1-8 契約成立

「さっきから、黙って聞いてりゃあよぉ!」


 途端。


 ばぎりと破砕の音がして、ルキの身体がぐらりと揺れた。


「む?」


 みさきの爪が、怒りのあまり床板を貫いていたのである。


 わずかに訪れた不均衡の機会を逃さず、みさきの身体が打ち上げられた魚のように震えた。関節を無理な方向に無理矢理曲げたせいか、肩が外れてしまっている。


 だが、そんなことはお構いなしだった。


「勝手なことばっか、言ってんじゃねぇッ!」


 関節が外れようと、筋肉が断裂しようと、骨が砕けようと構わない。そんな気概だった。


 己の尻の下で、一心不乱にもがくみさきを見て、ルキはふぅと溜息を吐いた。


「つまらん抵抗はよせ。ヒトの力程度では、どうにもならん」


 ルキの言葉を無視して、みさきは、喉が張り裂けんばかりの大声を上げた。


「しほッ! こんな変態の言葉に惑わされんな! 大丈夫だから! 絶対に、あたしが、守るから! だから——」


「みさき。もう、いいの」


 暴れるみさきを制したのは、しほの優しい声音であった。


「しほ……?」


「ルキ。先程も言った通りよ。私たちは、あなた達と、『契約』を結ぶわ」


「よかろう」


「待って、しほ! 騙されちゃ駄目! 目を覚まして!」


「みさき。私は正気よ。自分の意思で、この変態たちと手を組むの。そうしてでも、やりたいことが、あるの」


 しほはそこで、自分の顔の半分を覆っていた長い髪を掻き上げた。


 右の目から頬に刻まれた、痛ましい傷跡が、顕になった。


 それはかつての初夏の日に、血によって記された愛のしるしである。


「だから、みさき。私と一緒に、地獄へ堕ちてくれない?」


 しほの笑顔は、その傷跡込みで美しかった。


「しほ……」


 みさきは、勢い収まり押し黙る。


 これらの行為は、二人の間に定められた約束などではなかった。


 あの日以降、その傷跡については、一度も口にされたことはない。


 だが、双方が理解していた不文律。


 二人にとって、そのしるしは、どんなものよりも重い意味を持っていた。


「……わかった。わかったよ。あたしたちは、どこまでも、一緒だ」


 みさきは、涙をこらえながら、それでも無理して笑って見せた。


 これ以上、愛する人を悲しませまいとする、強がりの笑みだった。


「ありがとう」


 そんな二人の、繊細微妙な空気をぶち壊すように、ルキは吐き捨てる。


「茶番は終わりか?」


「ええ」


「では、『契約』だ。長髪の娘。貴様は、吾輩たちに、何を望む?」


「心からの、満足を」


 しほは、乾いた口調でそう言った。


「短髪の娘。貴様は、吾輩たちに、何を望む?」


「……力を」


 みさきは、心に煮えたぎる怒りを押し殺しながら、答えた。


「お前らみたいな変態どもに、これ以上、蹂躙されることのない、絶対的な、力を」


 その返答に、ルキはにんまりと笑った。


「よかろう。『契約』成立だ」

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