棒や枝を集めた。石も武器になるので手頃なサイズのものは集めておいた。

東の空がぼんやり明るくなってくると、また襲撃場所に戻って金貨を漁りたいという気持ちになってきた。ぱっと行ってぱっと戻ってくるなら間に合うんじゃないだろうか。

ランスに言うと、彼は冷たく「やめておけ」と答えた。

そう言うと思ったけどね。

「それよりもやる前からちょっと腕を上げるのがしんどい。普段から鍛えておくべきだな」

「僕もしんどい。これが終わったら毎日特訓しようよ」サンは力の入らなくなった腕を振ってみせた。

「さすがに社交辞令すぎる。俺でもそれには騙されないぞ」

「いやいや、本気だよ。お互い新人なんだから、どうせならこれからコンビでやろうよ」

「あー、いいね。これが終わったら考えておくわ」

「前向きにお願いするね」サンは言った。

サンの見たところ、ランスは眠そうだった。瞼が落ちている。「あー、きっついな」彼は愚痴を言いながら罠の最終チェックを始めた。

太陽はいい。全体がよく見える。うまく設置した障害物も、朝日の中で見るとイマイチに見えた。サンも気になる場所にロープや蔦の数を増やした。窪地の一帯が——分かりやすい表現で言えば——現代アートか音楽番組の舞台装置みたいになっていた。

ふあああと欠伸が出た。

冷たい空気が少しずつ温まっていく。小鳥の鳴き声が聞こえた。朝霧が少しずつ晴れていく。

二人がロープの張りやしならせた枝のテンションを調べていると遠くからゲーッゲッゲッという笑い声が聞こえてきた。

声の感じからかなりの高度を飛んでいるようだ。

焦るような距離でもない。

二人は顔を見合わせてなんとなくお互いに頷いた。

ランスは手を合わせて擦ると「さてさてさて」と凶悪な笑みを浮かべた。「目にもの見せてやるぜ、クソビッチが」

「頑張って生き残ろう」サンは言った。

「テンション違うだろ。死んでも一匹でも多く道連れにしてやるぜ、おら」ランスは自分で自分の体をパンパンと叩いた。

人に合わせるのが得意なサンもこれにはうまく合わせられなかった。拳をちょっと上げて、「おー」と言った。勝鬨でも雄叫びでもない、なんとも中途半端な掛け声だった。

ランスはちらりとサンを見た。

特にそれ以上のコメントはなく、二人は持ち場についた。

ランスは声をあげた。「おーい」あまり大声ではない。

サンも付き合って声を出した。「おーい」

遠くのゲッゲッゲッという声が止まり、クエーという鳴き声になった。

サンには、「どこだ? いないな?」から「あっちだ。あっちから声がする」に変わったように聞こえた。ハーピーの会話は昨日が初めての体験だったが、トーンやニュアンスが掴めるようになってきた。試しに小声で、ゲッゲッゲッと声に出してみる。難しいが真似できないというほどでもない。話せると面白いかもしれない。

やがて小さい声が聞こえてくるようになった。渡り鳥の鳴き声のように、たくさんの声が重なっている。ゲーッゲッゲッ。キーッ。クエッ。

ランスがまた「おーい」と声を上げた。

姿が見えないハーピーたちが反応する。クエーッ。ケケケケケ。

それにしても優雅さの欠片もない声だ。

鳴き声は接近してきた。

サンは上空を見回してみた。頭上は木の葉に覆われていて青空は少ししか見えない。それでもぐるりと見るとハーピーたちがやってくる方角が分かった。いくつかの点が木の葉の間でゆらゆら動いている。鳥にしては大きすぎる。間違いなくハーピーだ。

「おーい、こっちだー」

点は反応してこちらにまっすぐやってきた。

そこから到着までは短かった。バサバサと木の下に姿を現したハーピーは30匹以上。ボスハーピーが真ん中にいて、顔の造形としては性悪女そのものといった顔でこっちを見ていた。二人とその群の間にはロープや蔦が縦横無尽に張り巡らされていた。

ボスハーピーが一際大きい声で「キーッ」と鳴いた。

その声は森の中を響き渡った。ほかの動物たちが巣穴に隠れたのではないかと思うほどだった。

「おらー、来てみろ、こん畜生!」ランスが腕を振り上げて叫んだ。「びびってんじゃねえぞ。お前ら全員、血祭りだ」

サンも気づいたことだが、ランスの声には威勢のよさと共に虚勢と恐怖も隠しきれずに残っていた。ハーピーはそれに敏感で、ランスの声を聞いて本当に人間のように笑い出した。ゲーッゲッゲッ。

煽りでは向こうが一枚上手だ。ランスは顔を真っ赤にして、「うるせえ! かかってこいやー」と叫んだ。もちろんハーピーはさらに笑った。

ハーピーもびびってるな。サンは思った。数匹殺されたら退散するという予想は外れるかもしれないが、最後まで殺し合うという覚悟まではなさそうだ。牽制が長い。最初にこっちの心を折りにきている。

サンはハーピーの声を真似て、「ゲーッゲッゲッ」と言った。いいからやろうぜ、びびってんのか、という煽りを入れたつもりだった。

これが予想以上に効果的だった。ハーピーの一群は目に見えて動揺した。

ランスも驚いてサンの方を見たくらいだ。

何匹かのハーピーが、「本当にやるんですか?」という態度でボスハーピーに話し掛けていた。「やるに決まってるんだろ」と返事をしていた。

おそらくハーピー語で話し掛けられたのは初めてだったのだろう。

サンはまた真似をして、「本当にやるんですか?」と煽った。もちろん、音はハーピーのゲゲゲという音だ。

ハーピーたちはサンを物凄く気味の悪い生き物を見るような目で見た。なんだこいつという顔だ。

心外だな。自分たちの方がよっぽど不気味な生き物のくせに。

サンは弓を絞ると背後に振り返った。案の定、このやりとりの間に接近してきたハーピーがいた。サンが話したハーピー語に動揺して戸惑っている。

サンは弓を射かけるとその命中確認を待たずに次の矢を構えた。幸い最初の矢が命中したが肩のあたりなので致命傷にはならなかった。落下して木に隠れたため、次の矢は放てなかった。

ハーピーの戦術は昨日も見た。正面と背後から急降下してくる。熟練の戦士でもそれをやられたら対応できないだろう。正面が囮だと分かっていても背後を確認するのは心理的に不可能だ。

さてさて、これ以上の言葉は不要だ。穴の横に立って最初の戦闘を開始しよう。

サンは背後に回り込んでいた別のハーピーにまた矢を射掛けた。

ボスハーピー以下、30匹も木の枝から飛び立ち急降下してきた。


使用した矢は最初の2本だけだった。あとは突っ込んでくるハーピーを槍で突き刺すか曲刀で切りつけるかしてしのいだ。

構えは万全だった。一匹ずつ相手すればよいので難しくなかった。相手が降下突撃してくるのでその勢いに合わせて槍を出せば勝手に貫通力を得た。新人の冒険者でもなんとなかる。力はそんなに必要なかった。

さらにサンが話すハーピー語がものすごく効果的だった。「危ない」とか「あっちを見ろ」とか言うとハーピーたちは素直に反応した。「僕は味方だ」と言っても一瞬信じた。

こいつら嘘に弱すぎないか? 頭がいいかもしれないけど文化が育ってなさすぎる。サンはしみじみ思った。

戦闘の最中に心にもないことを言えるサンがどちらかというと異常なのだが、彼自身はそんなことに自覚はなかった。

殺したあとで、ハーピー得意の煽りで「ゲーッゲッゲッ」とやるとハーピーたちは目に見えて戦意が下がった。萎えたという感じだった。人間なら怒りで沸騰するところだが、ハーピーはそういうことはないらしく、自分たちが煽られると萎えるようだった。

自分勝手すぎる。サンの方が自分勝手なのだが、彼はそう断じて殺しまくった。

十匹弱を殺して穴の入口に死体の山を作ると、サンを襲うハーピーたちは戦意を喪失した。

ランス側の戦闘は王道の1on1バトルになっていた。

大きい鉤爪が一撃で致命傷になるハーピーの攻撃と、それをかいくぐって繰り出すランスの決死の突きのやりとりといった塩梅で、二匹目に多くの裂傷を負いながらなんとか勝つと、今度は穴の入口に取り付いた二匹との2on1になっていた。

サンは罠を作動させた。

曲げこんだ木が跳ね上がり、そこに張った20メートルものロープが窪地の空間に『びよん』と現れた。

ケーッ。ハーピーたちが怯んだ。翻訳すると「なんだなんだ」くらいの意味だ。

さらにサンは仕掛けておいた場所に火を放った。着火は遅く、ゆっくり焚き火のように火の手が上がるだけだったが、そこにも人がいるのではという警戒を起こさせることに成功した。

サンが「あそこに敵がいるぞ」と言うと、一部の信じたハーピーが素直に火の中に突っ込んでいった。

アホちゃうか。

ハーピーは普通の野生動物よりは執着心がある。また、ある程度、死を恐れずにリスクを取る集団行動もできる。だから数匹の犠牲で撤退することはなかった。しかし半数の犠牲者を出した時点でさすがにこれ以上の犠牲を強いても成果が得られないと判断した。高見の見物をして結局一度も下りてこなかったボスハーピーが、「イーッ」と鳴くと他のハーピーたちも飛び上がり彼女の元に集合した。

サンはここぞとばかりに煽った。

「ゲーッゲッゲッゲッ」と笑った。手にしていた武器を地面に落として丸腰になると、尻を見せてペンペン叩いた。さらに嘲笑を続けた。笑っているうちに本当におかしくなって止まらなくなってしまった。

愉快になったランスもそれに乗ってきていた。ゲーッゲッゲッとちょっと下手ながら言ってることは分かる程度に真似ができていた。

ハーピーにとって煽りは成熟した文化だ。完全に伝わっていた。みんなは萎えていたがボスハーピーはどうかな?

ボスハーピーがちょっとだけ体を震わせた。

サンは思った。お、来んのか? 葛藤してるな。……これは退くな。

サンが緊張を解き、これで手打ちと感じたまさにそのとき、ランスは手持ちの槍の一本を投擲した。

槍はランスから一番近い小さい個体に刺さった。ピーという悲鳴を上げてそのハーピーは木の上から落ちた。

枝が折れるバキバキバキという音のあとに、どさっという音が全員の耳に入った。静かだった。

ランスはハーピー語ではなく、完全なカタカナの人間の言葉で「ゲゲゲゲ」と叫ぶと、背を向けて逃げ出した。

ランスが何をしたのかはサンは分かっていた。何を意図したのかも分かっていた。それでもやっぱり思った。

マジか、ランスさん。作戦といまの流れと、全然空気は違うじゃん。そういう作戦じゃなかっただろ。

それから思った。

ランスは最初からこういう作戦のつもりだったのかもしれない。一匹も逃がさず全滅させようと思ったら確かにこれしかない。そして最高のタイミングだった。

残りのハーピーたちはサンを無視してランスに向かって飛び立った。クイーッと鳴いている。「奴をやるぞ」くらいの意味はすぐに分かる。

予定と違ってまだ15匹はいるぞ。矢も足りない。

サンは思ったがとりあえずまた武器を拾って追撃を開始した。

サンはなんとか群の後尾にくらいついて走り続けた。

飛んでいるハーピーを追って弓で射るのは無理だった。木をよけながら飛んでいるので軌道が不規則にクネクネしている。ちょっと木に止まる隙はあるのだがそのわずかな時間に構えて狙えるだけの腕前がサンにはない。

そうであれば作戦は簡単だ。

サンは弓を構えるとハーピー語で「危ない。止まれ」と言った。

追跡の後ろ十匹ほどが止まる。

サンは矢を放ち、すぐに次の矢をつがえた。最初の矢を食らったハーピーが短い悲鳴をあげて地面に落ちる。他のハーピーは動揺して飛び立とうとする。サンはまた「止まれ」と叫ぶ。驚いたハーピーは飛び立つのをやめる。サンは充分に狙って次の矢を放つ。そして次の矢をつがえる。

「止まれ!」シュッ。ドサッ。

「止まれ!」シュッ。ドサッ。

「止まれ!!!」シュッ。ドサッ。

ほとんど奇跡のような命中率でサンは五匹のハーピーを仕留めた。最後の止まれには気合いが入った。

火事場の馬鹿力で全力で引き絞って速射したので腕がパンパンになった。騙されたハーピーもさすがに学習して飛んで逃げた。

地面に落ちたハーピーは致命傷だったが即死ではないので、キーッと悲鳴を上げながら暴れている。

木の枝がバキバキと鳴った。

サンはそちらを無視して追撃を再開した。地面のハーピーはゆっくり死ぬか、何か別の生き物に狩られるだろう。

離れた場所の木々の間を飛ぶハーピーたちが急降下していた。ランスがとらえられた。

サンは全力で走った。

地面のランスたちはまさに死闘を演じていた。

ランスも馬鹿ではないので開けた場所で迎えてはいなかった。狭い木の間に立って槍を突き出している。

サンはその真上でランスを狙っていたハーピーに矢を射った。

もんどりうって落ちるハーピーを見てランスは「おっと」と木の間から出ることになった。

囲んでいたハーピーたちはいったん距離を取って木の上に退避した。

サンは慌てて隠れた。

このままランスに合流したらいい的になってしまう。

ランスを囮にしてその隙をサンが狙うしかないのだ。

矢筒にはもう矢が一本しかなかった。

マジか。落としたハーピーから回収しとけばよかった。サンは思った。いやいや、それは無理か。

ランスのいる位置を中心にハーピーたちが木の上から囲んでいる。サンはその包囲網の外れのさらに外側にいる。

近くまで寄れば一匹は弓で倒せるはずだ。

サンは思った。とりあえず一匹はやるから、残りはランスの気合い次第だ。頑張ってくれ。なんかもうすでに血だらけになってるけど。

ここからのサンの戦いは地味だった。最終的にハーピー一匹への狙撃を成功させるのだけど、思っていたより時間がかかった。

ハーピーは包囲網から飛び立ってランスに攻撃し、交差してまた別の木に着地するので、近付くのに時間がかかるとランスへの攻撃を開始してしまう。最終的に近づくのは諦めて止まりやすい木のそばで待ち伏せして、ランスへの攻撃を終わらせて目の前で止まったハーピーに「ゲッゲッ(止まれ)」と叫んで射ることになった。木から落ちたハーピーに駆け寄るとサンはきっちり止めを刺した。

ランスの防戦については、ランスの武器が槍だったのが幸いした。交差攻撃してくるハーピーたちに牽制を加えることで避ける余裕が生まれた。障害物をうまく使って立ち回りができたのもよかった。最終的にサンが外側からハーピー語で混乱させるという支援を続けたのも効果的に作用した。

攻撃してくるボスハーピーの鉤爪を槍で受けると、脚を掴んで引きずり落とし、その背に回り込んで地面を転がり、とっくみあいの肉弾戦になった。滅茶苦茶に蹴りを繰り出すボスハーピーはそれでも強敵だったが、最後にその胸にランスは深々と槍を突き刺したのだった。

残りのハーピーは三匹になっていた。

サンはボスハーピーが死んだときに再びこれでもかと煽った。

生き残りのハーピーたちも煽り返してきた。

見ると生き残りのうちの一匹はサンが最初に交渉したハーピーだった。

ゲッゲッゲッと言いながらサンは身振りも混ぜてこの辺で手打ちにしないかと伝えてみた。なんならこの件は秘密にしておいてもいいと伝えた。向こうも、帰りの道の安全は保証すると言ってきた。

交渉は成立した。

どちらも嘘だったが、それは人間とハーピーの関係性ではそういうものである。

ハーピーたちは飛び去った。サンとランスはへたりこんだ。

ランスは言った。「勝ったな」

「勝ったね」

人間側も10人中8人が死んでいるので客観的には全然勝ちではないのだが、そのときの二人はそんなことはまったく思わなかった。

街に戻って人から惨敗じゃんと言われて初めて気がつくレベルで、このときの二人は快勝モードだった。

「ランス、結構、怪我ひどいよ」

「そうか?」

「動ける?」

「どうだろ? なんとか。けど今日は動きたくないな」

「それは同感」

「金は拾わなくていいのか?」

「拾うよ。金以外のも拾う。ランスはいらないの?」

「いらないとは言ってないだろ」

二人の目の前にはボスハーピーの死体があった。「ハーピーと手羽先とか手羽元とかならギリ食べれるかな?」

「えー、食うのか? あれを」

「腹減らない? 僕はペコペコだよ」

「腹は減ってるが、あれを食う気にはなれないな」

「ふーん。まあ、試してみるよ」

「さっきまで会話してた相手じゃねえか」

「いやいや、向こうだってこっちを踊り食いしてたじゃん」

「それはそうだけど」

「ゴブリンよりは全然いけるよ」

「え? マジか。地方によってはゴブリンを食べてるところもあるって聞いたことはあるけど……」

「いやいや、うちの地元でも食べてないよ。さすがにゴブリンはねえ」

「線引きしてるけど、俺はあんまり違いが分からん」

とりえず最初の仕事は終わった。

エピローグとして遺留品の回収と町までの長い道のりがあるが、メインの仕事はここで完了である。

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