第3話

勝算はあった。

ハーピーは地面を歩くのがうまくない。そして追跡は相手と同じ目線でやらないとうまくいかない。

飛んで上から見ることができるのはアドバンテージだが、地面で追うものがいてこその上空監視である。人間の目線からだとネズミやゴキブリだって追跡しにくい。ましてやここは森である。ちょっと上からだと地面の様子はまったく見えない。這うように逃げればすぐに見失うだろう。

さらにハーピーは鳥と違って目が前にしか付いてない。後ろの監視は音頼りだ。音を出さないように気をつければいい。

サンはなんとなく感じたことだが、ハーピーは森の生き物ではないのではないか。あの目立つ容姿と、見せることでムカつかせる態度、さらに障害物があるとうまく攻撃できない感じ、また大きさ——森の中だと翼を広げて飛ぶスペースがほぼない——など、森には合ってない。おそらくハーピーは岩山の生き物だ。鷲や鷹と同じだ。遠くから獲物を見つけて急降下して狩ることに最適化している。あの態度で相手を煽るのも岩山でこそ効果的だろう。

森で狩りをするならフクロウのようになってないとおかしい。夜目が効かないのもフクロウ型ではなく鷹型の進化の結果だ。

隊長の逃走は普通の追跡者に対する逃走だった。追ってくるより速く逃げる。命懸けでスピードを出す。追う方が怖くなって諦めることに期待した逃げ方だった。

ハーピーから逃げるためのやりかたはもっとうまい方法がある。サンはそれを試す価値があると思った。

できるだけ音を立てず、物陰から物陰へと移動する。直線では動かない。自分がゴキブリになった気持ちで、隙間から隙間へ、暗い場所から暗い場所へ、カサカサ、コソコソと移動する。足跡は気にする必要がない。地面に血が落ちたりもするがそれも気にしない。

おそらくハーピーは鼻もよくない。人間と同じ鼻の形をしている。

人間と同じ顔をしているのはその方が煽るのに都合がいいからだろうが、そのために感覚器官の性能を犠牲にしている。

森の木々の上にはハーピーが飛び交っていて、しきりにケーッケッケケと鳴いている。しかし木の上のハーピーはほとんど怖くない。木の下にいるハーピーだけ気にしていればいい。

隊長との全力疾走一分間とは違う逃走だった。ほぼ一時間、動いては隠れ、動いては隠れを繰り返した。基本的には山を下り、町に帰る方向を意識した。方角として北に移動したということである。

日も落ちてきた。日没まであと二時間といったところだ。夕方に近づいてきた。

サンはそこでやっと一息ついた。

洞窟があればよかったがさすがに都合よくそういうものは見つからなかった。

鉄砲水の通り道が深くえぐれてトンネルのようになっている場所があった。上から完全に隠れている地形だった。そこならハーピーから見つかる心配はなかった。

本来なら周囲に警戒の罠を仕掛けて、せめて水の確保くらいはして——ものすごく喉が渇いていた——それから夜を迎えるべきだった。このときのサンはそこまで自分に鞭打って行動することもできなかった。とにかく眠くなり、しゃがみこんで剣を抱えたまま寝てしまった。

何かの激痛と共にサンは目を覚ました。

「ぎゃあ!」悲鳴をあげてしまった。あまりの痛みに悶絶してしまった。

日の差さない暗闇の中で寝ていてムカデに咬まれてしまった。本当に歯を食い縛って脂汗がしたたるくらい痛い。足に這っていたムカデを掴んで叩き殺した。

本当に痛い。こんなじめじめしたところで寝ていたらムカデに咬まれるリスクは確かにあるが、それにしてもなんだってこんなときに咬まれなきゃいけないんだ。

もう暗くなっていた。星が出ている。西の方にほんのり日の光が残っていた。日没から一時間くらいか。

足を見たが腫れの程度が暗くて分からなかった。手で触れると腫れはそこそこでかい。歩くのに支障が出るくらいの激痛だ。持参していたなけなしの水で傷口の毒を洗った。

「くそっ」サンは一人で悪態をついた。

残りの水はすべて飲み干す。体に染みた。うまい水だった。

峠道の方向はなんとなく分かる。

道に出たら武器と冒険者の金の回収に行こう。ここから夜明けまでにどれだけのことができるかが勝負になる。

サンは夜道での移動を開始した。

鉄砲水の溝から出るときにほぼ垂直に五メートル以上登らなくてはならず、その時点で体力を相当に削られた。方向は分かるが基本的に登攀方向なので、体力的に相当な地獄だった。傾斜もかなりきつい。雲がなく星が出ているので真っ暗というわけではなかったが、その状態で夜の山を歩くのはペースがまったく上がらなかった。

道の方向が合っているのか自信もなくなったりした。

最終的に峠道に出て、そこからさらに登り方向に進んだ。逃走は基本的に下ったので襲撃地点へはひたすら登りだ。

ムカデに咬まれたところがずきずきと痛んだ。

やがて討伐隊と隊商の朽ちた馬車があるところに出ると、先に略奪している人影があった。道中で一緒だったがあまり会話をしなかったもう一人の新人冒険者、ランス・ガードだった。

「やあ」サンは言った。

ランスはサンを見た。手を上げる。「ん……」

「生き延びてたんだね」

「まあな」

「水はある?」

「あるぜ」ランスは皮袋を放って寄越した。

サンは受け取った。「ありがとう」それをまたかなりの量を飲んだ。ここに来るまでにかなり消耗していた。この水もうまかった。「残りも貰っていい?」

ランスは何も言わずに頷いた。

討伐隊の中でサンがおしゃべりなタイプなのに対してランスはどちらかというと無口なタイプだった。また、ハーピー退治に向かう道中、サンは新人なんでよろしくお願いしますと愛想よくぺこぺこしていたのに対して、ナメられまいとかなりイキっているのがランスだった。年齢はサンとかなり近いように感じていた。

「ありがとう」サンは水についてもお礼を言った。

どうしてたのなどと聞くことはなかった。隠れていたに決まっている。

サンの見立てだが、卑怯者でもビビっていたわけでもないと思う。円陣を組んで戦闘体勢になるときにちょっと様子を見てしまっただけだろう。本来だったらイキって真っ先に切り込むつもりだったんじゃないかとなんとなく思う。ランスがどうすればいいのか分からずに固まってしまったところをサンも目撃していた。

「隊長は?」ランスが言った。

「はぐれた」サンが答えた。「何か見つかった?」

ランスはサンと会話をしながら冒険者の装備を次々に物色していた。武器や小道具、食料といったものを確保しているのに、金の袋には手をつけてなかった。

「あまり。自慢していた武器くらいしかないな」

「ふーん」本当にとっておきの武器は自慢しないものだが、そういう隠し武器もなかったのか。

夜の中での会話は続く。

「金は取らないの?」

やや間があった。「取るよ。終わってからでいいだろうと思ってた。お前が生きているなら先に集めて山分けしておくか」

「うん」

二人で物色を続けた。みんなそこそこ金を持っていた。ランスが一箇所に集めていたので、引き続き金も含めてそこに山積みにしていった。

下手に仕事するより略奪の方が効率がいいな。サンは思った。恨みを買うことまで考えるとそればっかりだと早死にするだろうけど。あ、隊長は死んだかな? 絶対に金は持っているはず。漁らずに帰るはないな。

物色の最中にネコババはしなかった。ここでお互いに不信感を抱いてもデメリットしかない。どうせどちらかが死んだら総取りになる。とはいえ、すごい大金があったらちょろまかしていたかもしれない。ほとんどが銀貨と銅貨だった。たまに物色しながら、お、金貨だ、と口に出してそれだけ別によりわけた。金貨も全部で4枚あった。

サンは言った。「ちょっと遠いけど、向こうに窪地があった。ハーピー相手の陣ならいいと思う」

「窪地? ああ、そうか」

「うん」

敵を迎え討つなら高台が基本だ。しかしハーピー相手に高台に構えるのは自殺行為だろう。とはいえ窪地に構えるというのは普通の感覚では圧倒的に不利なので生理的に落ち着かない。

「ちょっと遠いけどね。ここと何回も往復はしたくない感じ」

「そうか」声は素気ないが、サンの窪地に興味があるのは感じられた。

ランス・ガードはサンより頭半分くらい背が高い。サンが筋肉質で大きめの体なのに対して長身で痩せ形の体型だった。サンがぼさぼさの長髪——散髪という習慣がないだけである——なのに対して、ちゃんと髪を刈り込んでいた。髪色は夜なのでよく分からないがおそらく黒。これも珍しい。喋りにも東部訛りがある。サンが南部訛りで茶髪の典型的な農民なのに対して、やや育ちの良さを感じさせた。感じが悪いのも、冒険者やってるくせに冒険者を見下しているからではないだろうか。

金に興味がないとか、結構な御身分ですなとサンは思った。

武器として槍を携行しているのも珍しい。新人なのは嘘ではないと思うが、新人が最初に選ぶ武器ではない感じ。何かしら心得があってのその選択だと思った。あの槍も売ればそれなりに金になるのでは……。

物品の収集が終わった。武器防具と道具類がずらっと並んだ。

ネコババはしないといいつつ、隊商のほとんど駄目になった荷物から、まだ食えそうな干し肉を見つけては拾い食いしながら作業した。

隊商の方の荷物には金目のものがたくさんあった。宝飾品と高価な金貨など、運びやすいものだけ選んだ。毛皮とかあっても運べるわけがない。痛んでるし。

とりあえずお金の方は二人で山分けした。均等にした。偏りがあることでわだかまりを作ってもしょうがない。

「矢は全部持っていっていいな。弓は使えるか?」ランスが聞いてきた。

「多少は」

「じゃあ俺がクロスボウでいく。槍は得意なので俺がもらっておくな」

「うん」絶対に速射が必要になるので自分としてもクロスボウは勘弁だ。

「火口や油もあるんだが、火攻めはできると思うか?」

「森全体は無理だけど、罠としてどこかに仕掛けるのはできると思う」

「よし、これも持っていこう」ランスは油袋もクロスボウ同様に腰に吊るした。「暗くてよく見えないな」

「火をつけてもいいんじゃないの?」

収集するときに松明を使ってないのが不思議だったが、ランスが明かりを使う気配がなかったのでサンもそれに付き合っていた。襲撃場所は森が開けているので星と月の明かりだけで見えないことはない。が、絶対に見落としがあるのは間違いなかった。特に硬貨の類は暗いと見えない。

「ところで僕の名前、覚えてる? そっちがランス・ガードっていうのは覚えているんだけど」

「……すまない。名前はなんだっけ?」

「サン・クン、よろしく。十四歳、南のモリソセコガゾ村出身」

「俺はランス・ガード、十四歳、東のモリツピピ出身だ」

「モリツピピ……聞いたことないな」

「結構遠い、山の向こうの向こうだ。ビリオンからでも十日くらいかかる」

「ふーん。貴族なの?」

「家を出た。今は違う」

「なるほど。よろしく」

「よろしく」

二人は握手した。

「で、松明は使っていいよね? 金を見逃してると思うんだけど」

「金は昼間にゆっくり拾えばいいだろ」

ランスの言い方には棘があったがサンはあえて無視した。「それもそうだね」

気分を害したが、サンは命より金に執着してしまうところがある。その欠点が出てしまったやりとりだった。この状況で金の見落としがないかと時間をかけるのは愚行そのものだった。そういう優先度をきちんと決められるほど頭はよくなかった。

ランスがこのときに明かりをつけなかった理由はよく分からなかった。別の状況を経験したあとでサンが思うのは、暗闇で明かりをつけるのも怖いということだ。怖かったのでランスは目立ちたくなかったのではないかと思う。

「飛び道具と付け火の準備はできた。柵とか作れそうか?」ランスは言った。

「格子を作って天井を作れば役に立つと思う。防壁とかじゃなくて、天井を作るんだ」サンは手振りで『ナデナデ』のようなジェスチャーをした。

ランスは黙って考え込んだ。「作れるか?」

「僕が?」

「もちろん手伝う。一晩でできるんなら」

「枝を組めばいいし。ここに布切れもあるし、蔦もあちこちにあったよ。できると思う」

「分かった。何を持っていけばいい?」

「そこの生地と、あとロープがあればありったけ」

「これか」ランスは言われた道具を拾った。

サンは手持ちのナイフを投げてしまっていたが、誰かのを拾って補充を済ませた。投げた自分のよりいいナイフだった。

サンは思った。打ち解けて冗談を言い合うとかじゃなくて、ランスとの会話は必要最低限だけどテンポは悪くないな。不思議だ。仲良くはなってないと思う。けどコミュニケーションに誤解が発生していない。この一時間ほどの会話が、これまでの六日間の会話より多い。変なの。

「さっきムカデに咬まれてさー、死ぬほど痛いよ」

「あー、ムカデは痛いよな」

二人は荷物を担いで窪地へと移動を開始した。

食い散らかされた討伐隊の遺体には鼠がたかっていた。キーキーと喧嘩する鳴き声が聞こえた。

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