第4話
月明かりの下で山を歩くとき、登りはいいけど下りは無理だった。
「これは松明がないと無理だね」
「そうだな」
というわけで二人は棒に馬車の幌布を巻いて油を塗り、松明を作った。火をつけると一気に周囲が明るくなった。遠くが見えなくなったが足元が見えるようになり格段に歩きやすくなった。
サンは食料を食べながら歩き、食べながら喋った。
「目印つけながら来たから分かると思う。……あ、あった」
峠道から逸れて藪へと分け入る。
松明で周囲を照らしながら、「これで暗闇の中にハーピーがいたらチビるな、僕」と言った。
「顔が醜悪だからな、あれ。夜にぼうっと出てきたら確かにびびる」
「ハーピーはどこに行ったの?」
「夕方になったらどっかに飛んでいった。近くの岩山にでも行ったんじゃないか?」
「いまさらだけど、倒すのと逃げきるの、どっちがいいと思う?」
「このまま逃げるはねえだろ。絶対に血祭りにあげてやる」
「……分かった」
新人には手に余ると思うんだけどな。サンは思った。自分も一撃では殺せなかったし、ランスも固まってたじゃん。
「逃げたいのか?」ランスが聞いてきた。
「逃げれるならね」
「金や武器は捨てなくちゃ無理だぜ」
「捨てなくても逃げれるさ」
「逃げたきゃ逃げればいい」
「逃げたきゃ逃げるよ。いざとなったら逃げる」
「そのときは恨みっこなしだ」
「もちろん」恨まれてもいいけどね。「ランスは逃げないの?」
「当たり前だろ」
当たり前ときたか。「一人でも?」
「一匹でも多く殺すために残ったんだ」
「ふーん。勇気があるんだね。僕にはとても無理だ」
「まあな」
「頼りにしてるよ」
「ああ」ランスはちょっとイキっていた。「任せとけ」
窪地に出た。一番下にはサンが寝た鉄砲水の溝があるはずだが上からはそこまでは見えなかった。松明の明かりでは底の方がほとんど闇に包まれていた。
地面は雨で削られて激しくうねっている。樹木は地面に斜めに生えていた。改めて見るとこのあたりは飛びにくい地形だ。
サンが這い上がるときに使った
「悪くないな」ランスは満足げだった。「ここならかなり戦える」
というわけで夜通しの簡易防衛拠点作りが始まった。
サンが提案した柵を立てずに天井にするという案は検討の結果やめることになった。暗闇でそんなに都合のいい木材が調達できるわけでもなく、縛って吊るしたところでハーピーに壊されない強度にするには時間が足りなすぎた。
その代わりロープや蔦を木の枝や幹に引っ掛けて斜めに張ることで大量の障害物を作ることにした。何箇所も張ると夜の明かりの中でもいかにも邪魔くさい障害物になった。人工的なジャングルのようだ。
ハーピーは鉤爪があるが刺すには向いていても空中に張ったロープや蔦を切るには向いていない。切るなら両端の結び目で引っ掛くしかないが、そんな作業をしたらこっちの弓のいい的になるはずだった。
籠城のための蛸壺を掘る必要があった。地面に立って剣を振る通常の戦闘では圧倒的に不利なので——二方向から飛びかかられたらあっというまに死ぬ。先輩たちのその様子をさんざん見た——狭い穴に潜ってそこから槍や弓でちくちく応戦する形式がベストだ。昼間をしのげば夜にまた補強すればいい。
「できれば射線が十字になる方がいいな」ランスは言った。
地形を考えて場所を決めた。お互いの飛び道具がお互いの援護になるような位置付けにした。穴の中で弓や槍をある程度動かす余裕が必要なので、元々のちょっとした窪みを広げるだけといっても結構な穴掘りが必要だった。
サンは農民で力があったが、ランスは穴を掘るのが下手だった。
穴を掘るのが下手な奴なんているんだとサンは新鮮な驚きだった。
あまり戦闘とは関係ないが手斧が便利だった。誰かの道具を拝借した。これがなかったら作業はかなり非効率になっていたはずだ。剣とナイフのほかに手斧も絶対に必要だな。サンはしみじみ思った。先輩冒険者の装備をがっつり勉強させてもらって助かった。
でかい背負い袋も拝借していた。こういう装備のクオリティも冒険者の生活の快適性に直結する。いい道具が一通り揃えられたのはラッキーだった。
明かりが手持ちの松明だけでは不便なので、あたりの木の上に篝火を設置して作業した。夜中にその一帯だけ煌々と明かりが灯され、手斧や板切れの土木作業の音が響くそこは、何やら怪しい呪術をしている雰囲気だった。
サンは自分でも使うために簡単に槍を作った。木の棒の先にナイフをくくりつけたものだ。ナイフが抜けないようにかなり固く固定した。
「矢が全部で40本くらいだろ。絶対に足りないな」ランスが言った。
「一射必中必殺は無理だよ」サンも笑いながら言った。「外れた矢を取りに行くこともできない」
「蛸壺に群らがってくるハーピーを槍で追い返すだけでしのげると思うか?」
「思わない。けど、そことそこに罠を作ったし、うまく火もつけられればかなりの数は撃退できるんじゃないかな」
「俺がハーピーなら、穴に引きこもった敵に鉤爪で飛びかかるようなことはしないな……」ランスは独り言のように言った。
「水か火で攻めるね。僕なら」
「水は無理だろうけど、火か……」ランスは言った。「この地形、雨が降ったらお手上げだけど、そこはもう覚悟を決めるしかないな」
「まあね。そのときは逃げよう。雨の中ならたぶんハーピーは追跡できないよ」雨音がそこら中からすることになるし、枝や葉が始終動くので動きも目立たない。
「問題は火か」
「石を投げ込むくらいはしてくると思う。そこは気をつけてね」
「なんか妙に楽観的だな?」
「ハーピーはたぶん、見た目より相当、頭がいいと思う」サンは言った。「こっちが覚悟を決めて応戦して、無傷じゃ済まないと分かったら撤退するんじゃないかと思ってる。最初の二、三匹を殺して、派手に罠を動かせば、向こうもかなり慎重になるはずだよ」
罠は実効力も大事だが、ハーピーたち全体にでかい仕掛けがあると分からせることも大事だ。それを考慮して派手なものにした。殺傷力はほとんどない。
ランスは言った。「俺はそうは思わないな」
「そう? たぶん、会話してるよ、あれ」
「頭がいいからこそ、見逃すことはないと俺は思う」
「へえ?」
「見逃すなら、討伐隊の大半をやった時点でもう終わりだ。腹も減ってないだろう。俺たちを狩る意味がない。だけど日没まで奴らは俺達を探し続けた。どうしても全滅させたいんだ。普通の野生動物なら満腹でも狩りを続けたりしない」
サンはランスの言葉の最後のフレーズが頭に残った。満腹で狩りを続けたりしない。それはそうか。
「俺達を諦めないなら、その執着が隙になる。籠城以外の手も用意しておいた方がいい」
「そうはいっても……」サンは空を見た。まだ明るくはなっていない。しかし、空気は少しずつ変わってきていた。気温が一番低く、森が一番静かだ。夜明け前の空気だ。「どうするの?」
「分かんねえ。思いつくのは、どっちかが囮になって、その追撃を後ろから一匹ずつやることだが」ランスは準備の手を休めずに言った。「追撃するハーピーの方が速いし、後ろからやるにも飛び道具が足りねえ」
なんだ、結局、僕を引っかけようって腹か。サンは思った。生きているのがバレてるのが僕だから、どっちが囮になるかって話になったら僕ってことになる。下手な誘導だ。
「ハーピーが残り十匹になったら俺が逃げる。お前は追って後ろから射掛けてくれ」ランスは言った。「俺のクロスボウじゃ駄目だし、たぶん、うまく当てられない」
「残り十匹? まあいいけど。じゃあ矢は節約しておくよ」
「頼む。逃げたら絶対にハーピーは追ってくるはずだ。残り十匹になる前に撤退したらお前の読み勝ちだ」
ランスの声には、しかし撤退しないだろうから俺の読み勝ちになるという自信があった。そこはサンが気になったところだが、ここで勝ち負けに張り合ってもしょうがない。ランスを見捨てて反対方向に逃げてもいいし。
「分かった。任せておいてよ」
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