1-7 サディスト会談

「まずは、自己紹介からするとしよう。吾輩の名前はルキ。貴様の尻の下にいる駄犬が、ルホという」


 芝居がかった仕草で、ルキは腕を動かしそう言った。


「ご丁寧に、どうも。私の名前は、しほ。貴方が踏みつけているその子は、みさき」


 対抗するように、しほは名乗る。睨む。胸を張る。決して、弱気になどならぬといった調子だ。


 それを見て、ルキは微笑み、続けた。


「先程も言ったが、吾輩たちはヒトではない。フェチズマーという化け物だ。その証明は、今更不要だろう?」


「ええ」


 しほの切れ長の目が、ルキの尻の下、みさきに向けられる。


 みさきは目を血走らせ、なんとか抜け出そうと奮闘しているが、未だ身動き一つ取れていない。


 ルキの膂力は、明らかに常人のそれではない。


「ああ……我が身にのしかかるこの重み……最高です♡」


 そして、人間椅子にされている状況にハァハァと興奮している、ルホの精神構造も、明らかに常人のそれではない。


 この二人が、ヒトならざる者であることは明白だった。


「それで? フェチズマーとやらが、私たちに一体何の用かしら?」


「良い質問だ」


「さっさと本題に入ってもらえる? 私、これでも苛ついているの」


「おお、怖い怖い」


 ルキは、わざとらしく肩をすくめてみせた。


「では、手短に要件を話そう。吾輩たちは、貴様らに『契約』を持ちかけに来たのだ。吾輩たちの、性癖を満たすためにな」


「性癖を、満たす?」


「そうだ。吾輩たちは、貴様らヒトの性的な欲求不満が凝り固まって生まれた、情念の塊だ。貴様らヒトが、食欲、睡眠欲、性欲といった欲求を抱えているように、吾輩たちフェチズマーにも、本能に根付いた欲求がある。それが、性癖だ」


 ルキはそこで足を組み替えた。


「さて、ここで問題だ。吾輩と、そこの駄犬の抱える性癖とは、一体何だと思う?」


 しほは、その問を鼻で笑った。


「クイズにしては、いささかお粗末ね。『サディズム』と、『マゾヒズム』、でしょう?」


「正解」


 ぱちぱちと、ルキは手を鳴らした。両手に嵌めた革手袋のせいで、音は静かだ。


「相手を痛めつけることに快感を得る吾輩と、相手から痛めつけられることで快感を得るそこの駄犬。吾輩たちは、兄弟、あるいは姉妹のようなものだ」


「性癖を満たしたいというのなら、あなたたちだけで関係性が成り立つんじゃなくて? 私たちに絡む理由は、どこにもないはず」


「馬鹿を言うな」


 ルキは、しほの進言を嘲笑う。


「そこの駄犬はともかく、吾輩がそれで満足できると思うのか? 苦痛を快感に変換する者をいたぶって、それで本能が満足するか? 貴様はわかっているはずだ。そんなはずはないと」


 ルキはみさきを抑え込んだまま、首をずいと、しほに向かって突き出した。


 狂気的とも言える輝きを放つ眼が、迫る。


「なぜなら、貴様は吾輩と同類だからだ」


「……」


 しほは、そこで初めて言葉に詰まった。


「誤魔化そうとしても、無駄である。吾輩にはわかる。貴様は、愛する者を痛めつけずにはいられない性分を持っている。ナイフのように尖った愛情表現だ。深い業だ」


 ふー……と、細くて長い吐息が漏れた。


 しほの口から漏れていた。


「とてつもなく不快だわ。これが、同族嫌悪というヤツなのかしらね」


「認めたな。己が生粋のサディストであると」


「別に、やましいと思う気持ちも、隠したいと思う羞恥心もないわ。ええ、その通りよ。それで? 話はそれで終わりかしら? 同好の士を募っているというお話なら、お生憎様。私には、既にみさきという理解者がいるの。それだけで、満足しているの」


「本当か?」


 ぎょろりと、猫のような瞳が睨めつける。


「だとするならば、貴様は何故、その娘を困らせるような真似をする? 何故、夜毎に街を練り歩く? 何故、危機を自ら背負い込む?」


「……覗き見とは、趣味が悪いわね」


「どうした、どうした? 罵倒にキレがないぞ! 図星を突かれて焦っているのか?」


「さっさと、本題を」


 吐き捨てるようなセリフだった。


 目を逸らしたら負け、とでも言いたげな瞳が、ルキを見据えている。


 満足そうに、ルキは笑った。


「貴様らの願いを、叶えてやる」


 そして続けた。


「これは、取り引きだ。吾輩たちと『契約』を結べ。さすれば、貴様に、最高の満足を与えてやろう。心が満たされる機会を与えてやろう。——これ以上ない、快感を与えてやろう」


 そう言って、指を鳴らした。


「——ッ!」


 途端、しほの脳内に、とある思念が流れ込む。


 みさきには、とても言えない秘めたる願望。口では語ることを憚られる内容。己の性癖をよく理解した上で提供される、フルコースのメニュー表。


 しほは、珍しく狼狽えた。彼女の右目を覆っている、長い髪が、揺らいだ。


「なるほど、」


 彼女は己の右目を抑えて、そう呟いた。


 そして答えた。


「わかったわ。私は、あなた達と、『契約』をする」


 ルキはぱちぱちと、拍手をした。

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